【方法論】「既にあるは真実」「既にある」のならば、本来何もする必要はありません。既にあることに対して、全力で拒絶しているのは自分だったんです。

体感・気づき・方法論
質問さん
質問さん

願望が「既にある」というのは、どういう意味でしょうか?

達人さん
達人さん

「既にある」っていうのは、普通の認識からしたら、意味が分かりませんよね、言葉遊びと思われるかも知れません。

でも本当に、「既にある」は真実なんです。
願うよりも前に、全ての事象は既に存在しています。

現実世界だと思っているこの世界というのは、存在する無限の状況、無限の場所、無限の時間などを、自分で選択して、焦点を合わせているだけに過ぎないわけです。

もっと言えば、「自分」という現象さえも、その焦点合わせの結果に過ぎません。

つまり、「叶える」という姿勢自体が、既におかしいんですね。
叶えるも何も」、全ては「既にある」からです。
願望実現が、「チューニングである」とも言われていますが、要するに、全てを選択しているわけです。

「許可を与える」とは「既にあることを認める」という事です。
既にあることに対して、全力で拒絶しているのは自分だったんです。
それが腑に落ちた瞬間に、既に完璧な世界にいたんだと気付きます。

例えば、ずっと欲しかったものが、今この瞬間、目の前に与えられていて、物理現象として既にあるとします。
その時に、「いつか受け取ろう」なんてことを、わざわざ考えませんよね。
快く「ありがとう」と言って、手を伸ばして受け取りますよね。

願望実現という観点でも同じ事なんです。
全ては既にあります。

願望を「今叶えて下さい」というのは、「今許可して下さい」ということですし、「意図を持つ」という意味も含まれているのだと思います。

質問さん
質問さん

既にあることに対して、全力で拒絶しているのは、何故なんでしょうか?

達人さん
達人さん

「既にある」なんて、そんなのあるわけがない」という思い込みです。
自我にとっては、「既にある」を採用する事は、とても恐い事なんです。

「既にある」のならば、本来何もする必要はありません。
ですが、「既にある」を採用して、叶わなかったら、それこそ恐怖な訳です。
つまり、「別の領域を信頼出来ていない状態である」と言うことです。
そして、「内面の忠実な投影である世界は、「別の領域を信頼出来ていない」というのを、そのまま反映します。

因みに、既にある領域というのは、五感を超えています。
思考では捉える事が出来ない、というのも、自我の恐怖の一因ですね。

質問さん
質問さん

「既にある」は、チケット7章がわかる人だけに分る感覚なんでしょうか。

達人さん
達人さん

「既にある」というのは、認識しているか否かで、変わるものではありません。
全ての存在は、チケット7章に常に存在していますので、「既にある」と思えなかったとしても、世界は思い通りなんです。

「既にある」が分からないと思い込んでいたとしても、願望と実現がセットである事に変わりはないので安心して下さい。
不足や不安を感じても全然大丈夫ですよ。
寧ろ、不足や不安を見てみない振りをして、拒絶する事の方が「問題です。
あと、「充足を見る」というのは「効果が絶大です。
全てを全面的に受け容れた上で、選択をして下さい。

質問さん
質問さん

「既にあるなんてあるわけがない」という思い込みを解除したいです。

達人さん
達人さん

私の使っていた方法は、「完璧だ」という認定です。
大して唱えていなかったような気がしますが、無条件に「完璧」と認定していると、本当に「完璧だ」という証が現れてきます。

後は、「充足を見る」という事を心掛けていました。
何もなくても幸せになれるので、おすすめです。

質問さん
質問さん

「充足を見る」というのは、「目の前の充足をみる」という事でしょうか?

達人さん
達人さん

充足というのは、本来、無条件に与えられているものです。
なので、今目の前にある」ものと、わざわざ関連付けなくても大丈夫ですよ。

その視点に移行する為に、「一つ一つに感謝をする」、という方法もあります。
普段、何気無く過ごしているだけで、多くの人の愛を受けているはずです。
その一つ一つのものと丁寧に過ごしてみて下さい。
目に見えるどんなものであっても、あなたの為に存在してくれているんです。

質問さん
質問さん

「完璧だ」というのを採用をしても、この辛い状況に「完璧だ」と言い続けることが怖いです。
「今の状況で『完璧』なら、ずっとこのままでいい」ということになってしまいませんか?

達人さん
達人さん

完璧が、なかなか採用出来ない事もありますよね。
完璧認定は、「今、不足だと感じている世界」を「完璧だ」と固定するのではないんです。

今「ある」と思っている世界に対して、「完璧だ」と選択をすることです。
生きている間は、常に選択の連続で生きています。
ですが、自我の自動反応で無意識に生きている場合が大半です。
そこを敢えて、「意識的に選択しませんか?」という事です。

「完璧だ」という認定が怖いというのならば、無理をしてまでやる必要はありません。
自分にとって心地の良い方法があれば、そちらを試してみて下さい。

質問さん
質問さん

「既にある」のなら、完璧認定する必要もなさそうですね。

達人さん
達人さん

そうですね、本来は、完璧認定も必要ありません。
何故なら、「完璧だ」と認定しようとしまいと、常に完璧だからです。

ただ、完璧認定は、認識の転換をする切っ掛けとしては「アリ」だと思います。
自我による自動反応を、「完璧認定で断ち切るわけですね。

とりあえず、楽しむ事に勝るメソッドはありません。
完璧認定をしなければならない、という事は決してないので、自分にとって楽しいことをしてください。

108以外質疑応答【2】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1284024686/
279 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2010/11/01(月) 01:26:52 ID:nEh0nueg0

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