私は、何をやってもお金が入ってこないです。
私の最終目標金額は1億円なので、でか過ぎる金額だとは思いますが、「私には1億円の貯金がすでにある」というアファをしています。
それを自分で、「でか過ぎる金額」とは思わない事だ。
俺の場合は、数億円程度の「現実に稼げる金額」だと、どうしても思考が」現実的な稼ぎ方の制約に縛られてしまうので、200億円を目標にしているよ。
それは実際に、「その金額を稼いでいる男」を知っているから、「200億というのは、非現実的な数字でもない」ということだ。
現実的に稼げる金額なら、現実的に稼げば済む話で、「今の自分の器」とか「現実的に考えられる方法や、現実的な金額に制限する必要なんて無いんじゃないだろうか。
自分の思考レベルに、目標値を収めてしまうと、どうしても思考に囚われてしまって、結局は、今の常識的な思考レベルの範囲内に収まってしまう。
それは、「方法論を完全に手放していない」ということが言えるだろう。
ありきたりなセリフになるけど、「どうせなら夢はでかくもとうぜ」ということだよ。
「夢の大きさがその人の限界」ということを良く言ったものだけど、その限界を設定してるのって、結局は自分なんだよね。
その殻を超えることが一番最初のハードルじゃないだろうか。
200億が目標と聞いて、1億円なんて簡単に手に入りそうな感じがしてきました。
でも私は、1億円がすぐに欲しいんです。
そうすると、「宝くじに当たるしかないのか」と手段を制限してしまいます。
自分の枠や制限を解除するのって難しいです。
「可能な範囲内」で想定をするから「可能な方法」に紐づいてしまうんだ。
そうすると、「大金を得るためには宝くじ」とかに、手段が限定されてしまう。
そもそも、銀行融資の稟議書じゃないんだから、どこからともなく自然発生する「願望」の純粋な状態と言うのは、プロセスから導き出して、可能である必要は無いですよね。
カメハメ波を打ちたいとか、そらを飛びたいとか、ファンタジックな願望は無理だと言われているけど、心のどこかで、「そんなのは出来るはずない」と思っているから出来ないだけかもしれないよ。
もしかしたら、そのように進化する事はあるかもしれない。
ちょっと話は飛ぶけど、魚というのは、陸に上がっちゃうと、遅かれ早かれ必ず死ぬよね。
そうなると、死んだその個体の子孫は続かないことになる。
陸に上がることに挑戦しただけで、その繋がりは必ず途絶えることになる。
それなのに、「代々長い時間をかけて、少しずつ進化して、魚類は陸に上がった」っていうのは本当だろうか。
「進化」があったのだとしたら、横軸的に考えれば、それが「複数の個体」であったとしても、縦軸的に考えれば「陸に上がって生き延びて、陸上生息可能な子孫を残す」という進化のプロセスを「一代でやってのけた個体」が必ず居るはずだよね。
何代もかけた緩やかな変化もあるのだろうけど、「突然変異」なんかも含めて「劇的な進化」は、一代、一個体で起こると思うんだよ。
それは、ある種の奇跡だろうし、「可能か不可能か」ということは「問題ではないと思う。
かといって、それが「願望や意志によるもの」だとは言えないし、「願えば叶う」とも言えないけど、少なくとも、「変化した未来」を願うことを「現状の可能性」で制限すべきではないんじゃないだろうか。
別に、願う事は無料だし、ノーリスクなんだし、出し惜しみをするなんて勿体ないだけで、そんな必要性なんてどこにも無いよね
「明日一億円が入ってくる事は、本当にあり得ないだろうか?」
確定された未来なんてどこにも現存しない以上、絶対的な否定もしきれないし、一億円が入ってくる事は、魚が陸で生き伸びるよりも、遥かに実現性は高いと思う。
魚も、著しく低いと思われる可能性を超えて現実に進化したわけだし、それがどんなに不思議な事であっても、願う以上は「あり得る」と信じるしか無いじゃないか。
「科学的解明」という活動ですらも、「あり得ると信じる事」が、活動の出発点なわけだしね。
私はむしろ、「現実感」よりも、「思惑を超えた不思議さに身を委ねる」といった、漠然とした感覚の方が大事なんじゃないかと思っているよ。
¥ 潜在意識でお金を得る ¥第四章
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342 :幸せな名無しさん:2012/01/18(水) 23:28:13 ID:/pfTrHs20