・この世界で一番大事なのは自分ということ。
・自分の感情が何よりも大切なモノということ。
・世界は自分がつくってる、ということは何でも叶えられるということ。
・自分が赤ちゃんの頃は0ポイントで、ただそこに居ただけだったということ。
・成長とともに、今から離れ、嫉妬や劣等感などを記憶から自分へ付けていったということ。
これらを認識したというか、思い出したので、二元論についての考えが変わったと思います。
だから理解するというより、思い出すというほうが的確です。
反対に、今までずっと持っていた認識を忘れていきました。
人の願いが叶わないのは、頭の中と心が一致してないからだと思います。
みんな、頭と心を一致させる程に、自分と向き合ってないんじゃないかな。
遠回りに見えますが、全ては本来の自分に戻る作業でした。
二元論ですが二元論に捕われなくなる事は、二元論に捕われるということです。
いま、言ってる事が違うと思いましたよね?
二元論から出るという事は、矛盾を抱え込む事だと思います。
矛盾を許すこと、全て受け入れる事、つまりジャッジしないことかなと思います。
では物事をジャッジしなかったら、どうなるでしょうか。
ここに気づいてしまえば簡単なのに私もなかなか気づかなかったんですが、素直な自分の感情が止めどなく溢れてきます。
ただ、良い悪いというのは、好き嫌い、したいしたくないととてもよく似ていて、こんがらがるんですよね。
例えば、借金に良し悪しはないですが、好き嫌い、したいしたくないはありますよね。
物事の良し悪しは判断しないけど、一番大切な自分の感情、好き嫌い、したいしたくないは思いっきり感じるし、行動したくなります。
これが二元論を壊していくということ、明快になるということです。
お金持ちも貧乏もどっちが良いか悪いかはないけど、好き嫌い、なりたいなりたくないはありますよね?
あなたの感情はあなたの世界でとても大切なモノです。
感情に素直になって、二元論の外へ出た、全てある世界から純粋に選択してなることが、なるです。
コンプレックスを抱えた自分を否定するから、コンプレックスを抱えた自分を肯定させる現実が目の前に現れてしまうんです。
コンプレックスがある自分を良くないと思っても完璧にすれば、そこには肯定も否定もないから、それで終わります、それは二元論の外です。
この思考にいく前の段階で、過去現在未来そして願望を独立させることです。
全てを関連付けないことです。
他人と比べて、自分に価値がないと比較するのは勿体ないです。
それもただの記憶です。あなたはこの世界をつくった凄い存在で何でもできます。
それでも現実に振り回されるなら、その都度丁寧に自分の感情を感じきり、
記憶を意識的に忘れていってください。
また、人と比べて落ち込んでも完璧なんです!
感情は刺激なので、体と心が欲した自然の摂理なんです。
私が体感したなるを書きます。
私が体感したなるになるとは、全てのメソッドと言われるモノの終着点だと思っています。
なる=叶った=既にあった=満たされてる。
達人さんたちの表現は様々ですが、最後はこんなような言葉で終わっていて、同じことを言ってると気づきました。
ということは、潜在意識を使い、本当に願いを叶えてる人たちがいる。
今まで潜在意識に半信半疑でしたが、心から信じ、自分もそこに到達したいと思いました。
なるとは一見メソッドのように思いますが、私はメソッドとは違うと思っています。
それは、全ての最終到着点だから。
メソッドは叶えるためですが、なるは叶ったと思い出す感じなので、そもそも立ち位置が違います。
だからなるになるには、認識を変える必要がある、変えないと行けないと思ってます。
よく達人さんはメソッドは叶えるためにやるなと言っていますが、なぜそう言ったのか、それは皆さんに最終到着点へ行く道を見せたいからだと思います。
メソッドは叶えたい立ち位置からするものだから、叶えたいからメソッドをすること、本気で徹底してメソッドすれば、叶うと思います。
でもそれだと最終到着点のなるへ行けない。認識を崩せてない世界にいることになるからです。
ここで達人の叶えるためにするなの意味が生きます。
つまり、立ち位置を変えろ、認識を変えろ、前提を変えろと言ってたのです。
叶えたい=ない世界からの出発だよってことです。
叶えたいは、今手元にないと自分で認識してるということを意味してます。
なぜなら、あったら願わない、既婚者は結婚したいと思わないということです。
常識からしたら当たり前でも、潜在意識の世界ではそれが壁になります。
常識とは、世界への認識(前提)、記憶です。
そして記憶とは自分です。
ということはある世界に行くには、今までの考え方を壊さなきゃならない。
認識=前提=常識=記憶=自分=世界だと私は思っていますので、そこを基準に話します。
認識=前提=常識=記憶=自分=世界なら、どこを壊しても、統べて崩れ去ります。
しかしここは現実が絡んでくるのでなかなかできない。
だからこそ丁寧にやるべきだと思います。
なるの最大の壁は、現実に振り回される事だと思います。
願望を実現した私になったけど、現実を見て振り回されて解除する。
認識の変更がされてなければ、多分これは延々とループします、私はループしまくってました。
そして、認識を変更できてない時になるをやっても、立ち位置が違うから、なった振りという、凄く良く似ているメソッドになってる可能性が高いです。
つまり、なるは認識変更されなければ、適用できないということです。
なるはメソッドじゃないから、メソッドは叶える立場からのものだから、相反します。
では、認識を変えるには、簡単に言うと、ない世界をある世界に変更できれば良いだけの話です。
パソコンのようにある世界を初期設定にしてしまえばいいだけの話なんですが、
認識とは常識なのでそううまく行かない。
そして常識とは記憶であり過去です。
過去から私たちは刺激をもらっているので、
刺激さえ無視してしまえば、話は簡単なんです。
だから記憶を忘れてしまえば、刺激が出てこないので、記憶を忘れちゃうのが手っ取り早いかなと思いました。
現実を見て振り回されるのは、記憶に振り回されてるのと同じです。
記憶に振り回されるとは、刺激を欲しているという事です。
願望に関係なく、自分が楽しいと思う事をしなさい、というのは、特定の記憶から貰ってた刺激を、他で代用するという事だと思います。
つまり、意識的に記憶を忘れていく感じです。
でも刺激とは麻薬と同じですから、もっと欲しくなる。
物質的に限界がくると、記憶から刺激を取ろうとする。
幸せも不幸も刺激です。
記憶から刺激をどんどん出して、無意識の部分で満たされようとします。
例えば、あなたの全ての願いが叶った状況を想像してみてください。
仕事も人間関係も配偶者も子供も親もお金も健康も美も、全て願いが叶ったら、人生に満たされますが、幸せ(=刺激)はないんじゃないでしょうか?
頑張って達成もないし、手の届かないと思ってたモノを手に入れる事もない。
願望=現実になり、当たり前のモノになれば、刺激がない、
目的や目標はなくなります。
ダイエットして美しくなろうと思った時、私はなるを適用してみました。
その時、なったんだから、ダイエットをするのはおかしい、食事制限だったり、筋トレだったりは何のためにしてるんだろうと分からなくなりました。
あぁ、こんなのつまらないなぁって思ったんです。
そして、今すぐに叶えたくないんだってわかりました。
頑張って○○になった、できた、私すごい。
頑張っても○○になれない、できない、私ダメ人間。
こういうふうに思い続けていたいんだ、ということに気づきました。
そしてこれより刺激が強いのは、人と比べるときです。
記憶の中の自分、情報、他人と比べて、刺激を貰い続けます。
そして、こう思えるのはない世界にいなきゃ体験できません、
だから、ある世界へ行けないんです。
この刺激を緩和するために、達人は自愛というメソッドを勧めたんだと思います。
自分が楽しいと思う事をすること、そこから始まる自愛ですが、
自愛の行き着く先は、何もなくても満たされる、呼吸するだけで満たされる境地です。
ここまで行けば、ある世界へ認識変更できてると思います。
だからこそ自愛も叶える立場からやるものではないんです。
そして安心感とはある世界にしか存在しないのです。
だから、今にいるがとても大切なんです。
未来や過去はない世界です。
情報や思い出と言った、記憶と言う幻想から刺激を出して、不安になったり、希望を抱いてみたりしても、存在できるのは今しかないのです。つまり、ある世界は今だけです。
という事は、今にだけ安心があります。
それに満たされ尽くすというのが、目の前の事を一生懸命にすることだったり、今を感じることだったりするのです。
だから、瞑想(座禅)が有効なんだと思います。
なるが願望成就に直結なら、記憶を忘れるというのは認識変更への直結ってかんじでしょうか。
二元論の話ですが、禅問答のようになるので、理解しなくても良いです。
簡単に言うと、二元論から出るには、矛盾を全て許すことです。
二元論とは、光と陰、男と女、夏と冬みたいな対比です。
この世界は全て二元論でできています。
当たり前の常識ですが、この意味をしっかり体感していないと、現実に振り回されます、
つまり二元論に振り回されます。
二元論があるということは光と陰がある。
ということは、願望が叶っていないなら、叶ってるが既に存在してる、という事です。
何かを知覚できるという事は、そうじゃないと成り立ちません、これは摂理ですよね。
私はこれを理解してなかった、二元論の中にどっぷり浸かりながら、既にあるなんて、達人のみが体感できることだと思ってました。
そしてこれらが既にあるを体感する助けになりました。
つまり、二元論から出るとは、二元論をしっかり理解する事です。
すると全てが統合されます。
分離が分かって初めて統合が分かりました、(これも二元論の法則ですね)。
ということは、二元論があるということは、二元論がないということです。
二元論を理解すると、想像以上のレベルで視野がひらけます。
最初は、光と陰の二元論から始まり徐々に広がっていき、最終的に二元論はないに到着すると、
他人は自分であるとわかり、自分は、虫であり、動物であり、植物であり、家具であり、空気であり、そして違うという事が分かります。
人間は、創造主(神)であることまで、思い出せるはずです。
宗教が言ってるのはこの事か、と体感しました。
全て言ってる事って同じなんですよね。
だから、願望実現でよく言われる快になるというのを、認識変更の前に、願望の重要度を下げていない人がやると、記憶からの刺激をよぶと同時に、自然の摂理も作用して、快を感じるために不快が出てくるんです。
でもこれはかなりの刺激なのでやめられない、というわけです。
現実に対して何が起きても完璧という認識にするのも、完璧=完璧じゃないということです。
私は、二元論がわかって初めて、フラットな場所に立てました。
現実には二元論という自然の摂理がある。
どちらを見るか、どちらを体験したいのか決めよう、つまりこれが、願いを叶えたあるの世界へ完全に移行した瞬間なのかなと思います。
だから、二元論から出るわけじゃないんです。
むしろ二元論の中にどっぷり浸かってます。
ですが、理解して浸かるのと、そうじゃないのではかなり違います。
こうなって初めて快、不快を心から楽しめています。
それはどちらが良い悪いと判断する事なく、感じきる事をしているからです。
快だけ体験したいとは思いません、それはただの刺激だからです。
幸せというのはただの刺激だからです。
淡々と出てきた感情を感じきることは、今にいます、つまりある世界にいます。
感じきりますから、記憶にあまり残らず消えていきます。
よく混合するんですが、良い悪いは、好き嫌い、したいしたくないと同じじゃありません。
つまり、良い悪いは感情や衝動ではなく、常識や記憶の一部という事です。
ない世界の一部です。
だから判断しないがポイントだったりします。
でも好き嫌いは思いっきり感じてください。
また、記憶は消せません。
だから、記憶から出てくる刺激も消せません。
量は少なくなってもなくならないし、自我がある限り無理です。
だからもう、ただの反応だと流すのが一番です。
本当に取るに足らない物だと思えてきます。
ただ、選択はできます。
そして選択こそが重要なんだと思います。
【方法論】【719さんpart2】あなたの感情は、あなたの世界でとても大切なモノです。全てある世界から純粋に選択してなることが「なる」です。過去、現在、未来、そして願望を独立させることです。【なる】
達人さん