【方法論】【自己観察さんpart6】「本当の自分とは、海であると同時に波である自分ということです。」全体と完全に調和した形で、波としての人生を楽しむことができるようになります。

達人part
【方法論】【自己観察さんpart6】「思考や感情に淡々と気付くこと」本当の自分とは、海であると同時に波である自分ということです。大海全体を自分とするか、波だけを自分とするかの認識の違いです。
質問さん
質問さん

ある特定の人の事を思い浮かべると、その人から久しぶりにメールがくるという俗にいうシンクロについて、どう思われますか

達人さん
達人さん

シンクロに意味を持たせたい(関連付けたい)のはエゴなので、逆に理解を妨げることになるんじゃないかと思います。
顕在意識では意識全体の3~5%くらいしか知覚できないという話を聞いたことがあるんですが、ある特定の人を思い浮かべたときに、意識上では最近会ってないなくらいしか思っていなくても、無意識下にはいろんな情報があるんです。

例えば道で知り合いとばったり会う確率は低いだろうとか誰かからメールこないかなとか、その特定人物とは全く無関係の観念とか思いがあるので、そのいくつかの観念とその人物がたまたまその現象として顕れただけだと思います。

質問さん
質問さん

自己観察って肉体の自分を7章の自分が見てるようにするのか、それともただ自分はこう感じてるってことを確認するだけですか?

達人さん
達人さん

両方ありますね、ちょっと肉体とずれる感覚で、後頭部の辺りに意識があって、自分の体を見てる感じのときとか、体のなかにいて感じてるのを確認してるときとかです。
もしかして肉体じゃないオーラの部分とか関係するのかな。

質問さん
質問さん

体調が悪い時に自分を観察するのって難しい

達人さん
達人さん

ちょっとしんどいなー眠たいなーくらいのときは、私は肉体じゃなかったと肉体と意識を切り離す感じにすると楽になれるときもあります。

こないだすごい頭痛がしたときにじっと感じるというのは難しかったんだけど、昔本で読んだのを思い出して、この痛みを10段階で表したらMAX10だな(と目盛りをイメージする)、色に例えたら赤黒い感じだな、形に例えたらトゲトゲの金属だな、とかイメージして、イメージの中で冷やしてみたり、色を薄めてみたり、形を丸っこくしてみたりしながらこの痛みを10段階で表したら・・・とか繰り返してたら、段々痛みが軽くなったりしたよ。

ちゃんと客観視もできるし、気がまぎれる感じもあるし実際に痛みも引いて面白かった。
あとは無理しないで寝るかなあ。

質問さん
質問さん

自分は自分をこの世で一番信用出来ないんだ。
自分を信じるっていうのが、自分にとっては苦痛で恐怖だって気づいたよ

達人さん
達人さん

今までそれが自分だと思ってきたけど、実は自分じゃなかったことに気づいたんだと思う。
だから気づいてなかったときは気にならなかったのに、今はすごく邪魔に感じて辛いんだと思う。
その苦痛や恐怖を必要以上に捕まえないで、(格闘しないで)、放っておいていいよ。
自分じゃないものに振り回される必要ないんだよ。

質問さん
質問さん

自己観察や別の領域って思考や感情を殺した状態と、どう違うか分からない。

達人さん
達人さん

思考や感情を止めることよりも、ニュートラルな自分がいることに気づけたらいいと思う。
リラックスして、自分の内側に意識を向けてみると、静かな空間が広がってるような感じがしないかな

質問さん
質問さん

自己観察や自愛中に眠ってしまうのはアリですか?

達人さん
達人さん

私も別の領域を感じながらいつの間にか寝てることが多いよ。
普段の生活の中であ、こんな自分いたんだなとか気づいたときにそれでも愛してるよって受け入れてあげてるといいんじゃないかな。

本当の自分という表現について、ちょっと誤解を招きやすい部分があるかと思ったので説明します。
本当の自分というと、今の自分のほかに別人格を持った存在がいて、私が○○が欲しいと思っていても、本当の自分が欲しくないと思ってたら手にはいらないのではないか、とそんなふうに思う方もいるかと思います。

本当の自分とは、海であると同時に波である自分ということです。
本当の自分が海で、私が波ということになりますと書きましたが、海と波は分離できないので、大海全体を自分とするか波だけを自分とするかの認識の違いで、どんな人生を見ることができるかが変わってくるということです。

今までは、波の部分としてしか自分を認識できない状態で、自分の思うとおりに波を形作ろうとしてきたのですが、本来大海の一部でしかない波にとって、そんなことは不可能でした。
大海全体が自分であることを認識して生きていくことを受け入れることができると、それまで大きな力に飲み込まれないように自分で何とかしなきゃと苦しんでいたのが、全体と完全に調和した形で、波としての人生を楽しむことができるようになります。

それじゃあ結局自分の意思とは関係なく、波の形を変えることができないのか?
ただあるものに満足するということなのか?という疑問があると思います。
それは、今までの認識だと劣化したモノクロ世界にいたのでないと思い込んでいたようなもので、それが鮮やかで濃密な色彩でもって世界を見ることができるようになるので、今まで見えなかっただけで全部あったことがわかるようになるということです。

大海にはもともと意思はありません。
空とかゼロとか無とかで表現されますが、ただ在るだけの純粋な意識体で、空気みたいなものです。
あまりエゴが活発でないとき、例えば自然に触れてるときとかリラックスしてるとき、自分の心の中に静かな空間(感覚)が広がっていることを、なんとなく感じることができるのではないかと思いますが、その自分の内的な意識空間が、肉体を媒体としてこの物質空間にそのまま広がっています。
自分の体が、意識と物質を転換する装置です。

私という肉体を通して、本来は静かで空気みたいにニュートラルな意識体である空間を見てるだけなんですが、様々なフィルターを通して見ているので、現実にいろいろ起きてるように見えます。
つまり、目の前に広がってる空間、視界に入るすべてのものは、全部フィルターを通したあなたの意識体です。
私=世界です。

肉体が媒体となって、観念を振動として空気中に伝え、その振動が電気信号として眼球に伝わり、脳に伝わり、そこで作り出した3D映像を現実として認識しています。
物を触って感触を確かめられるのも、ただ脳でそう処理されてるだけです。

なので、自分の観念以外に自分の願望や意思を妨げているものはありません。
世界=私の意識が物質化したものなので、願望という概念自体も本当はありません。
○○が欲しいというフィルターをつけていながら、たくさんの矛盾するフィルターをつけてるだけです。
大海全体が自分である本当の自分として生きるとき、それらの矛盾したフィルターは無効になります。

それらのフィルターはないことを前提にしないと維持できないものなので、自分が望むものがすべてあることが実感できると消えてしまうのです。
これは自然に気がつかないうちにそうなる人もいると思うし、突然世界の見方が変わったことがわかる人もいるのではないかと思います。

自分の世界にあるものが本当はすべて自分のものであるのに、それは自分のものではない他の誰かのものだというフィルターを通してみることによって、それは他人の所有物として世界に登場することになります。
本当の自分を認識できるようになっていくと、それらの制限フィルターが段々少なくなっていって、自分のものであることがわかるようになってくるので、望むものが手に入りやすくなったりするのです。

なので、本当の自分と今の自分を違う存在のように思ってどうやって願いを叶えて貰うかとか、別の領域に立ったときに願望をちゃんと意図しなきゃとか考える必要はないのです。
本当の自分は、今の自分、つまり、(ないことを前提にして願望を巡らせている自分)よりも、包括的に物事を把握しているのです。

実際には、昨日までなかったものが今日突然出現したというような、前後の繋がりのない事態が起こることは殆どないと思いますが、自分のものになっていくプロセスも、自分や周りの人にとって自然で納得いく方法で全部整えてくれます。

そしてそれは限られた範囲のことしか想像できないエゴ(思考)では予測できません。
エゴは自分の経験や他人から聞いた話しかデータがないので、それ以上どこにも探すことができなくてぐるぐる停滞するしかありません。
本当の自分はそんなとこに興味ないのです。
本当の自分は、もっと自分の壮大さに気づいて知覚できる範囲を拡大していきたいのだと思います。

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