【体感】「私とは経験そのもの」シーンそのものであり、経験者はいないのだ。今まさに、今目の前に起こっているそのシーン、その場面そのものが「私」なのだ。【気づき】

体感・気づき・方法論
【体感】「私とは経験そのもの」シーンそのものであり、経験者はいないのだ。今まさに、今目の前に起こっているそのシーン、その場面そのものが「私」なのだ。【気づき】
達人さん
達人さん

過去の記憶のシーンを思い返してみよう。

最愛の人との楽しかった思い出や、仕事で悔しくて泣いた思い出など、頭に浮かぶのはそれら思い出のワンシーンだ。
楽しかった思い出も、辛かった思い出も、今の私に続くための美しい経験として心に残っている。
しかし、冷静に思い返すと、思い出のワンシーン、そこには「場面だけがある」ということに気づかないだろうか。

最愛の人の笑顔や、憎たらしい上司の嫌みな声が場面に映っていても、そのシーンに「私」というものが映っているだろうか。
何度思い返しても、私の姿はどの記憶にも映っていないだろう、あるのは、「私」のいない「場面」だけだ。
その時の私の手や足、声なども思い出されるが、肝心の私そのものが映っていない。

ということは、それらひとつひとつの記憶、経験のワンシーンの束が、私という経験者をつくり、錯覚させ、「”私の”経験である」としているのではないか。
そうして、いつの間にか私個人という幻想が生まれたのではないか。

「私が経験をした」のではなく、私とは、「経験そのもの」なのだ。
シーンそのものであり、経験者はいないのだ。
今まさに、今目の前に起こっているそのシーン、その場面そのものが「私」なのだ。

意識はひとつである。
その中ですべてが起きている。
物事が起こることと、それを認識すること、これらは常にワンセットだ。
つまり、「見られるもの」と「見るもの」は同じものだ。
今ここで現れた全ての事象が唯一の存在なのだ。

気づき
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1455295724/
27: 幸せな名無しさん :2016/04/22(金) 10:26:45 ID:PREIrvU20

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