手放しをしていたら、ふと気付いたことがありました。
この話が少しでもお役に立てたら嬉しいです。
私はいつも友人と、お互いに日常の愚痴を吐いたり、相談をしていました。
その際、友人も私も「これがこうだから、こうなっていて、もう嫌なんだ、どうしよう」・というように話すのですが、友人の悩みを聞いているときに、「何を言ってるんだろうか、何も困ったことではないと思うんだけど、考え方の違いかなぁ」と思っていたのです。
そういう話というのは、たいてい、過去から掘り起こされた何かが付随していました。
そして、私自身もまた、同じように、「過去にこういうことがあったから、こういうふうにしたいんだ」ということを話しては、友人を困らせてしまっていました。
それが最近、手放しを続けている中で、「あの時、あの人があんなことを言わなければなあ」と思い浮かんだときに、「あれっ」と思って、一瞬、何が重要なのかが理解できない、「友人の愚痴」とダブって見えたのです。
それならば、自分も友人からは、私が感じたのと同じように、他人には訳の分からない愚痴を言っているのだろう」と思って、「他者視点の「自分対自分」で話をしてみたのです。
すると、既に過ぎ去ったものや、事柄、言葉を、今でも反復して「グダグダと悩んでいる自分」がいることに気づきました。
それはまるで、「いつまでも生ゴミの袋をたくさん抱えて歩いている自分」です。
そして、その生ゴミを一つ一つ出して、自分にこう尋ねて行きました。
「これはもう一生使えないけど持って行くのか」、「これは重いけどどうするのか」、「例えば、ゲームでレベル50なのに、レベル1の武器を使いますか」、と尋ねました。
私が持っていた願望に、「欲望」がくっついていたので、それも洗い出しました。
「あの人を見返すために、これを達成するとして、この罵詈雑言を吐いた人は、今自分のことを同じように考えているだろうか、ましてや、同じ町に今もいるかどうか、覚えてるだろうか」と尋ねました。
その瞬間、「分からない」という答えが出たのです。
それから、願望の「動機」が、「欲望」以外の願望のみを残すようにしました。
「一生自分以外には見えない、この生ゴミは必要かどうか」と問いかけると、「いらない」という結論になったので、一気に手を放しました。
すると、心がとても軽くなり、「自分が見ている世界は、自分だけが見えている」・というように感じました。
妙な言い方ですが、自分の視点や設定で、自分が見ている世界はどうにでもなるように感じました。
私のように、他者視点の自分を一時的に作って、自分を見てみると、何か分かるかもしれません。
私も似たようなことを考えていました。
私も、友達がよく愚痴をいうのです。
「いかに自分が大変な立場で、今どんな問題をかかえているか」ということを言うのです。
でも私からみたら、全然問題でもなんでもなくて、必要なものは充分そろっているし、むしろ恵まれてないか」と思うのです。
それこそ、わざと不足をつくりだして、もてあそんでいるのです。
まるで、「私は大変だ」というゲームをしているかのごとくです。
そして、それは私も同じであるということに気付いたのです。
私もいつの間にか、記憶に基づく不足を背負い込んで、「あーでもない・こーでもない」と、ゴミとたわむれていたんですよね
それに気づいた途端に、笑い転げてしまいました。
自分がみている世界」は「鏡」です。
そして、すべてはひとつなんですよ。
すべて自分の分身で、同じ根っこから生えてるんです。
わかってはいたんですが、今までなかなか実感できませんでした。
そのことを意識して過ごしていると、会う人会う人が、きらきらした笑顔を見せてくれます。
潜在意識を使いこなす達人が集うスレ
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9650/1249325024/-100
893 :幸せな名無しさん:2010/12/09(木) 15:49:23 ID:dhBaMVBMO
894 :幸せな名無しさん:2010/12/09(木) 17:09:13 ID:bahmBA8M0