【方法論】「無我夢中に今を生きる」夢を得るために無我夢中に今を生きるのではなく、ただ、無我夢中に今を生きるんだよ。つまらないと思うことや、退屈だと思う毎日にこそ、集中する必要がある。【詭弁さん】

体感・気づき・方法論
【方法論】「無我夢中に今を生きる」夢を得るために無我夢中に今を生きるのではなく、ただ、無我夢中に今を生きるんだよ。つまらないと思うことや、退屈だと思う毎日にこそ、集中する必要がある。【詭弁さん】
質問さん
質問さん

潜在意識では、「願望が叶った世界」に私達はいるのだから、不安になろうが心配していようが構わないんです、と言われていますが、それなら、何で今まで叶わなかったんでしょうか?

達人さん
達人さん

「何何したい」と思った時点で、必要な材料は全てあるので、それは必ず現象化する。
それなのに、なんで実現しないかっていえば、願望に「抵抗」していればそれだけ現象化は延期する。
「抵抗」が強ければ永遠に叶わないこともあり得る。
だから願望が叶わないのはなぜかというと、頭でごちゃごちゃ考えて、実現に抗いまくってるからだ。

大事なのは、思考は抵抗しかしていないことを知ること
極めて今に集中することで、抵抗は自ずとゼロになる。
抵抗がゼロの状態で、ほっとけばそのうち現象化する。


極めて今に集中するっていうのは、何でもいいから無我夢中になれることをやるだけでいい。
成功や失敗、勝ち負けを気にせず、目的も何もないが、集中できることに時間を使えばいい。
そのとき、人は完全に充足している。
あらゆることへの抵抗がゼロになっている瞬間だよ。

ただ、これも何度も言うように、願望は、更なる願望を呼ぶ。
その上で、実現能力が上がれば上がるほど、渇いた器を満たせる麻薬は少なくなっていって、ついには無くなってしまう。
麻薬に依存したままそうなってしまっては、最後に待つのは、堪え難い苦しみだ。

だからこそ、叶えることを目的として今に集中するのではなく、ただ今に集中し、アーティストとして生きていくことを私はオススメしている。
その中で、結果的に願望が叶う方が、私は良いと思う。

刺激なんてものは、普通に考えれば、どうしたって慣れるし飽きるだけだ。
そこで普通は、次の刺激に行くことを選ぶだろうが、そこでそれをやめればいいだけだ。
永遠に、今ある竹とんぼや、めんこ、まりで遊び続けると誓えばいいんだよ。
もう他の新鮮なもの、例えばPS4や最新ゲームを求めないと誓えばいいんだ。

今ここから外れないことを誓えばいい。
未来に、より良い夢を抱くのをやめればいい。


あとは、未来により良い夢や希望を持たなければ、結果的には未来に追いやっていた夢や希望が今に流れ込んでくるのは当たり前の話なんだよ。
流れ込んでくるというのも変だが、流れ込んでくるものは仕方ないんだよ。
でも、流れ込んで来たとしても、それも今にあるものとして並列の扱いをするだけなんだよ。
めんこやまりにPS4が加わっただけだ。

ただ、これをPS4を得るためのメソッドとして捉えられても困るんだよ。
それはあくまでも「結果的に得られるもの」であって、本当にどうでもいいものだからだ。
めんこやまりと同列のものだ。

夢を得るために無我夢中に今を生きるのではなく、ただ、無我夢中に今を生きるんだよ。
今を生きるのが最も尊いことなのに、それが願望実現の手段になってしまったら本末転倒だよ。

質問さん
質問さん

無我夢中になれるものっていうのは、資格取得の為の勉強でも良いんですか?

達人さん
達人さん

無我夢中を疑似的に体験するには、例えば、何の目的もなく、限界ギリギリまで息を止めてみるといい。
本当にちょっと試すだけでいいんだけど、限界ギリギリ、一杯一杯の時って、何も考えられないと思うんだよね。
苦しさのことに全神経が行くと思う。
その時、苦しさを感じてる私と、苦しさの区別もなく、ただ、「苦しさ」だけが今にあるんだ。
無我夢中というのは、そういう状態かな、とにかくそれだけに集中してる状態、それだけがある状態。
窒息しない程度にやってみれば、無我夢中、即ち、今にある状態ってものを疑似的に体験できると思うよ。

でも、今を生きるのが最も尊いことなのであって、それが願望実現の手段になってしまったら本末転倒だ。
無我夢中になるのは、願望実現の手段ではない。
それ自体がとても尊いことだ。
だから、資格の勉強に無我夢中になれるなら、それも大いにありだよ。
でも無我夢中になれることってのは基本的にストレスが溜まる要素はゼロだから、そうじゃないなら、少し違うかもしれないね。

今を生きる、アーティストとして生きるには、ある程度段階的にやるといいかもしれない。

その1,まず、意識(思考)の対象を未来や過去から今に引き戻す。
おそらくこれは、自己観察というものにも近い。
今起きていないことから、今起きていることに思考を傾けること。
この時点では思考が働いているから頭でごちゃごちゃするかもしれない。

その2,五感に全神経を集中する。
これが今に極めて集中した状態で、頭から五感にウェイトを切り替える感じ。

その3,対象との一体化を目指す。
これは、頭で、自分と世界が一体だと考えるのではなく、対象に無我夢中になるという意味だ。
五感に集中しながら、うまくやろうとか、頭を働かせず、ただやること。

その4,それと一体化する、つまり、無我夢中の状態。
五感の集中と、今へ向けられた意識すらもなくなり、それと一体化するイメージだ。

という感じで、4に近づくほど、今に近い状態で生きていると言える。

4の状態で常時いることは不可能なので、とにかく今に意識を向けつつ、五感に集中し、目の前のことをやるように心がければ、自然と今を生きる割合が多くなるはずだ。

今を生きる割合が多くなれば、見慣れ飽きたはずのそこに、面白みや根拠不明の無条件の充足が見出せるようになる。
それは刺激とは違う、極めて穏やかなものだ。


願望実現のテクニックではなく、見飽きためんこや竹とんぼを楽しむためのテクニックとして参考にして欲しい。
今に集中することは、叶える方法論としてもありなんだけど、そういう視点で捉えないで欲しい。
何を書いても、どう注意書きをしても、叶える方法論として捉えてしまう人が、少なからずいるように見受けられる。

前にも再三言ってるけど、今にあること自体が尊いのだ。
目の前のことに無我夢中になれることがものすごく尊い、素晴らしいことなのであって、願望云々はその結果もたらされる「おまけ」なんだよ。

最初のうちは願望実現のために今に集中してもいいけど、今にいることの素晴らしさ、充足、心地良さに気付いてもらって、徐々にでもいいからそちら側にシフトして欲しい。
いつまでも麻薬に溺れていてもいい事はない。
何かを叶えたいという気持ちが沸き起こること自体、麻薬に足を取られる合図のようなものだ。
そして、願望実現のためにやることは、麻薬を得るためにやるのと同じこと。


何かを叶えるためでなく、ただ、目の前のことに集中するんだ。
とはいっても、いきなり麻薬をスパッと辞めるのは無理があるだろうから、タバコと同じで少しずつ本数を減らしていくんだよ。
何事も、集中すれば今と一体となる。
もっと日常的な言葉で置き換えれば、それは「フロー体験」というやつにあたる。
スポーツで言えば「ゾーン体験」かな、要するに、純度の高い今の体験だよ。
今の純度が高いほど、それに比例して高い充足感を得られる。
何の思考も使わないようなことが、その状態に入りやすいだろう。

そして、基本的には、つまらないと思うことや、退屈だと思う毎日にこそ、集中する必要がある。
刺激に満ちたことは、そんなことしなくても誰だって集中できる。
集中していれば、充足感を得られるから、人はそれを得るため躍起になる。
つまり、多くの人は、充足感が、「刺激がないと得られないもの」と錯覚してしまっているから、自然と刺激を求めてしまうんだ。

でも、願望実現と充足感が結びついてしまうということは、その構造の中にハマってしまっているということ。
それに慣れ切った身体は、刺激でしか充足を得られなくなってしまう。
その考えでいる限り、充足は一時の快楽にしかなり得ない。
なぜなら、刺激はどうしても慣れてしまうものだから。

でも、本来充足は何をしていようが今に集中さえすれば得られるんだ。
そこを正す事こそが、メソッドで目指さねばならない、真の、ただ一つの到達点なんだよ。
だからこそ、つまらないと思うことや、退屈だと思う毎日にこそ、集中する必要がある。
そこに充足を見る必要がある。

私がこの話で問題としているのは、麻薬、つまり、刺激や願望実現でしか充足を得られないと錯覚することなんだよ。
永遠に今にいろとか、永遠に今に集中し続けろとか、願望無視して植物人間みたいになれとか、仙人になれとか、霞食って生きろとか、そういうことではない。

大切なことは、今に集中することで、刺激の有無に問わず、充足は得られる、ということを知ることなんだ。
そうすれば、願望に必要以上に執着することもなくなり、願望は軽い意図に昇華するんだよ。

目的としていた充足は、現象に関わらず今に集中することで得られると分かれば、願望は充足を得るただ一つの手段ではなくなる。
充足はいつでも得られるから、願望はあってもなくても良い程度のものになる、「おまけ」になる。

だからこそ、願望に対しての抵抗も弱まるし、願望に対してあれこれ考える時間も減るし、ストレスも減る。
今にある時間が増えれば抵抗ゼロの状態も増えるから、現象化のスピードも上がるし、そんなことも気にならなくなる。
ベースにあるものが充足だからこそ、願望に振り回されることがなくなるんだよ。

例えば、いつか飲みに行くこと、つまり、いつか願望を実現することが刺激だとして、仕事をしている状態、つまり、願望が実現していない日々が今だとしよう。
簡単に言えば、いつか飲みに行くことをモチベーションとして、仕事を嫌々と、退屈に、怠惰に、漠然と頑張るのではなく、仕事は仕事でそれに集中すればいいんだ。
それで仕事が楽しくなれば、今が充足して、どうしても飲みに行きたいとはならなくなる。
でも、飲みに行くなとはいってない。
巡り合わせでいつか飲みに行く時が来たら、それはそれでそれに集中して大いに楽しめばいい。
いついかなる時も、今を蔑ろにしないように心がければいいよ。

充足が、願望の実現による刺激を伴ってしか得られなくなってしまうと、願望が叶い尽くした先には、あなたを満たすことができるものは何一つなくなってしまう。
全てを得られることが当たり前になれば、刺激らしい刺激がなくなるからね。
その認識で突き進めば、最後に残るのは虚無感だよ。

そして、せっかく得たものも、もう新鮮さがないからと言って、ふいにしてしまいかねない。
かつて焦がれたものに興味が持てなくなる気持ちは、誰でも一度は経験があるだろう。
埃をかぶっているおもちゃ、人形、本など、かつて焦がれて、いつしかどうでも良くなったもので満ち溢れている。

だから、私が言いたいことは、今に集中することで、願望の実現でしか得られないと思っている満ち足りた気持ちが、根拠なく得られるということだよ。
常に、永遠に今に集中し続けてください、とか、願望を持つな、とか、そういうことを言いたいんじゃないんだ。
常に完全に今にいるというのは、言い換えれば常に熟睡するのと同じだから、そもそもそれは不可能なことだ。
思考したり、空想する時間もあっていい。
あまりにも今にいない状態から、今にいる時間の割合を増やしてバランスを取るんだよ。


私がこのような話をしているのは、あなた方に、願望を死に物狂いで追いかけるより、「今にいるのもいいかもね」と思ってもらうためなんだ。
願望実現のループを少しでも馬鹿馬鹿しいと感じて欲しいからなんだ。
そうし向けている、というと聞こえは悪いけど、要は、パチンコをやめさせるように、心を折ろうとしているんだよ。
そうすれば、未来や過去にさまよいゆく心が静まり、今を少しずつ見ようとするでしょう。

いきなり一挙手一投足に気を配って、実際にその充足を体現して欲しいとは思ってない。
正直、それはとても難しいことだからだ。
禅や茶道や武道など、その道の奥義にも通ずるからね。
それに、好きなことに無我夢中になってる時は、それに近しい状態にはなっているから、そこに後から気付くのは誰だってできるからだ。

今にいるととんでもない充足があるぞと期待してしまうのが一番良くない。
期待すると手からこぼれ落ちてゆく。

だから、今の充足を体験するために、余計なことは考えないで良い。
「願望実現のループはくだらないなぁ、普通にやっていこう」っていう気軽なタッチで生きていれば、ある時ふっとそれが体験出来たりするものなんだよ。
自転車だって、ある時ふっと乗れるようになっただろう、そんな感じかな

潜在意識を使いこなす達人が集うスレ23
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9650/1389975040/
626 : 詭弁 :2014/02/10(月) 00:51:46 UqoHSAPU0

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