【方法論】【詭弁さんpart24】「自愛とは、要はどんな時でも自分を幸せにしてあげること」本来、心を正さずして、力をつけてはならないの。竹とんぼで思い切り満足する心を作るの。

達人part
【方法論】【詭弁さんpart24】「自愛とは、要はどんな時でも自分を幸せにしてあげること」本来、心を正さずして、力をつけてはならないの。竹とんぼで思い切り満足する心を作るの。【再編集】
達人さん
達人さん

自愛について、自愛で願望云々をどうこうしようという発想自体がそもそも自愛とは逆行してるのね。

自愛は、世界を自分の好みに染め上げる方法としてではなく、自分が今ある世界に対して満足する心を鍛えてね、ということで言っているんだよ。

これを怠れば、他の方法で実現の力が付いても、飽きては壊しまた叶えるというループに囚われることになる。
本来、心を正さずして、力を付けてはならないの。

話戻すけど、例えばね、凄い簡単な事だけど、自分の嫌なところ、叶えたいものばかり見てそれを変えようとするのじゃなくて、良いところを見たり、嫌なところ自体を良いところだなって、みるようにするの。
要するに、見方を変えるだけなんだよ。物質的には何も変えない。
世界を変えず、自分の心の持ち方を変える。

竹とんぼで思い切り満足する心を作るの。
最新ゲームじゃなきゃヤダ!という心はループに囚われる心なんだよ。
そう思うように「努力」するの。ニンジンがなくても幸せになれるように努力すんの。
それが自愛だよ。

結果的にニンジンが得られるかどうかは、あまり重要ではないよ。
そこにウェイトをおけばおくほど、また自愛からは遠ざかるよ。

質問さん
質問さん

最新ゲームじゃなきゃやだでもいいんだと思うよ。
そう思いつつ、竹とんぼも楽しめたらいいよね。

達人さん
達人さん

言いたいことはわかる。
イサさんは「自分のあらゆる心のあり方を許す」という意味で、最初はそれでもいいとはいっていたかもしれない。が、いつまでも「最新ゲームじゃなきゃやだやだ!」だと本来の自愛にはならない。

非常に勘違いしやすいが、自愛はいつまでも「私はどう思っても構わないのだ!」というわけではない。
自分を甘やかすのと、自分を大切にするのはちょっと違う。
「どう思っても構わない」をエンドレスに続け、その思いに内包される不満を甘んじて受け続けるのではなくて、その不満は最終的に消えなきゃならない。

未来の希望である最新ゲームという条件付きでないと、自分を十分に楽しませてあげられないというのでは、これは明らかに自愛にはならないし、自分を十分に大切にはできていないよ。

「それでもいい、最新ゲームに翻弄される私でいい」という思いを持つのは、まずは初期段階だ。
その上で、最終的にその現状への不満は消す必要がある。
そのためにも、現状である竹とんぼに少しでも面白みを見出してみるよう努力する。
捉え方・向き合い方を変えてみる。

まずは、今への不満を持つ自分を受け入れてから、
不満への恐れを減らし、不満と向き合い、そこに楽しみや幸せといった何かを見出してみる。


これこそが自愛ですなんてそこまで傲慢なことを言ってるつもりないけど、
少なくとも自愛は、そんなに簡単に済むことじゃないし、誰かも言ってたけど、サッとやってハイ終わりみたいなもんじゃないよ。
意識して続けないと、割とおろそかになりがちだと思う

質問さん
質問さん

イサさんの言う自愛とは、つまり最新ゲームか竹トンボかどちらでも好きな方を選べるようになると思っていたのですが

達人さん
達人さん

なぜそこがそんなに気になる?
一生竹とんぼでいいなら、その後のことを知るべきではない。
あなたが最新ゲームとか、それ以上のものを選べるようになるか気になるということは、
一生竹とんぼで居る気はないのだろ。

仮に、もし私が最新ゲームは結局与えられないよ、と答えたとして、そしたら自愛しないの?
そんなの自愛じゃないよ。むしろ、まずは最新ゲームを諦めないと、一生竹とんぼだなんて到底受け入れられないと思うよ。

質問さん
質問さん

不満と向き合うってどうすればいいんだろう?

達人さん
達人さん

不満と向き合うというのは、あなたが抱える問題について、あなたが捉え方や考え方を変える余地はないか、真摯に向き合うことだ。

例えば、ある人が憎いとして、その人のことは変えられない。でも一緒にいなきゃならない。
そういう時、憎いままにして不満を抱き続けてるのは、自分を甘やかしてるだけだ。
そういう思いを持つことを許したとしても、現状に不満を抱く心を永遠に変えようとしないのは、何より自分のためにならない。その心を甘やかせば、その心を育てることになる。

だから、それと上手に付き合って、不満を抱かずにいられる方法を探すのが、不満と向き合うということだ。
相手や世界を変えるのではなく、自分の見方を良き方に変える。
願望が叶った時より、今の方が幸せ…そう思う努力をするってことだ。

質問さん
質問さん

詭弁さんは自愛の定義を間違えて捉えているから 自愛だけじゃ叶わないって答えを出してるんだよ

達人さん
達人さん

そもそも、私は自愛だけでは叶わないという答えは出してないよ。
仮にそう捉えられる書き込みがあったとしたら、それは自愛をPS4を得るための手段にして欲しくないから言ったことだと思う。
ちゃんとやれば、自愛だけでも叶うけど、でも叶ったら自愛を疎かにするだろ。
また、外側の世界で自分を満たそうとする。

自愛を突き詰めれば、再配達が終わるのも事実だし、願望が選べるようになるのも事実だよ?
でも、それを目的として自愛は続けるものではないんだよ。
だから希望をもたせるような言い回しはあまりしてない。

自愛でも結果として願望は叶うけど、それは目的ではなく、あくまでも、おまけなんだってば。
そのスタンス崩したら、いつまでも願望に振り回され続けるよ。
だから、自愛はそういう願望実現のための手段とは全く別のものとして捉えてほしいと思っているよ。

でもそう書くと毎回毎回、結局叶わねーのかよ、とか、同じように突っ込まれるから、多少希望をもたせる意味合いで、こうやって願望は叶うとか言わざるを得ないのが、苦しいところだけどね。

私がアファの併用を進めたのは、結局叶わねーのかよっていう思いの受け皿としてすすめていた。
それがおかしいと思うなら、あなたは自愛だけで良いと思うよ。

達人さん
達人さん

自愛は、要はどんな時でも自分を幸せにしてあげること。
つまりそれは、どんな時でも周りに振り回されず、自分を大切にすること。
それが出来る心を育むのが、自愛の目指す所。

どうして併用をすすめたというとだが、最初から、自愛だけを本当にちゃんとやれるなら、それだけでいいと私も思う。
私がアファの併用を勧めていたのは、こういうとこに来る人は、あんまりにも願望にウエイトを置きすぎている人が多いから。
そしてそのために、自愛を叶える方法として捉えてしまいかねないからだ。

こういう場で、潜在意識や引き寄せといった概念をガン無視して、ただの精神論として、無条件に幸せを感じてくださいとか言っても、ほとんど誰も聞かないだろ?

だから、叶える方法はアファメーションとして別に用意することで、自愛は純粋に実践していってほしかったんだよ。
いきなり願望から一切離れて幸せを感じろというのは、やはり無茶だ。
アファは麻薬漬けの体への精神安定剤みたいなものだ。

併用することはは確かに逃げになるが、自愛すら逃げにされるよりはマシだろうと思っての提案だった。
勿論、逆効果になる可能性もあったが、自愛だけを実践するにも、先に述べたように、それすら逃げにされるリスクを伴った。

なによりそれは、イサさんが既に語り尽くしたわけで、改めて言うこともないだろう。
だから、新しい提案という意味でも併用をすすめた。

あと、自愛を続けた結果、自由に選べるようになるとか、現象化は全て必ずあるとかいう知識自体は正しいけど、それをモチベーションに自愛を続けること自体は、叶わない辛い気持ちからの逃げになり、結局外の現象に自分の幸せを委ねる行為であり、イサさんの言う自愛にはなりえないんだ。
だから自愛だけをするなら、その知識とはうまく距離をおいて、それに専念するといいと思うよ。

ちなみにね、別に願望自体は、結局その人の関連付け次第でどのようにやろうが叶う可能性はあるけど、無条件に幸せを感じる心だけは、ちゃんと意識して育まないと形成されないよ。
そういう意味でも、自愛はとてもいいと思う。

質問さん
質問さん

不満ばっかいってる自分を許しまくってたんだけど、その立ち位置から動けない

達人さん
達人さん

そもそも、不満ばかり言ってる「自分」は既に許せているからこそ、不満ばかり言ってるんだ。
その時点で、少なくとも自己否定はないから、ある程度は自愛になってる。

でも、その状況にあまり喜びや幸せを感じられないなら、考え方を変えて自分に喜びや幸せを感じさせるように努力してみる。努力が不満に甘んじるより極端に辛くなければ、その取り組みはとても前向きだし、やっていて罪悪感もなく、より大きな自愛になるよね。
そして、自分=他人だから、自分の不満を前向きに切り替えれば、その時点で不満の対象をも許す、より大きな許しになるんだ。

だから自分を無条件に幸せにするようにしていけば、幸せを感じる対象である、「自分以外の全て」を自然と許して行くことになる。
無条件に幸せである状態は、自分の思いや感情だけでなく、自分以外の全ても許容している状態だ。
自分の思いや感情を全て許す=自分を許す
自分を無条件に幸せにするようにする=自分以外の全てを許すなんだよ。

質問さん
質問さん

嫌いな人や自分の嫌いな部分を受け入れるって、どういうことでしょう?

達人さん
達人さん

例えだから気を悪くしないで欲しいんだけど、私は川が上流から下流に向かって流れることにいちいち腹を立てない。
でもあなたは腹を立てていて、これはどう考えてもおかしい。
ただ、そうはいっても、あなたにとっては、腹が立つのだから、まずはそれを思い切り許してあげる。
腹を立てること自体は、何も行動を起こさなければ誰にも迷惑がかからないから、
それは全く悪いことではない。
でも、川が上流から下流に流れることにいつまでも腹を立てていても、くだらないし、自分が辛いだけだろう。

だから、一人で十分に怒り狂いまくり、それを一人で発散した後で、どういう風に自分の思いを変えたら、一番自分が楽なのか考えるんだ。
「行動」を通してではなく「心」を通して現実を受け入れられるようになる心のあり方を模索するんだ。

これはあらゆる不満の対処法として有効だ。
不満にぶち当たった時、毎回こういう営みを繰り返して行けば、それだけ世界を許容する幅が広がり、幸せのハードルはどんどん下がっていくよ。

質問さん
質問さん

自愛をしてるんだけど、受け入れるってどうしたらいいんでしょう?

達人さん
達人さん

本当に不満を受け入れていれば、それに対しては「何もしない」はず。
受け入れたいということは、不満を消したいということ。
不満を消したいなら、不満をとりあえず爆発させたあと、不満の対象である世界をこのままでいいと許せれば消える。

自愛について根本的な勘違いがある。
それは「自愛をし続ければ、いつか辿り着く」という考え方なんだ。これは真逆なの。
「自愛をし続ける限り、永遠に辿り着かない」のだよ。

自愛を「実践」してるときに、そこを完全に履き違えて実践してる人が多い。
エンドレスに許し続ければ、いつか自愛が完成するってね。
結局その先にある結果を求めてるの。ゲームを辞めるゲームなんだ。

だから、メソッドとしての自愛を続けようが、アファメーションを続けようが、併用しようが、はっきり言って本来のあり方からすれば、全部見当違いなの。

メソッドをやり続けるということは、どういう状態であれ、メソッドをやらない自分と、やらないことで起こりうる結果に恐怖してるんだよ。
それだけは絶対に許さないから、メソッドという手段を用いてそれに抵抗してるわけ。

だから、今すぐ自愛なんて行いをやめれば、それが今まで全く許してなかった部分の自愛をすることになる。
「自愛することを通して自愛を達成する」のは、あり得ない。
自愛するということは、自愛をしていない自分と自愛しないことで起こりうる不幸への恐怖が根底にあるから。

自愛というのは、本来の状態を言葉で説明しているから、自愛をすることは絶対的に正しい姿勢のように見えるが、自愛はどんな風に実践しようが、結局は今の自分の否定なの。

今の自分を受け入れようとする行為そのものが、今の「自分を受け入れていない自分」の否定だし、今の自分を許す行為そのものが、今の「自分を許せていない自分」の否定なの。

手段を用いるということは、目的がある。
目的があるということは、内的であれ外的であれ、現状からの変化を望んでいる。
今の否定なの。
今の自分から逃げ続けることを、抵抗という。
今の自分を許してないんだよ

だから一番大切なことは、やり方が正しいとか正しくないとか、そういうことじゃなく、メソッドへの取り組みを通じて、メソッドを取り組むということ自体が、今の自分の否定にしかならないという絶対的な事実に「気づく」ことなの。

自愛の本質、全的な許容は、自愛を通じて達成されるものではなく、メソッドに触れ、メソッドを実践し、最終的にはメソッドを全て捨てることで達成される。
メソッドなんて結局全部間違いなので、やり方なんてなんでも良いの。
その「気づき」を与えるために、メソッドは存在している。

ゆえにメソッドは人それぞれで、これが正しくてこれが間違いというのはない。
私はメソッドとして何かを話す時は、数ある気づき方の一つとして提唱しているだけなので、気に入ればやればいいし、気に入らなきゃやらなくていい。

ただ、メソッドはどんなものでも、気づきを与えるきっかけになりうるものでしかないから、絶対的に正しい方法なんてものはない。

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