願望が「既にある」というのは、どういう意味でしょうか?
「既にある」っていうのは、普通の認識からしたら、意味が分かりませんよね、言葉遊びと思われるかも知れません。
でも本当に、「既にある」は真実なんです。
願うよりも前に、全ての事象は既に存在しています。
現実世界だと思っているこの世界というのは、存在する無限の状況、無限の場所、無限の時間などを、自分で選択して、焦点を合わせているだけに過ぎないわけです。
もっと言えば、「自分」という現象さえも、その焦点合わせの結果に過ぎません。
つまり、「叶える」という姿勢自体が、既におかしいんですね。
叶えるも何も」、全ては「既にある」からです。
願望実現が、「チューニングである」とも言われていますが、要するに、全てを選択しているわけです。
「許可を与える」とは「既にあることを認める」という事です。
既にあることに対して、全力で拒絶しているのは自分だったんです。
それが腑に落ちた瞬間に、既に完璧な世界にいたんだと気付きます。
例えば、ずっと欲しかったものが、今この瞬間、目の前に与えられていて、物理現象として既にあるとします。
その時に、「いつか受け取ろう」なんてことを、わざわざ考えませんよね。
快く「ありがとう」と言って、手を伸ばして受け取りますよね。
願望実現という観点でも同じ事なんです。
全ては既にあります。
願望を「今叶えて下さい」というのは、「今許可して下さい」ということですし、「意図を持つ」という意味も含まれているのだと思います。
既にあることに対して、全力で拒絶しているのは、何故なんでしょうか?
「既にある」なんて、そんなのあるわけがない」という思い込みです。
自我にとっては、「既にある」を採用する事は、とても恐い事なんです。
「既にある」のならば、本来何もする必要はありません。
ですが、「既にある」を採用して、叶わなかったら、それこそ恐怖な訳です。
つまり、「別の領域を信頼出来ていない状態である」と言うことです。
そして、「内面の忠実な投影である世界は、「別の領域を信頼出来ていない」というのを、そのまま反映します。
因みに、既にある領域というのは、五感を超えています。
思考では捉える事が出来ない、というのも、自我の恐怖の一因ですね。
「既にある」は、チケット7章がわかる人だけに分る感覚なんでしょうか。
「既にある」というのは、認識しているか否かで、変わるものではありません。
全ての存在は、チケット7章に常に存在していますので、「既にある」と思えなかったとしても、世界は思い通りなんです。
「既にある」が分からないと思い込んでいたとしても、願望と実現がセットである事に変わりはないので安心して下さい。
不足や不安を感じても全然大丈夫ですよ。
寧ろ、不足や不安を見てみない振りをして、拒絶する事の方が「問題です。
あと、「充足を見る」というのは「効果が絶大です。
全てを全面的に受け容れた上で、選択をして下さい。
「既にあるなんてあるわけがない」という思い込みを解除したいです。
私の使っていた方法は、「完璧だ」という認定です。
大して唱えていなかったような気がしますが、無条件に「完璧」と認定していると、本当に「完璧だ」という証が現れてきます。
後は、「充足を見る」という事を心掛けていました。
何もなくても幸せになれるので、おすすめです。
「充足を見る」というのは、「目の前の充足をみる」という事でしょうか?
充足というのは、本来、無条件に与えられているものです。
なので、今目の前にある」ものと、わざわざ関連付けなくても大丈夫ですよ。
その視点に移行する為に、「一つ一つに感謝をする」、という方法もあります。
普段、何気無く過ごしているだけで、多くの人の愛を受けているはずです。
その一つ一つのものと丁寧に過ごしてみて下さい。
目に見えるどんなものであっても、あなたの為に存在してくれているんです。
「完璧だ」というのを採用をしても、この辛い状況に「完璧だ」と言い続けることが怖いです。
「今の状況で『完璧』なら、ずっとこのままでいい」ということになってしまいませんか?
完璧が、なかなか採用出来ない事もありますよね。
完璧認定は、「今、不足だと感じている世界」を「完璧だ」と固定するのではないんです。
今「ある」と思っている世界に対して、「完璧だ」と選択をすることです。
生きている間は、常に選択の連続で生きています。
ですが、自我の自動反応で無意識に生きている場合が大半です。
そこを敢えて、「意識的に選択しませんか?」という事です。
「完璧だ」という認定が怖いというのならば、無理をしてまでやる必要はありません。
自分にとって心地の良い方法があれば、そちらを試してみて下さい。
「既にある」のなら、完璧認定する必要もなさそうですね。
そうですね、本来は、完璧認定も必要ありません。
何故なら、「完璧だ」と認定しようとしまいと、常に完璧だからです。
ただ、完璧認定は、認識の転換をする切っ掛けとしては「アリ」だと思います。
自我による自動反応を、「完璧認定で断ち切るわけですね。
とりあえず、楽しむ事に勝るメソッドはありません。
完璧認定をしなければならない、という事は決してないので、自分にとって楽しいことをしてください。
108以外質疑応答【2】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1284024686/
279 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2010/11/01(月) 01:26:52 ID:nEh0nueg0