【方法論】【詭弁さんpart16】「百発成功は、あなたが潜在意識そのものとなるようなもの。」百発成功は、使いこなすものではないんだ。その力を使いこなすのは、百発百中だ。

達人part
達人さん
達人さん

百発成功について、説明する。
百発成功というのはね、まず、自分(思考)が実現に対して、全ての抵抗をしているということを、自分(思考)で知り、で、そのあと、無我の位置を目指すことを言う
(この言い方はちょっと語弊があるが、実際そう)。

例えば呼吸。あなた方は普段どうやって呼吸をしているかわかるかな。
呼吸を意識した時だけ、自分であれこれやらないと呼吸が出来ないでしょ?

でもしばらくすれば呼吸への意識が完全に抜ける。
呼吸への意識が完全に抜けてる時ってさ、その時自分が呼吸してたかどうかすら、記憶にないでしょ?
でも、記憶にないけど、ふと意識を向けたら、なんかよくわからないけど実現はしてるよね。
「あ、私、息してたわ」って。

それが百発成功、無我の極致。
だから、まず、当たり前のように実現していること(歩く、寝る、口を動かす)に対して、そこに思考が介在する余地、叶える余地はあるのかどうかを考えてほしい。

あなた方は、実はこれを部分的に体現出来ている。
例えば、子どもの頃、「自転車に乗れる」ように頑張っただろう?
これは、最終的に無我の極致を目指したものなんだよ。
今は何も考えなくても当たり前のように乗れる(叶えられる)だろう。

潜在意識で百発百中を目指す人がやっているのは、自転車に乗る(何かを叶えようとする)たびに、ここではポジティブにして、自愛して、ここではアファメーションと完璧認定だ!とか、やってるようなもの。
別にこれでも、テクニックを磨けば叶うだろうけど、いちいちそんなことする必要は本来はない。

弓術も、「的の中心に矢が当たること」に限定して、無我状態で全ての所作が取り行えるように目指すものなのだろう、本来の在り方は。
でも、ほとんどの弓術家は、打つたび(叶えるたび)に、ここでは力を抜いて、重心はここで、構え方はこうで……とかを意識してやる。
そんなことやってるから、いつまでも無我で打てるようにならないし、外れることもある。
それこそ、本来目指すべきところは気付いてたら当たってた。ってレベルなの。
そこにテクニックもクソも潜在意識の活用もないわけ。
呼吸をするのにテクニックもクソも潜在意識の活用も無いのと同じ。

あなた方は何も考えないで呼吸出来てるし、自転車にも何も考えないで乗れてる
(乗れない人ごめん)。
だから、百発成功とは、願望や欲望に対して、無我の境地を全的に適用させることを言うわけだよ。
だから、知らんさんとかも散々ブログで言ってるけど、自我は「何もしない」のが答えなんですよ。
個人的には、「何もしていない」の方がしっくりくるが。

意図的に何もしないようにして、自転車を乗りこなすわけじゃないよ?
自分がどうやって自転車を無我状態で乗りこなせるようになったか、考えてごらん。
取り敢えず、色々考えつつも、流れ(世界)や手足(無我で動くもの)に身を任せる感じで、体を動かしたのではないかな?
で、最終的には思考が消え、無我状態で乗れるようになったはず。

私の例は印象だから、自分の感覚でいい。
その感じを、生活の中で全的に適用してみるといい。
これは感覚的なものだから、ちょっと具体的に説明しにくいが、いい例が色々浮かんだら、書くよ。

質問さん
質問さん

先月から仕事がなくなり、借金百数十万円あります
なんとかこの状況を抜け出したいです。

達人さん
達人さん

あなたには、方法論としてアドバイスする。が、徹底的にやること。
あなたは多分、状況的にゆるくなんてやれない。
あと、199式で負債を負っていた人が上手く行った体験談があった気がする。読んでみるといい。
とりあえず現実的な対処があれば、できる限りとってくれ。それが一番認識を変えやすい。

あなたは願望実現に必死で切迫感もあるから、熱意はあるはず。
その熱意を現実的にも潜在意識的にも、ちゃんといかすこと。
とにかくひたすらのアファメーションと、あなたのネガティブを吐き出すブレインダンプを併用してくれ。これをやれば叶うとかではなくて、あなたの中身を変えるわけだから、そのつもりで臨むことだ。

正直、切迫している場合、潜在意識に頼るのは向いていない。
が、切迫しているほど熱意はあるだろうから、それをバネに徹底的にやってみてくれないか。

質問さん
質問さん

弓術の奥義を極めてもない人間が弓術の奥義を語ること、それが真理だと他者に得意気に話すこと、恥を知れよ。

達人さん
達人さん

ちょっと君、めんどくさいけど、言っとく。
「月を指す指は月ではない」
君の言いたいのは、そういうことだろ。
言葉の中に正解などない。間違いもない。恥をしれと。

うん、その通りだ。
ただ、君が君の得た知識を元に私を指摘してるのは何なのだろう笑
その知識がなくなった時、君の中には何が残るんだ?笑
恥を知るのか?笑
私の話にカッカと反応するのは、君の得た知識を元に考慮して、私が間違ってると思うからだろ?笑

まあ、いい。君がその言葉の意味を理解して、あなたがそれの意味するところに、それこそ真摯に向き合ったなら、君はそれこそ願望実現の達人になっている。
なってるなら、それでいいんじゃないかと。
そうでないなら、惜しい。惜しいんだ笑
何が惜しいかは教えたくないから君には教えない。

真の弓術を体現した人は、そこに真摯に向き合った人だ。
「月を示す指は月ではない」という真実に対して、自分(思考)がそれを正しく理解することに意味があるのだよ。言葉尻だけ捉えても何にもならん。
そういう意味で、正しさや間違いはあるんだよ。
だからこそ、言葉で説明している。だから、間違いには間違いというのだ。
君はそこがわかってないよ笑

達人さん
達人さん

あなた方が幸せを感じようが、不幸せを感じようが、叶ってると思おうが、叶ってないと思おうが、最早そんなもんはもうどうでもいい。

感じるとか思うとか、そんなことは幻に対する勝手な解釈、それこそ幻を見て思うことや感じることである。
現実などというくだらないものに対する解釈に、幸せそのものが左右されてたまるものか。
そんなもん信じてたら、どうあがいても一生振り回されるだろう。

質問さん
質問さん

借金のある者ですが、正直にいうとかなり沈みましたが、熱意だけはありますので、徹底的にやってみます。

達人さん
達人さん

あなたはまずな、その、「現実的な対処では正直どうにもならないから、潜在意識やスピリチュアルなどという胡散臭いものにまで頼らなければいけないほど、どうにもならない状態」というあなたの認識そのものが、潜在意識的には非常にまずいということを知ろう。
それはわかるだろ?笑

でもだからこそ、どうにも手のだしょうがないの状態だからこそ、これ以上失うものは何もないという意識で、徹底的にやることができるだろう。
だから、ある意味チャンスではあるよ。それこそ、それでうまくいけば、潜在意識の力を確信できるし。

まあ、正直なところあなたに本当にやり抜く覚悟があるのかどうかだね。
あなたがそういった、絶望的な認識下から力技で認識を変わるのは生半可ではないよ。
ふとしたきっかけでスッと変わることを除けば、あなたは相当徹底的にやらなければ、その認識はかわらないだろう。

それでも、やるなら、やればいい。
中途半端に実践されて結果が出ないとか言われても、私は何も言えんよ。
あなたが変わるまではやれとしか言えん。

百発成功は、使いこなすものではないんだ。
その力を使いこなすのは、百発百中だ。
うまくいく人もいればいかない人もいる。うまくいく人はそれでいいだろう。
百発百中があなたによる潜在意識の活用なら、百発成功はあなたが潜在意識そのものとなるようなもの。
私が最近、本来は夢も希望もないとか、幸せは感じるものではないとか言っていたが、何もそれを「やる」わけじゃない。仙人になるとかいうのは、観点が違う。

つまりどういうことなのか、が大事なんだ。
満たされている状態というのが、どのようなもので、果たしてそのために自分が敢えて、やることなどあるのかどうか。

達人さん
達人さん

まず、あなた方は基本的には実現への抵抗をしている。
「全て既にある」と、あなた方の認識とは常に相反する。

なぜなのか、、あなた方は認識をするため、自我で自分を固定せざるを得ないからだ。
そこは越えられない。
五感で見ている物しか体験できない以上、認識はそれそのものだけであり、それ以外を見れない。
あなた方が五感で何かを認識している時点で、認識しているもの以外を「ないもの」として扱わなければならないからだ。

全てあるは、なにもない。
そこからあなた方が一部を切り取って、それ以外を「ない」ものとして扱うことで、実感としての「ある」が浮き出てくる。それが、何かを認識するということだ。

つまりだが、あなた方が何かを認識しているということ、
そしてその状態で「ない」と感じるものは、実は同時にあるんだ。
むしろそれがなければ、あなた方は今目の前のものを認識できない。
あなた方の認識は、それ以外の可能性世界すべてを打ち消していることで成り立っている。
ルビンの壺でいうところの、壺を全て消し去っているからこそ、顔が見えているわけだ。

だから、それを認識している状態を改めて、別のものを認識したいのならば、まずは、その「別のがいい」という思考が、今の認識に絶対的に依拠することを知る。
今の認識があるから、「別のがいい」とか、変えたいとか、そういう思考が出てきているわけだ

だが、今の認識は真実ではなく、真実を構成する要素の一つであり、それ以外の世界は認識の裏側に全て流れている。
そして、あなたの自由意志は全て、現在五感で認識しているものにより司られている。
ルビンの壺で言えば、全ての思考や感情や行動は顔を見ている時に出てくるものだ。

つまり、壺を見たいのならば、顔を見てる前提で出てくる思考や感情の範囲内では、特に何もする必要はないということ。ということは、逆に何を思ってても、何を感じててもいいということ。
それは壺を認識する世界と、なんの関係がないからだ。
壺が認識できないということは、間違いなくそれは裏側にある。
ただ、それは思考や感情では捉えようのないものだ。だがある。

全ては紛れもなく、自分のものだ。
見ているものは、それ以外を切り捨てて成り立つもの。
認識は常に移り変わるのだから、見ているものは常に真実ではない。
その裏側の、それ以外の全ての世界を含めて真実だ。

だから、それさえ「分かってれば」、いろいろ考えながらも普通に生活してれば、そのうちその認識になる。
何もしないのが不安なら、何かしてもいいし。

ただ、本質的には、何もしていないことを知りなさい。それは大切だ。
壺を認識する前提で出てくる思考や感情は、壺を認識するまでは出てくるはずがない。
あなた方のどんな思考も感情も、今は顔を認識してるから出てきている。
つまり、壺を認識する前提では全てが間違いだ。
全てが間違いなのだから、結局、なにやってても良いのだ。

達人さん
達人さん

ポイントは以下のとおり。
・顔を認識できるということは、それ以外の全ての世界(壺)が裏側にあることを知る。
・あなた方の今の思考や感情や行動は、顔を認識しているという前提に全て司られている。
 だから自由意志はあるようでない。
・つまりなにやっても、壺を認識しているという状態からすれば、間違い。
・以上のことさえ分かっていれば、全ては自分な訳だから「不足感はない」はず。
 そして、何やっても間違いなのだから、逆に「何をしてもいい」。
これが、疑似的ではあるが、全的に無我状態
(思考や感情はあるが、全て手放し状態・オートマ運転)で生活すること。
あとは気付いたら壺を認識してるでしょう。

補足
それ以外を「ないもの」として切り捨てること=ものを認識すること。
全て「既にある」ところからわざわざ切り捨てている。
何かを認識してれば、それ以外も当然同時にある。

その時何を認識しているかは、どうでもいい。
何を考えてるとか感じてるとかもどうでもいい。
叶えるための知識ではない。メソッドとして捉えたらどんな知識もメソッドになる。

全て既にあり、常に完璧に調和していて「不足はない」のが真実なのだから、認識が壺になろうが顔になろうがどうなろうが知ったこっちゃない。
「手放し」というのは全てどうでもよいものとして、勝手に流していくこと。

壺を認識するため、そういう風に思え、ではない。
顔を認識していて、壺が認識できない=壺が同時に既にあると知れ。
ただそれは、壺を認識するためではない。逆もまた然り。

達人さん
達人さん

なんか現実を変えたい人がすごい多いんだが、そんなの無理だよ。
現実ってのはさ、もう一秒たったらすぐ過去になっちゃうんだよ。
それこそ、認識は一つに収束せざるを得ないから、認識した時点でそれはもう、一旦記憶にしまわれる形で、不可変になるんだよ。

それを変えたいって言ったって、そりゃ君たち、記憶を消したいとか言ってるようなもんなんだから、できるわけないじゃない。

何度も言うように、光は粒でもあり波でもあるの。
ただ、認識は一つに収束せざるを得ないから、ある時点での認識はどちらかにならざるを得ない。
光=波が真実で不可変だと嘆くのではなくて、両方が真実で、互いに切り離せないの。
全ては本当に同時にあるの。

どうしても叶える立場から頑張りたいなら、必ず得られるという確信を、たとえ目の前で何が起きたとしてもブレないようにすればいいだけだよ。
それは前に何度も言い続けてきた。

そのために自愛やらブレインダンプやらアファメーションをすすめていた。
あなた方が変わるしかない、もうそれしかないんだから徹底的にやればいい。
ゆるく変われないなら、無理矢理変われ、だな。

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