思考は、すべて無駄だ。
なぜなら、思い通りになるときはなるし、ならないときはならない。
それは、分離の属性なんだ。
思考は、身体・脳に根ざしていて、どちらも無常であり、分離の属性であり、不確かなものだ。
そんなものはどうでもいいんだ。
有益そうな思考をしても、常に現実になるというわけではないし、不幸な想像をしても、常に現実になるというわけでもない。
「すべてコントロールできない」し、「何をやってもかまわない」ということだ。
「すべてコントロールできない」から、「なんとかしなきゃ」とか、「何をやっても構わない」なら、「何が起こるかわからないから、悪いことが起こるかもしれないとビクビクする」というのは、どちらもエゴだ。
エゴには何もコントロールできないが、何もコントロールする必要がないんだ。
エゴは「何もコントロールできない」のに、「何もコントロールしなくていいし、「何をやっても構わない」というのは、どうしてなのかといえば、「それが前提だから」としか言いようがない。
分離の属性のものをすべて退ければ、勝手にそうなるものだ。
そうすれば、「もともとそうだったもの」が現れてくる。エゴ認識は、「認知障害を起こしている状態」みたいなもので、病を取り去れば、健康が勝手に表れてくるんだ。
なので、「思考に妥当性はない」と、言い切ってしまっていいだろう。
「何もすることがない」というのは、「願望実現のために何もすることがない」というのであって、「何もしちゃいけない」というのでは当然ないから、「何をしてもいい」。
その安心感は、「悪いことは起こりえない」、「愛しかない」という、チケット7章の属性だ。
「安心している自分は、いったい何をするだろうか」と、自分に問いかけてみたらいい。
「すでに安心している自分は、何をしているだろうか」と問いかけたり、想像するんだ。
安心しているあなたは、何をしてもいいんだ。
さあ、あなたは何をするだろうか?
エゴの願いも、想像も、身体に根差しているもので、分離の属性なのだから、「エゴの願いは、すべて想像通りに叶う」というのは違うだろう。
「何が起こるかわからないけど、最善のものが与えられる」し、「受け取ることしかできない」という感じだ。
認知の対象となるものに、確かなものというのはないから、何が起こるかはわからないんだけど、最善しかこない。
そしたら、「ありがとう」と言って、それを受け取るだけだ。
認識の変更のみを目指すスレ6
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133 : 幸せな名無しさん :2019/08/10(土) 01:22:23 ptLIrlpw0