【方法論】【ハッ!さんpart2】「思考から幸せを得ようとする行為はムダ」思考から本当の幸せを得ようとすることはできないんです。思考に気づいたらハッって止めて、やめちゃいましょう。

体感・気づき・方法論
質問さん
質問さん

スパッと止められない思考はどうされていたのでしょうか?
自愛したりしていましたが、ちょっと手を焼いています。

達人さん
達人さん

自愛は、とても優れたやり方ですよね、私もお世話になりました。
ただここに、自愛していてぶつかりやすい大きな壁が隠されてます。
許せない自分を許すことを、エゴが根負けするまで続ければいいのですが、その不足が出てくる元凶のエゴストーリーの核心部分って、エゴがわかりにくく隠してるんです。

なので、途中から、アレ、何を愛したらいいの、これはさっき気づいて愛したのに、また不足がでてる、ループしてるかなってなるのですが、核心部分に気がつけば終わります。
でも見えないように隠されてたら気づけないし、終わらないよ、と思うかもしれませんが、この地点に来たということは核心部分はもう近いです。

自愛の、許せない自分を許す視点の立ち位置って、すごくニュートラルな場所なんですよね。
何も意味付けされていない、何も起こっていない場所です。
自愛もハッと気付くことも、実は同じ立ち位置からのものなんです。

私からのアドバイスだと、ハッ、の場所からエゴに乗っ取られても、気づき続けていれば、いずれハッ、の場所の感覚が強くなって、エゴのストーリーはなくなりますが、核心部分に気づければ、エゴからの声は小さくなります。
エゴからの迫真のストーリーが聞こえ出した時に、「そのストーリーを作ったのって誰なの?、なんでなの?」、とか、「そうやって叶わない事で何を守ってるの?」、とか、ただただ「なんで?」、と、好きなように問いかけていました。

なんで?、とか、どうして?、と問いかけてる場所も、エゴからの認知を超えた場所なんで、しっくりくるなら、この方法を併用してみてください。
問いかけた瞬間は、ハッ、と同じく、エゴじゃない場所からの視点になります。
このやり方も、エゴではない領域を採用するという意味では、ハッ、も、自愛も、実はおんなじなんですけどね。
要は試してみて、自分がいかに心地よく感じられるかです。
心地よさを感じられたら、その心地よさを採用し続けてください。

私のいう事をすべて鵜呑みにしないでください。
しっくりくるかどうか、その感覚をどうか大切にしてください。
私も自己観察さんのメソッドを読んで、これだと思ってしばらく続けていましたが、やはり誰かの感覚を文章にしたものと、自分のしっくりくる感覚は違うので、自分のしっくりくる感覚から、ハッ、を見つけて、採用したんです。
自己観察さんが違う訳ではなく、どうか感覚を大切にして、気づき続けてください。
言ってる事はみなさん同じです。

メソッドをただの叶える方法とみなして、願いのために、義務としてこなす事と、自分の感覚から実践して、なにかを掴んで行くのでは雲泥の差があります。
どうかそこだけを気を付けてください、誰もがいつか、必ず辿り着きますから。

というか、メソッドと書くと大層なもののように捉えてしまいがちですが、要は、自分が穏やかに、心地よくなれる感覚があればぶっちゃけ、なんでもメソッドになります。
そしていつかはメソッドからも離れます。

質問さん
質問さん

叶うまでは幸せにならないと思ってしまっているのかな。

達人さん
達人さん

そうです、だから、関連付けを外せば即座に幸せなんですよ。
まず、叶う事と幸せ自体を関連させないことの仕組みについて、私の感覚で書かせていただきます。
108さんの今を感じるメソッドってありますよね。
うまくできると、なんにも目の前で起こってないのに、思考だって止めてるのに、ジワぁーっと幸せで満たされた、穏やかな気持ちになれます。
ここで注目していただきたいのは、何も起こってないのに、何も思考してないのに、幸せになれているんです。

幸せな出来事が今起こっているわけではなく、楽しくなる妄想をしてる訳でもなく、何も起こってないのに、ただ幸せ、これが本来の私たちの属性なのですが、エゴによる思考と思い込みフィルターによって、完璧じゃない世界が展開されているように見えます。

本来の幸せは、思考で感じきれるものじゃないんです。
最高に楽しい時間を過ごしてる時って、あっという間じゃないですか?
後からあっという間だったなぁーとか、楽しかったぁーって思い返してる。
この本当に楽しかった時は、エゴ思考って沈静化してるんですよ。

そうなんです、思考から本当の幸せを得ようとすることはできないんです。
なので、思考から幸せを得ようとする行為はムダです。
そんなものは、思考に気づいたらハッって止めて、やめちゃいましょう。

そして、本来の幸せを感じることで何が起こるのか。
本来の幸せの方が認識しやすくなるので、エゴの思考が沈静化し、不思議と穏やかな気持ちでいつもいられたり、本来の属性が強くなります。
そして、そちらの認識から現実を見始めます。

願いが叶うのも、この思考で認知できない幸せを実感した後に現れているのですが、いかんせん、思考からは認識できないので、願いが叶った事を何何のおかげで叶ったんだ、、だから幸せなんだって、思考が後付けしてるだけなんです。

幸せと願望実現が関連してないというのは、幸せな気持ちがまず先にあって、思考側がその理由を探した結果、瞬時に配達されていた、というのが仕組みなんです。
実感が湧かないうちは信じられないかもしれませんが、とりあえず、幸せと願望実現を関連させないでください、ということです。

質問さん
質問さん

赤い車がほしいとしたらどうするの?

達人さん
達人さん

早い話が、赤い車を見た瞬間、分離を感じない状態になればいいんですよ。
そのためには赤い車を見た時にわぁ、赤い車だー、って程度に感じられるまで、セドナなどで観念をクレンジングするのもいいです。

そうしてこだわりがなくなる=フラットに見られるようになるんで、自然とそれを見たときに、エゴが作る無い世界のストーリーに煩わされなくなります。
そして、フラットに見られるその場所は七章領域でもあります。

私の場合であれば、ぶっちゃけいいなーと思った後、ほっといています。
しいて言葉にすると、その物が自分に与えてくれる豊かさを体感して、じんわりと感じてるうちに忘れていて、気がつけば、あれ、そういえばコレ以前欲しかったわ、って感じですね。

ほっとけば願いは叶うもんなんだよってよしおさんやその他の達人さんがおっしゃってましたが、思考でコネコネする事で、無い立場をずーっと再確認し続けるんで、思考で考えてたらハッ、と気づいて、考えるのをやめてください。
考えてたら叶うもんじゃないんです。
じゃあなんで考えるのやめられないんですかね?
分離の感覚がなかった場合、願望についてほんと、気がつけば忘れてるんですよ。

ところで、達成する方法を手にする事で、あなたは何を制御しようとしてるんでしょうね?
どうして制御したがるんですかね?
制御できてる物を、制御しようと思いますか?
まっすぐ歩けてるのに、歩く方法考えますか?
よかったら自分に問いかけてみてください。
要らないエゴストーリーに、いろいろと気づけると思います。
そして、実はすべてコントロールできていることに気づいた時、メソッドは要らなくなります。

ちなみに達成しようとして、分離から願望達成が行えたとしても、渇望は形を変えてそのまま鎮座しているし、今度は失う恐怖と戦うことになります。
なので、やはり私としては、願望達成に重きを置くより、認識変更に取り掛かっていただけた方が、手っ取り早く幸せになれるし、結果として欲しい物はすべて手に入っている状態になれるので、isaさん風にいうと、早くケニアに行ってほしいということになります。

そして、これじゃ納得されないなら、あえて近いもので、叶えるためのメソッド的な物をいえば、チケットの恋愛に効く「ただ愛に浸る」、というのがあるじゃないですか、あれって対象に対して、枠を持ってるとできないんですよね。
相手に対する思い込み、引いては相手すらも外して、ただただ愛に浸るんです。
「愛に浸る」は、欲しい物になんでも使えると思うんですよね。

私が言っているハッ、は、すべての思い込みを吹き飛ばした先を、一瞬で認識する方法で、愛に浸るのは思考から離れられなくても、ジワジワと枠をゆるくして、枠を無くすやり方で、前も言いましたが、メソッドって結局同じことを言い方変えてるだけで、自愛でもなんでも全部一緒です。
どのやり方でも、しっくりくるやり方をあなたの感覚を大事にしていけば、どうせいつかはみんな同じところにたどり着きます。
なので、とにかく安心して大丈夫なんですよ。

質問さん
質問さん

渇望はどうして分離から生まれるのですか?

達人さん
達人さん

これは私には無いものだ、といった観念などがある場合、つまり、自分とは分離していると思い込んでいるので渇望が生まれるのです。
渇望を持った願望は、無い、手に入らないというのを起点にして思考を展開します。
皆さんが叶わん、叶わんとウンウンと唸っている場合、この状態に入っています。
この場合、バサッと、起点もろとも思考を切る方がいいので、分離に基づいた渇望ストーリーが始まったらハッ、と気づいて降りろ、と書いているのです。

思考さえしなければ、渇望はエサを与えられないので、自然と渇望ストーリーを観る事はなくなります。
渇望ストーリーがなければ、いずれ願望は純粋な意図に変わります。
さて、純粋な意図になった場合、不必要な思考はなくなります。
やりかたを自然に、適切な瞬間に思いついて、すんなり実行しています。

ただの意図になれば、間のプロセスに必要な思考は、自然に発生するのです。
そのあいだのプロセスを用意するのは、分離を元にした思考ではなく、純粋な意図から生まれた思考なのです。
なので、どちらを元にした思考かによって異なります。

ちなみに、これってどっちの思考だろう、とか、普段考えなくていいですよ。
意図から生まれたものは、無心でしている事が多いし、区別をつけて見極めようとすることは、必要のない制御欲求から来るんで、やめた方がいいです。

108以外 質疑応答【10】
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1349890723/
115 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2012/11/14(水) 02:54:39 ID:vRgeA6yM0

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