【気づき】「一番欲しかったのは”私”」あらゆる「不足」なんてものは、そもそも「無い」んじゃないかって思ったの。「本当に欲しかったもの」、つまり「私」は、ずーっとずーっと、ここにあったんです。

体感・気づき・方法論
達人さん
達人さん

私は、引き寄せの法則を長い間実践して、それなりに、お金も幸せも引き寄せたと思っています。

でも、「なんかもういいや♪」って思えてきました。

私が引き寄せの法則を実践して、お金を得たときに感じたのは、「ありがたいなー」とか、「嬉しいなー」っていう、「自分の感情」だったのね。

独り身だった私に、恋人が出来て、結婚して、子供が生まれて、その度に「嬉しいなー」とか「幸せだなー」って感じたのは「自分の感情」で、他にも色々な出来事があったけど、その度に私は、「自分の感情」に向き合えて、「幸せ」を感じられていたのね。

すると、この世界に現れる「お金」とか、「恋人」とか、「幸せ」っていうのは、「自分と向き合う為のキッカケ」でしかないんじゃないかって思えてきたの。

「お金」を得て「自分と向き合う」ためには、その準備段階として、「お金がない」という状況がないと、「お金」を得たときに、「私が「自分と向き合う」ことができないから、そういう意味で、あらゆる不足が用意されてしまうんじゃないか」って思ったの。

そういう意味では、あらゆる「不足」なんてものは、そもそも「無い」んじゃないかって思ったの。

そして、次に私は、「お金」とか「幸せ」とか、「自分と向き合う為のキッカケ」を求めるのではなくて、その先にある、「自分と向き合う」ということ、いわゆる「自愛」のようなことを、「先にやってみたのね。

そしたら、私があれだけ求めていた、「嬉しい」とか「幸せ」とかは、もうそこにあったのね。

だから、「幸せになるために」求めていた「お金」は、もう求める必要もなくなったのに、求める必要のない「お金」が、「求めていたときよりも多く頻繁に入ってくる」という、不思議なことになってしまったの。

私がずっと長い間、引き寄せの法則を使って手に入れようとしていたものは、「お金」や「恋人」、「高級車」や「タワーマンション」だと思っていたのだけれど、それは、「私自身」が、「私」を振り向かせるための手段でしかなくて、「私自身」が本当に欲しかったものは、どうやら「私」だったようです。

「本当に欲しかったもの」、つまり、「私」は、ずーっと・ずーっと、ここにあったんです。

すごく遠回りをしてしまったような気がしますが、今となっては、その遠回りすら、私たちの素敵な思い出となっています。

これからは、あくまで「趣味」の範囲で、引き寄せの法則について関わっていきます。

なぜなら、それを「求める」必要がないことが、私にはわかってしまったからです。

質問さん
質問さん

幸せを求めなくなったら、つまり、自分で自分を満たせるようになったら、向こうから幸せがやってくる」ということは分かるんですが、私はまだ刺激を求めてます。
「ない」から「ある」に向かう「ダイナミズムが、幻想ということが分かっていても、その快感に病みつきになっています。

達人さん
達人さん

私もあなたと同じく、「刺激」が大好きですよ♪

あなたと少しだけ違うかも」と思うところは、私は、「どうしようもない私自身でいいや♪」って、今は思えているんです。

以前の私は違いました。
引き寄せの法則を学んで、「正しい」やり方や、考え方を学んで、「私自身」を、「矯正」するような態度で臨んでいたのです。

だけど、皮肉なことに、「これではいけない」と、思えば思うほどに、「私自身」は、「刺激」にのめり込んでいって、「私自身」を「矯正」した、引き寄せの法則を実践すればするほど、金銭的にも、仕事や人間関係の面でも、まずいことになってしまったのです。

そこから、気付きを経て、今では「そんな自分でもいいんだよ♪」、「その結果、引き寄せられなかったとしても、私は、「私自身のそばにいるからね♪」みたいな態度で、「私自身」に接していて、「私自身」もそれを感じ取っているから、「刺激がほしいんだよー」っていうふうに、無理に騒ぐことがなくなった、というような感じです。

さらにいえば、「私自身」が「刺激」が好きなこともわかっているので、急に入ってくるお金を見て「やったあ、引き寄せ成功じゃん、すごーい、最高!」とかも、たまにやったりもします♪
わざわざ、「無い」状態を作ることで、昔のような苦しさを味わうことは、もう懲り懲りなので、やらなくなりましたけどね♪

要するに、「刺激が好きでもいいんだ」と、私は思っていますよ♪

質問さん
質問さん

自愛をされていたという事ですが、具体的にはどんな事をされていたのでしょうか?

達人さん
達人さん

「私自身と向き合うこと」、そして、「私自身の全てを赦す」、ということですね。

最初は、「お金がなくて苦しい」と思ったら、「そうだね、苦しいね、わかっているからね、苦しいね」みたいな形で、「私自身」の心の声のようなものに、ひたすら向き合っていました。
「こんなことを思っていてはダメだ、前向きにならないと引き寄せられないんだ」みたいに、拒絶をしないようにしていました。

そのうちに、苦しさが落ち着いてくると、「お金がない私なんて」ダメな人間だ、人に迷惑もかけてるし、生きている価値なんてないんだ」というように、「私自身」の声が、自己否定的な主張に変わってきたので、「そっかあ、キミはそう思っているんだね、私には伝わっているからね、キミがお金がなくても、ダメ人間でも、人に迷惑をかけていても、たとえ生きている価値がなかったとしても、私はキミを愛しているからね」というふうに、「私自身」に、心の中でひたすら語りかけて、「私自身」を、ひたすら赦し続けていきました。
「お金がないことを赦す」というより、そういうふうに思って「嘆いてしまう自分を赦すような感じです。

ときには、「私自身」を上手く赦せなくて、悩みかけることもありましたが、そんなときは、「私」に対して、「上手く愛せないんだよね、難しいんだよね、それでいいんだよ、上手くできなくても、私はそばにいるからね、それでいいんだよ」っていうように、私よりもひとつ大きな立場から、「私自身」を愛するようなことを続けていました。

それを続けていくうちに、不思議な感覚を覚えました。
まるで、「世界から愛されているような感覚です。
「ここにいていいんだ」という、何とも言いがたい、圧倒的な安心感です。
そして、多くのお金や、時間を費やさないと得られないと思っていた、「幸せ」というか、「至福」の感情を、いつのまにか、その瞬間に、すでに感じていたのです。

質問さん
質問さん

達人さんたちが体験している、「圧倒的な安心感」とか、「不思議な感覚」を、私も感じてみたいです。

達人さん
達人さん

私が感じているのが、達人さんたちのそれと同じなのかはわかりませんが、私の感覚としては、「すごい、幸せ、最高!」というような、天にも昇るような感覚」というよりは、「そっかぁ、最初から何もいらなかったんだ♪」というような、地に足がついた感覚でした。

上海雑伎団スレ【第六十三幕】
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1582050730/
645: もぎりの名無しさん :2020/12/12(土) 14:51:23 ID:MvYRWZS.0

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