私は、「とりあえず買う」という実験を始めました。
好きなものがあったら買う、
高い物でもなんでも買う、
躊躇しない、
食べたい物を食べる、
飲みたい物を飲む。
その代わり、何があっても、決して自分を責めない。
これを一ヶ月続けたらどうなるかなと思って、本日で一ヶ月なんですが、この一ヶ月、一度も銀行に行かず、クレジットカードも使っていません。
私は買いたいと思ったら、迷わず買いました。
食材も、普段より高くするのも躊躇しませんでした。
普段より、金を使っているのは間違いないのに、私は一度も・金を口座から引き出すことなく、財布の中の金だけで生活ができたんです。
さらに残高まで増えている。
そして、なんでこうなったのか、自分でもよくわからない。
これを三ヶ月続けたら、一年続けたら、一生続けたらどうなるか、などと考えております。
能力が欲しい場合は、どうしたらいいのだろう
「能力」は存在しない。
「能力」と言われるものは存在しない。
能力とは、人が、ある結果を出すことに、合理性を持たせるためのフィクションにすぎない。
つまり、人と結果を結び付ける「因果律」の一つってことだ。
すなわち、能力の獲得なんてもんはない。
よい結果をだしつづければ、「能力がある」と言われ、
悪い結果をだしつづければ、「能力がない」と言われる。
完全なる虚構であり、信念なんだ。
だから、能力なんて、なくたって構わない。
「結果」を直接だせばいい。
あなたが仮に、記憶力が欲しいのなら、
「私に記憶できて当然だ」といった状態に、自分を置けばいい。
慣れるまでは、能力がないことをなげくたび、「しかし、能力など関係なく結果は出る」と、この見解を頑なに採用し続ける。
すると、ある時「自分の能力」と言われるものの限界を突破できる。
勉強や仕事では、この結果がわかりやすい形で出るから、おもしろいと思うよ。
能力について、クレさんの体験談があれば教えてください
試験関係の体験談では、倍率は8倍程度の、ある資格を取るために必要な試験に、何の勉強もせず受かったことがある。
といっても、その分野に苦手意識が微塵もなかったので、実践上は避けることを勧めます。
60点が最低ラインのはずの試験を、27点なのに合格したとかもあります。
因果律を介在させずに、今の自分を、結果に直結させるということです。
上司が、私に文句を言いたいみたいで、私の仕事にだけ文句付けてくるんですが、見返したいです。
「因果律」によって、上手くいかない理由を作る必要はないです。
だから『今の自分が、能力を獲得して、結果にでる』というプロセスは必ずしも必要ないよということです。
あなたが自分は能力がないと思っているなら、「なんて能力がないんだーとなる度に、「それでも仕事が上手くいってもいい」と、因果をぶった切ってもいいです。
これは「認定するメソッドというか、単にその世界観や信念のようなものを選択するだけです。
それ以上の意味はなく、別にこれで、あなたが仕事を認められるわけではない点には、注意してほしいです。
因果での縛りを解放することで、望ましい現象化へのルートを広げるだけのことです。
あなたの場合は、ただ結果を出したいのではなく、結果のその先にあるかもしれない「上司を見返す」ことを望んでいるように見える。
誰かに認められたい欲求が強いなら、別の方向からのアプローチもあると思う。
誰かに認められたい欲求が強い場合の、別の方向からのアプローチをおしえてください。
私の実践で有効だった方法を一つ言います。
「なぜ必要とされたいのか」、自分に問い掛けてみるといいです。
その答えは、「自分は無価値だ」と思っているのではないだろうか。
この前提で話を進めますが、何かのきっかけで、意識無意識に関わらず、自分が無価値だと感じている。
平たく言えば、「認められない存在」、「必要ない存在」だと思っている。
これにより、内面の忠実な投影として、それに沿った現実が展開し、「あの人から必要とされていない現実」、「会社から必要とされていない現実」、「社会から必要とされていない現実」、「親から必要とされていない現実」と、割合を増しながら、どんどん「自分が無価値だと感じられる現実」が展開されていく。
だから、自分が無価値だと感じていることを、「他人に認められている」ことを通じて、「自分に価値がある」と、自分の価値を再確認し、「無価値である」という認定を否定しようとしてしまう。
しかし、それは難しい。
なぜなら、「無価値」と感じさせる現実を作っているのは自分だから、自分が「無価値」だと思っているのに、「価値がある」と思わせる現実が展開する可能性は低いからだ。
確かに、他人の評価を通じて、自分の「無価値」を否定できてもよいが、そうやって変な形で他者に依存している限り、その他者の態度次第で、自分が「無価値」なのか、「価値がある」のか、自分の価値が上下してしまい、その度に、自分の味わう現実が変わる。
それは不毛だから、不毛ならやめること。
まず、自分の認定を変えることだ。
「私は世界に絶対不可欠な存在」であるという事実を、単に知ることであり、そして、他人を通じた自己評価をやめることだ。