自己観察してチケットを読んだら、凄いことに気付いてしまった。
何故叶わないか、何故同じループをしてたのか、そして、チケット七章は正しかったと分かった。
願望は全て叶うんだ、というか叶っていた。
気付いたことを、他の人にもシェアしたいので、気づいた事を言います。
何かが欲しいって事は、その元になる物が「ない」っていう前提になっているんだ。
つまり、お金が欲しい、幸せになりたい、愛されたいっていうのは、その前提として、お金がない、幸せじゃない、愛されてない、ってなってしまっているわけだ。
そこでアファをやったり、現実的行動したり、自愛やったりして、手に入れる為に何かすると、叶ったり叶わなかったりする。
愛されてない、という前提から、メソッドをしても、愛されてない、という結果になる。
お金がない、という前提から、メソッドをしても、お金がない、という結果になる。
幸せじゃない、という前提から、メソッドをしても、幸せじゃない、という結果になる。
つまり、途中経過がどうあろうと、実際にそれを手に入れたか入れてないかに関わらず、前提として持ってる「ない」が、結果として叶ってるんだってわかった。
それに七章を適応すると、七章では「全てある」って前提になる。
お金がある、愛がある、幸せである、全てあるって前提だと、そもそもあるんだから欲することはできないし、既にあるから、何もすることはない。
全てある、という前提なら、全てある、という結果になる。
愛がある、という前提なら、愛がある、という結果になる。
お金がある、という前提なら、お金がある、という結果になる。
幸せがある、という前提なら、幸せがある、という結果になる。
このように、過程をすっ飛ばして、結果と直結してるから、叶える事はできないし、欲することはできない。
前提があるなら、「ある」が結果として叶うというのがわかった。
よしおさんが「関係ない」って言ってたのはこういう事かって腑に落ちたし、「叶わない」を「叶えてる」ってのもわかった。
ループしたり、何かやっても叶わないっていうのは、前提が「ない」だから、結果の「ない」を叶えてる。
だから、「ある」って認めるだけで終わりなんだというのが分かった。
クレさんの「なる」も同じで、前提を変える事、認識の変更が必要なんだってわかった。
なったら、間のプロセスは本当に関係ないんだ。
だって前提が結果と直結してるんだから、本当に関係ない、なったら終わりだ。
自分の前提、つまり認識が、今の現実である結果を作ってるっていう事だから、認識の変更というのは、結果を前提に変える事、変えることができるという認識に、変更することじゃないかと思う。
だから、出来る人達はみんな、前提を「ある」にしなさいと言うんだよね
でも出来ない人達は、前提を「ある」に出来ないんだよね
そして前提を「ある」に変更するためのメソッドがたくさんあるんだよね
でも、本当はメソッドなんていらなくて、今から私は前提を「ある」にする、と決めるだけでいい
決めた事を、後からゴニョゴニョと「出来ない」とか言い出すのは、自分で覚悟を決めてないからだよ。
小学生が夏休みの宿題はサボらず毎日やる、と決めたところで、覚悟を決めてないから、言い訳して結局やらないのと同じだよ。
自分もずっとそうだったけど、これも必要な過程だったんじゃないかと思う。
だってその過程を経ないと、何やっても叶わないって気づけないからね。
チケットでも、6章までは色々効果がある事を見つけて取り組むけど、叶わないの繰り返しで、同じ内容なんじゃないかと思う。
だから最後には、願望実現の為のチケットすらいらないから、最後にチケットを捨ててるんだというのがわかったよ。
必要ない過程なんですが、必要な過程でもあるんですよね。
いろいろやり尽くして、スタートとゴールは同じ場所だとやっと気付くんですよね。
チケットを捨ててようやく、潜在意識を卒業する事ができそうです。
これに気付いた時は嬉しかったし、舞い上がるような気持ちだったのですが、今はただ心が静かなだけです。
肩の荷が下りたって感じでもないんですよね、実感があまりないからなんでしょうね。
ループしてる人の参考になったら幸いです。
適応できてるか分からなくても、「既に全てある」を前提として見てください。
その中で気付く事もあるし、なってないじゃないか、全然ないよって思っても、そこで何かに気付くことも、必要な過程なんだと思います。
潜在意識に限らず、人は何でも最短距離を歩きたがるし、他人にもそれを強要する傾向があるから、気をつけた方がいいと思う。
「ある」に気がつくのも、運動とか勉強に近いものだから、さっとできないなら、練習して、すこしづつ変えていけばいいだけだと思うんだ。
だからこそ、自愛とか瞑想とかセドナとかがあると思います。
チケットの一章と二章は、潜在意識の力があるんだ、っていう認識になる為のものだし、その道を通るのは必然なんだと思う。
でも一章から七章に至るまでの道のりってのは、エゴの内側でやってる事なんだよ。
自分も、自愛とか、セドナとか、快になるにハマってたんで分かるけど、とにかく目先の安心にかまけてて、「願望実現してないけど、安心してるからいいや」って目を逸らしてたんだよね。
とにかく今やれる事があるとエゴが安心するんだよ、でもそれらは、願望実現に全く関係ない。
セドナも自愛も快も、全く関係ない。
何かやるって時点で、「何かしないと叶わないっていう前提」なんだよ。
だから達人が言ってるのは、最短距離じゃないんだよ、答えは一つしかないんだ。
達人はみんな同じ事言ってるんだよ、そのまま答えを言ってるんだよ。
それに距離があるように感じるのは、自分が答えから遠ざかってるんだよ。
七章は書いてある事そのままなんだ。
だから、とにかく7章を適応してみな、やってみな、って話になるのは仕方ないよ。
自己観察してチケット読んだら気づいたそうですが、その時にピンと来たんですか?
本当にたまたま、いきなり思い付きで、チケットを読んでみたくなったんだ。
でも読む前に、いつもより自分にプラスになるところを見つけよう、って思ってから読んだんだ。
読んでいたら、七章を読んでる途中に、突然気づいたんだ。
元々自己観察をしてて、ネガティヴの動きに気付いてて、心は平穏だけど現象化はしないな、と思っていて、その答えを知りたいとは思ってたけど、その為にチケットを読んだわけじゃなくて、本当にたまたま、何か新しい発見があれば良いなー、とか思ってた。
1章~6章を経てから7章が分かるのではなく、そのまま7章ということですか
どの道を通っても、行き着くのは七章だ。
その間のプロセスは、必ずしも必要じゃない。
何かをしたり、何かの道を通ったから行けるわけじゃないって事ね。
間の事は全く関係ないんだ、前提が大事なんだよ。
つまり、エゴ目線でも分かりやすくいえば、7章が分からなかろうが、実感がなかろうが、七章はそれを適応するかしないか、というだけの話なんだ。
後は、間に何かプロセスがあるかもしれないけど、それは結果に関係ありそうに見えるけど、何も関係ないんだ。
通る道に関係なく、結果は前提と繋がってるんだ。
7章は何回か読んで、まとめも読みましたが、結局分からずじまいでした。
まとめを読んで、何かが理解できたから7章に辿り着けると、そう思っていましたが、そうじゃないんですね。
わかるとかわからないとか、体感したとかしてないとかに関係なく、7章を適用するかしないか、それだけなんですね。
そうだね、それで結果までの間に、何かに気付いたり、また分からなくなったりするかもしれないけど、でも結果が見えているから、安心して取り組めるでしょ、そのうち答えもわかるよ。
この板を卒業する人が結論を書き込むスレ2
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66: 幸せな名無しさん :2017/08/01(火) 19:39:27 ID:CzTe2Z5I0