【方法論】【クレさん】「能力」と言われるものは、人がある結果を出すことに合理性を持たせるためのフィクションにすぎない。能力に関係なく結果は出ると決めれば、自分の能力の限界を突破できる。

達人part
【方法論】【クレさん】「能力」と言われるものは、人がある結果を出すことに合理性を持たせるためのフィクションにすぎない。能力に関係なく結果は出ると決めれば、自分の能力の限界を突破できる。
達人さん
達人さん

私は、「とりあえず買う」という実験を始めました。
好きなものがあったら買う、
高い物でもなんでも買う、
躊躇しない、
食べたい物を食べる、
飲みたい物を飲む。

その代わり、何があっても、決して自分を責めない。

これを一ヶ月続けたらどうなるかなと思って、本日で一ヶ月なんですが、この一ヶ月、一度も銀行に行かず、クレジットカードも使っていません。

私は買いたいと思ったら、迷わず買いました。
食材も、普段より高くするのも躊躇しませんでした。
普段より、金を使っているのは間違いないのに、私は一度も・金を口座から引き出すことなく、財布の中の金だけで生活ができたんです。
さらに残高まで増えている。

そして、なんでこうなったのか、自分でもよくわからない。
これを三ヶ月続けたら、一年続けたら、一生続けたらどうなるか、などと考えております。

質問者さん
質問者さん

能力が欲しい場合は、どうしたらいいのだろう

達人さん
達人さん

「能力」は存在しない。
「能力」と言われるものは存在しない。
能力とは、人が、ある結果を出すことに、合理性を持たせるためのフィクションにすぎない。
つまり、人と結果を結び付ける「因果律」の一つってことだ。

すなわち、能力の獲得なんてもんはない。
よい結果をだしつづければ、「能力がある」と言われ、
悪い結果をだしつづければ、「能力がない」と言われる。
完全なる虚構であり、信念なんだ。

だから、能力なんて、なくたって構わない。
「結果」を直接だせばいい。
あなたが仮に、記憶力が欲しいのなら、
「私に記憶できて当然だ」といった状態に、自分を置けばいい。

慣れるまでは、能力がないことをなげくたび、「しかし、能力など関係なく結果は出る」と、この見解を頑なに採用し続ける。
すると、ある時「自分の能力」と言われるものの限界を突破できる。

勉強や仕事では、この結果がわかりやすい形で出るから、おもしろいと思うよ。

質問者さん
質問者さん

能力について、クレさんの体験談があれば教えてください

達人さん
達人さん

試験関係の体験談では、倍率は8倍程度の、ある資格を取るために必要な試験に、何の勉強もせず受かったことがある。
といっても、その分野に苦手意識が微塵もなかったので、実践上は避けることを勧めます。
60点が最低ラインのはずの試験を、27点なのに合格したとかもあります。

因果律を介在させずに、今の自分を、結果に直結させるということです。

質問者さん
質問者さん

上司が、私に文句を言いたいみたいで、私の仕事にだけ文句付けてくるんですが、見返したいです。

達人さん
達人さん

「因果律」によって、上手くいかない理由を作る必要はないです。
だから『今の自分が、能力を獲得して、結果にでる』というプロセスは必ずしも必要ないよということです。

あなたが自分は能力がないと思っているなら、「なんて能力がないんだーとなる度に、「それでも仕事が上手くいってもいい」と、因果をぶった切ってもいいです。

これは「認定するメソッドというか、単にその世界観や信念のようなものを選択するだけです。
それ以上の意味はなく、別にこれで、あなたが仕事を認められるわけではない点には、注意してほしいです。
因果での縛りを解放することで、望ましい現象化へのルートを広げるだけのことです。

あなたの場合は、ただ結果を出したいのではなく、結果のその先にあるかもしれない「上司を見返す」ことを望んでいるように見える。
誰かに認められたい欲求が強いなら、別の方向からのアプローチもあると思う。

質問者さん
質問者さん

誰かに認められたい欲求が強い場合の、別の方向からのアプローチをおしえてください。

達人さん
達人さん

私の実践で有効だった方法を一つ言います。
「なぜ必要とされたいのか」、自分に問い掛けてみるといいです。

その答えは、「自分は無価値だ」と思っているのではないだろうか。
この前提で話を進めますが、何かのきっかけで、意識無意識に関わらず、自分が無価値だと感じている。
平たく言えば、「認められない存在」、「必要ない存在」だと思っている。

これにより、内面の忠実な投影として、それに沿った現実が展開し、「あの人から必要とされていない現実」、「会社から必要とされていない現実」、「社会から必要とされていない現実」、「親から必要とされていない現実」と、割合を増しながら、どんどん「自分が無価値だと感じられる現実」が展開されていく。

だから、自分が無価値だと感じていることを、「他人に認められている」ことを通じて、「自分に価値がある」と、自分の価値を再確認し、「無価値である」という認定を否定しようとしてしまう。

しかし、それは難しい。
なぜなら、「無価値」と感じさせる現実を作っているのは自分だから、自分が「無価値」だと思っているのに、「価値がある」と思わせる現実が展開する可能性は低いからだ。

確かに、他人の評価を通じて、自分の「無価値」を否定できてもよいが、そうやって変な形で他者に依存している限り、その他者の態度次第で、自分が「無価値」なのか、「価値がある」のか、自分の価値が上下してしまい、その度に、自分の味わう現実が変わる。

それは不毛だから、不毛ならやめること。

まず、自分の認定を変えることだ。
「私は世界に絶対不可欠な存在」であるという事実を、単に知ることであり、そして、他人を通じた自己評価をやめることだ。

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