【金銭】「感謝は価値を認めること」「感謝せよ」とか「その波動になる」と言われているが、「与えてもらう事を想定して、お礼の言葉を述べよ」というのではなく、「その在り方を高く評価せよ」と言う事だ。

金銭・仕事
達人さん
達人さん

自分は、ちょっと気づいたことがあるんだ。

「引き寄せの法則」では、よく「感謝せよ」とか、「その波動を先取りせよ」とか言われているけど、海外では「appreciate」という言葉を使われていて、これは「感謝」という意味のほかに、「価値を認める」とか、「高く評価する」と言う意味がある。
と言うか、海外では、それらは同じ意味なんだろう。

一方で、それを日本語に訳すと、大抵は「感謝」という言葉になるけど、ここでややこしいのが、日本語では「感謝」と「お礼」が、同じ意味として使われていることだ。

「お礼」というのは、相手が何かをしてくれて、それに対する反応として返すもので、「しなきゃいけない礼儀」みたいな感じだから、それが本人にとって嬉しくない場合には、本音と建前に分かれてしまう。
だから、ただやみくもに「感謝せよ」というお題目にどうも違和感を感じながらも、義務的にやってしまいがちだ。
なんでもかんでも、いちいち「ありがとう」ということに、白々しさを感じないだろうか。

ところが、本来の「感謝」っていうのは、「それに価値を認める」、「高く評価する」ということだ。
例えば、相手に貰ったものが、自分にとって、価値のあるものだったり、相手からそうしてくれる行為が、自分にとって価値のあるものだったときに、自分の中から「喜び」の感情が湧き出てくるだろう。
「感謝」っていうのは、「喜びの表明」みたいなものなんだ。
だから、相手に感謝はしないけどお礼はする」っていうことはあり得るだろう。
人間関係を高く評価するのであれば、お礼もしておいたほうが良いかもしれない。

ところで、「感謝」という言葉が、価値を認める、高く評価することと同じだった場合、「遊んでいてもお金が入ってくる」ということを、皆さんは、「本心で高く評価してますか」っていう事なんだ。

たとえば、生まれながらに金持ちのボンボンを見ているときに、「イラッ」としたりしないだろうか。
「美人」っていうだけで、人生がイージーモードな女性を「僻んでいたりしていないだろうか。
そして、社会通念通りに、苦労して働いてる人を「高く評価」していないだろうか。

自分はその事に気付いたときに、思わず声をあげてしまった。

何故、遊んでいながらお金が入らないのか。
それは、自分自身の価値基準のせいなんだろう。

「感謝せよ」とか、「その波動になる」と言うのは、「与えてもらう事を想定して、お礼の言葉を述べよ」というのではない。
「その在り方を高く評価せよ」と言う事だ。

そして、2つの大きな事に気付くことができた。

「自分が望むもの」と、「自分の評価、価値基準が違っている事がある」と言う事だ。
たとえば、努力や労働はしたくないのに、楽して儲けていると、詐欺だのインチキだのと言って、その価値を認めずに、努力や労働でお金を得た人、または、お金が得られなくても努力や労働している人を評価していることだ。

それは、「存在やら波動やら、自分の本心よりも、現実に価値を置いている」という事なんだ。
「遊んでいながらお金が入ってくる人」に対して、「価値を認める」と言う事は、努力などを評価しようがないので、その存在や在り方そのものを「評価するしかないだろう。

でも自分は今まで」、在り方ではなく、現実の努力とかに価値を置いていたことに気がついたんだ。
それは完全に」、「抵抗の波動」だったということだ。
その事に気付いたお陰で、物の見え方がガラッと変わって、色んな事が腑に落ちたんだ。

☆遊んでいたらお金が入ってきた☆
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1381737365/
233: 幸せな名無しさん :2017/05/01(月) 17:21:29 ID:9CGdbI6s0

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