【体感】「この世界の創造主は自分」他者なんていないということ。いないものが、自分をイメージすることは不可能なんだ。だからこの世界の創造主は自分ということになるんだよ。【シンクロさん】

体感・気づき・方法論
達人さん
達人さん

私は、シンクロニシティーを研究している者です。
道ですれ違う他人については、相手から見た自分も他人である、
つまり、すべてが自分自身であるということだ。
自分という存在を定義するのは、外的要因からでしか成し得ない。
よって、あなたは私、私はあなたである。

青い花を見て、それを青だと定義できるのは他者であり、青は自らを「青」だと定義できない。
花であることも、生物であることも、相対的な関係でしか立証することはできない。
つまり、すべてがひとつの存在である。
すべてがあるから、それぞれを成り立たせることができる、つまり、全部自分だ。

私はシンクロニシティーの日記をつけているが、毎日何かしらのシンクロニシティーがある。
驚きの連続だが、そもそも、日常自体がシンクロニシティーなんじゃないのか、と気がついた。
極端な確率で考えられる偶然の一致は、端的な出来事だけじゃない。
いまここで息をしていること自体が極端な確率なのだ。
つまり確率など存在しない。
この日常こそが望んだ世界であり、それが完全に反映されている。
言い換えれば、世界の変更は可能である。
なぜなら、目の前に広がっているのは観念にとらわれたイメージがそのまま作られたものだからだ。

すべては観念、つまり、思い込みが作用している。
仕事を辞めたら生活できない → なぜ?
新しいことを始めるのは大変 → なぜ?
お金さえあれば幸せになる → なぜ?
なぜそう思うのか、それは、過去の経験や他人から聞いた話などから、そう思うのである。
そういった思い込みが観念だ。
観念が恐怖を生み、物質世界に生きる自らを支配している。
つまり観念を完全に捨て去り、望む世界をイメージすれば、あとはシンクロニシティーが勝手に世界を創造していく。

そもそも観念も、なにもかもが、自分自身が創り上げた妄想世界であり、マネーゲーム本も、般若心経も、曼荼羅も、量子力学もスピリチュアルのなにもかもが、
解釈は違っても、同じことを指している。

質問さん
質問さん

ということは、あなたの言葉は、私が創造したものなんでしょうか

達人さん
達人さん

違う、そうじゃない。
マネーゲーム本の解釈的にはそうなるのかもしれないけど、本質は合ってるけど正しくない。

つまりは、自分を定義できるのは、他者のイメージのみなんだ。
当然その他者、つまり、物でも・人でも・事象でも・時間でも、定義できるのは、それを認識してる自分ということになる。
それらはつまり、すべて「ひとかたまり」の存在ということだ。
見た目にはそれぞれあるけど、例えばミクロ世界だって、原子の結合でひとつの物体が成り立ってることを考えれば理解しやすい。

そして、観念を捨て去ることにより、無限を理解できるようになる。
でも、あなたがこれまで作り上げた観念がどれだけあるかわかるかな?
物や、人や、歴史や、時間や、空間など、あなたが見てる世界のすべてに観念があるんだよ。

それらを全部崩壊させることなんて到底無理だ。
だから現状を変える方向で考えて欲しい。

例えば、あなたの職場が問題ならば、職場内の観念を崩壊させて、その職場にポジティブな新たな世界観を持てばいい。
たったそれだけでシンクロニシティーが発動しまくる。
つまり、理想とする素晴らしい生活環境に近付いていくということだ。

すべての観念を崩壊させることは、「到底無理」といったが、それも観念だから、無理じゃないのだろう。
この世は無限。
つまり、制限など存在しない。

質問さん
質問さん

自分を定義するのは他者のイメージといっていますが、その観念が他者に力を与えるわけだから、一番してはならない事だと思います。

達人さん
達人さん

他者から観たイメージとかそういう表面的な話をしてるんじゃないよ。
例えばあなたが、完全に無の世界にいたとして、どうやって自我を認識する?
相関関係にある人や物、事象などから、間接的にしか、自分を形成することはできないんだよ、そういう話ね。

つまり、自分と自分ん以外のものがあることで、初めて自分が成り立つ。
集合体みたいなものだ。
言い換えれば、自我なんて存在しないのかもしれない。
ということは、あなたの周りにいる、人や物も、すべてあなたである、ということになる。

私が言いたいことは、他者なんていないということ。
いないものが自分をイメージするのは不可能だ。
つまり、すべて自分である。

フラクタル的に考えれば、自分の生活・人生、
100万人の生活・人生、 日本全体の生活・人生、
それらの縦の関係も全部、自分自身ということだ。

知らない人と目の前ですれ違った時、その人も私を知らない、つまり、互いが知らない認識である「ひとつの存在」となる。

赤は自らを赤と認識できない。
外的な認識により、赤と定義される。
つまり外的な認識こそが、その赤の存在。
つまり、横の関係もすべて、自分自身ということになる。
縦も横も、どこまで行っても、自分自身だ。
それが、あなたは私、私はあなたの定義だ。
相関関係というのは、ひとつに集約される、ということだ。

いないものが、自分をイメージすることは不可能なんだ。
だからこの世界の創造主は自分ということになるんだよ。

頭の中で勝手に配置を決めて、勝手に妄想ゲームをしてるだけだ。
さっきの縦の視点で眺めてみると、己の思念のような、意識の蠢きが見えてくる。
世界のすべてが自分だということが理解できる。
さらに、その視点の状態でいると、強烈な安堵感に包まれる。
シンクロニシティーも自分が操作して編み出した幻想だから、なんでも自由自在に動かせることがわかるんだ。

◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法3◆◆
https://ikura.5ch.net/test/read.cgi/esp/1335425055/
895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/28(月) 01:28:58.49 ID:hO1ji1/f

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