色んな観念に気付く事が出来るんだけど、それの手放し方が判らなくて苦しいです。
それこそ、チケット2章をよく読めと言いたい。
そもそもチケットがあって、チケットを読んでもわからんという人たちがいっぱいいて、それで自愛とか自己観察とか色んな言葉が出てきたわけなんだ。
チケットをよく読めばわかると思うけど、これ自愛じゃん、みたいな、自愛のようなことも書いてあるよ。
チケットを読んでわからないならいいけど、チケットをろくに読まないで、あーでもないこーでもないって考えるのは、けっこう不毛だと思う。
チケット2章のどのメソッドが、特におすすめですか?
そんなの、全部だよ。
なかなか認識が変わらなくて、観念も色々炙り出してみたんだけど、信じきるのが怖い
ぬか喜びで、勘違いで、後から反動でダメージを受けるのが嫌で、なかなか命綱を切れないです。
全部エゴだよ
そもそも、何を持って「命綱を切る」としてるんだ、関係ないだろ。
チケットの方法論を採用してる人に、ぜひ聞きたいんだけど、みんなどれくらい「実践」してるの?
実践してるのに、掲示板に書き込まれているような疑問とかが生まれてくる理由がわからない。
実践はしてるけど、認識の変更ができてないからだと思います
だからさ、全部エゴじゃん。
よしお式に言えば「そんなの関係ねぇ」だろ。
掲示板に書かれてるような疑問は、「実践」してたら、発生しようがないんだよ。
実践上の疑問ならまだしも、そうじゃない疑問ばかりだ、いい加減に実践しろ。
色々と方法論はあっても、基本的には、エゴの領域から抜けることが実践なんだよ。
そして、「あ、もともとエゴの領域にいなかったんだ」みたいな感じで納得するのが、多分「認識の変更」だ。
ごちゃごちゃと、「あーでもない、こーでもない」、「なんでだろう、これこれこういう理由でこうなったんじゃないだろうか」とか悩むのは、全部エゴだろ。
そういう思考に「気づけ」。
チケット的に言えば、「それでも構わない」ということだ。
isa的に言えば、「そういう自分を愛せ、許せ、認めろ」ということだ。
エゴなんだから、気づいたら終わりだろ。
何回も言うけど、実践してたら、そういう疑問は発生しないんだよ、疑問自体がエゴだからだ。
エゴは「無視」する、もしくは「認める」こと。
その方法論は、チケットとかまとめサイトに、いくらでも書いてあるだろ。
認識変更したのなら、認識変更してない人を見て、イライラすることもないと思います
原因なんてないんだ。
さんざん言われてるだろ、瞬間瞬間があるだけなんだ。
「気づき=許容」によって、「実存」に至るんだよ
イライラしてるとか、関係ないだろ。
エゴなんだから、「関係ない」だろ。
いい加減、そういうエゴの領域から脱しろって言ってんだよ。
でも、「関係ない」に逃げるな。
つまり「実践しろ」ということだ。
エゴの領域から脱する=何も感じない人とか、どんなことにも一切心を動かされない仙人みたいな人をイメージしてないだろうか。
そういうミスリードが起きちゃったのは108さんの罪だと思うよ。
何度も言うけど、「エゴは関係ない」の。
この世界で起きてることは、思考も感情も含めて、全て「反応の連続」で、「自由意志はない」。
だからその反応を「止めようとする」必要はない。
「止めようとする」こと自体が「反応」だからだ。
だから自己観察的に言えば「気づく」だけで、自愛で言えば「愛せ、認めろ、許せ」であり、チケットにも方法はたくさんある。
とにかく全部、「関係ない」んだよ。
でも最初は意味不明だろ?
関係ないって言われたって、なにが「関係ない」んだよ、って思うじゃん。
だから実践しろ。
でも、実践し始めてみたら、全部関係なさすぎて、掲示板で言うべきことが一つもなくなってビックリするだろうけどね。
みなさん、わからないからまとめを読むのではなく、わからないなら実践ですよ。
ある程度読んだら、ひたすら実践です。
読んでも読んでも、概要しか掴めません。
体得するには実践です。
そうだね、わからないって言ってるのもエゴだし、もう少しでわかりそうだ、って言ってるのもエゴだ。
言葉は概念になっちゃうからね。
概念にはなんの力もない。
自由意思とか、認識の変更は叶えるためじゃないとか、叶ったり叶わなかったりとか、そのへんが知りたいです。
まず、全てのものは物質的に叶ってる。
単純に、全てが存在してる。
でも、物質世界は確率が収束して、瞬間瞬間はひとつしかない。
それで、エゴは整合性を取ろうとする。
本来はA、Bという、それぞれ独立した出来事があるだけなのに、その2つに矛盾が生じないようにする。
この時「記憶」によって、時間が生み出されて、整合性があるように感じる。
君も、今、おれからなにか説明をもらうことで、整合性を取ろうとしてる。
そういう「整合性」の領域から離れろ。
それはつまり、エゴの領域から脱するということだ。
それでもエゴは許してくれない、これでもかってくらいに暴れてくる。
この時の根拠になるのが、記憶と思考だ。
記憶が集まって観念になってる。
その観念から、不断に発生するノイズが思考であり、思考に対する身体反応が感情だ。
全部を潔く無視しろ。
感情が固着してしまってきついなら、感じ切ること
具体的な方法論はチケットを読むこと。
意図は勝手に出てる。
完璧故に完璧を知れない、だからこの世界に生まれた。
充足と不足のコントラスト。
しかも不足は虚構なんだ、なぜならもともと完璧だから。
不足を経験したら「もっとこうなったらいいのになー、とか、こうだったらいいなー」とか、願望が出てくるだろ。
つまり、意図は勝手に出てくるもの。
自由意志はないんだったら、後は全自動だろ。
でも、「そうはならないよー」、「そんなことしたらやばいことになるよー」って、エゴが言ってくるから、無視すること。
ごちゃごちゃと言ったけど、説明したこと全部忘れろ、全部関係ない。
言葉は概念。
あるのは今ここだけ。概念なんか頼らずに、今ここにあれ。
やるべきことはそれだけ。
方法論はチケットに書いてある。
自由意志がないんだから、ちっぽけな人間ごときが、自分の人生をコントロールできるわけないだろ。
そもそもが、このクソみてえな人生を完璧にしようっていう考えが間違ってんだよ。
全部無駄、なにしようが関係ない。
エゴは「不足」と「思い込み」を使って、「完璧」を特定の形に押し込めようとする。
でも、そんなのハナから嘘だろ、だって最初から完璧なんだから、全ては完璧に調和してるんだよ。
そこに気づいたら、いつの間にか、現実もエゴの思ってる通りの「完璧」になってるんだよ。
これが「引き寄せの法則」だろ。
だから気づいた奴は全部コントロールできるし、でもそんなのする必要すらない。
っていうか、コントロールしたと「思ってる」だけで、それも単なるエゴだということに気づくだけなんだよ。
最初から最後まで完璧なんだ。
でも気づいてないエゴまみれの人間には、何を言ったって無駄なんだよ。
そこに気づいた人が、「全部完璧なんです、自分で決めていいんです」って言ったって、気づいてない奴は、その話を聞いて、その「仕組み」を利用して、コントロールしようとするだけだ。
そして、ループする。
いい加減解放してやれよ、エゴに甘い言葉を言ったってしょうがないんだ、かわいそうだろ。
だからエゴに気づけ、ごちゃごちゃ言ってないで実践しろ。
それは、チケットとは違っていて、「悟りごっこ」だと思います
潜在意識とか、引き寄せというのは、エゴの領域にいるまま、「別の領域」を採用して、エゴを満足させるやり方だ。
だから、まぐれみたいなもんなんだよ。
引き寄せは、あってないようなもので、結局はエゴの印象でしかない。
潜在意識だってエゴだろ、全部関連付けなんだ。
究極的には、同じところに行き着くんだよ。
だから、チケットは1章、2章から、7章で飛躍するだろ。
とにかく説明しても無駄だから、1章2章で認識を変えろ。
説明しても概念になるだけだ。
概念は、ただのエゴだ。
エゴの領域で理解したつもりになったところで、結局は実践して気づかなきゃ意味がない。
文章を読んで、急に腑に落ちた人は、徐々に認識が変更されてたんだよ。
桑田さんのマリオの説明だって、ただの概念だよ。
それでわかったつもりになっても、実践しなきゃ意味がない。
わからないって言ってるやつは、エゴがわからないって言ってるから、それで無理ですって宣言してるようなものだろ、そのエゴに気づけ。
桑田式で気づいた人は、桑田さんの説明を読みながら実践してた人だ。
わかったら実践しろ。
自由意志がないんだから何もコントロールできない、それに気づくと無駄に悩む事もないし楽だよ、という事を言いたいのですか
自由意志がないから「全ては無駄だ」と思って、絶望を感じてるのは「エゴ」だろ。
それに気づけって言ってるんだ。
いい加減エゴの領域を離れろ。
「全てある」と認識してるのはエゴじゃないんですか
違うよ、あるは前提だろ。
だから、最初はエゴを無視するんだよ。
そのことを知ってさえいればいいんだ。
あとはだんだん、「ある」に目が慣れてくる。
知覚という制限された情報、つまり、エゴも納得せざるを得なくなる、これが認識変更だ。
「ある」を知った時点で、そのプロセスは始まっていたとも言えるが、エゴを無視して選ぶんだ。
実践しないで、いつまでもエゴに振り回されるのは辛いだろ。
最終的にはそれすら完璧なプロセスだった、となるけど、実践したほうが早いよ。
とにかく実践しろ。
実践も重要だね、エゴが納得する。
エゴが納得するのって、体感が伴ってないとなかなか難しいよね
だから、全部エゴなんだよ。
それを認識、というか、体感できてない状態で、チケットをいくら読んでも意味わからんだろ。
全部エゴなんだから実践しろ。
というか、「今にあれ」
そして、不足と不可能性を見破り、打破しろ。
愛と気づきで、実存に至れ。
実践してないやつはよく聞いてくれ、
目には見えなくても、現象化してなくても、実践してれば、何かしらの効果はあるんだよ。
でも、それがはっきりと「わかる」前にやめちゃってる。
加速するまでが問題だ。加速し始めれば、充足が目につく。
充足に目が慣れていけば、不足なんて気にならなくなるだろ。
そもそも説明を受けて理解しようとする行為自体がエゴだし、説明を説明のままにしといたら、全部概念化されて「制限」になるんだよ。
言葉は「制限」ではなくて、「トリガー」にしなきゃダメだ。
だから桑田さんとかも、「文章は読んだら忘れてください」って言うんだよ。
特に、概念ていうのは、「ここではないどこか」だろ。
「ここではないどこか」はないんだよ。
「君が求めるもの」は、「今ここ」にしかないの。
というか、全ては「今しかない」。
「ここではないどこか」を求める限り、不足がまとわりついて、ますます「言葉」に依存するだろ。
それをいい加減やめろ、自分の足で立て、実践しろ。
おれが実践しろ、と言ってるのは、停滞させないためだよ。
とにかく前に進めば、なにかしら起きてくる。
そのときに君を悩ませる声は、全てエゴだ。
とにかく進めば、どこかには着くと、チケットにも書いてあるだろ。
努力自体には意味はないんだ。
でも、努力してるときは、とにかく前に進もうっていう、その意図があるだろ。
全力でやった「行為」に意味があるんじゃなくて、「全力でやること」そのものに意味があるんだよ。
理解しても不足意識でいっぱいだと悪化するだけなのよ。
おれがそうだったから、そうなってほしくない。
「今起きていること」が不足だという「判断」が、間違っているのではないか、と疑ってみることだよ。
そして「判断」をやめて、「思考に気づけ」。
具体的に、どうすればいいのか教えてほしいです
具体的には、チケット1章2章を、死ぬほど繰り返すことだね。
自愛と自己観察は、チケットの1章2章のメソッドから、より本質的な部分を抽出して言い換えたに過ぎない。
それがよくわからないなら、わかるまでメソッドを繰り返しすればいい。
その過程で、認識変更が起きて、自愛や自己観察の意味、というか、在り方がわかるようになる。
そうすると、ますますメソッドが効果的に作用する、相乗効果だ。
意図してもいい。
気づきながら、自愛しながらでいいから、意図してみればいい。
「あるを見る」というのを、意図してみればいい。
探すんじゃないよ、探そうとする「それ」に気づくことだ。
認識の変更のみを目指すスレ4
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9650/1481802950/l50
204 : 幸せな名無しさん :2017/02/10(金) 04:45:40 RTMGNHWg0