【体感】「『私の認識』という主体はない」世界を自分が見ているのではなくて、世界が自分であり、私は認識そのものであり、私の認識という主体はない。【認識の変更】

体感・気づき・方法論
【体感】「"私の認識"という主体はない」世界を自分が見ているのではなくて、世界が自分であり、私は認識そのものであり、私の認識という主体はない。【認識の変更】
達人さん
達人さん

願望実現に関して、掲示板での内容は、大体同じだと思っています。

タイプその1、
「願望を叶えたい」、「願望が実現しない」、「辛い」、「どうすればいいんだろう」、「メソッドが問題なのか?・自分の在り方が問題なのか?」、の人。

タイプその2、「自分の認識が起きることを決めているんだ」、「だから自分の認識を変えれば願望実現できる」、「全部自分次第なんだ」、の人。

タイプその3、「認識が自分の世界を創ることは分かるけど、そもそも自分はいないんだから、認識を変えたりできる自分もいないんだから、あるがままにことは起きるし、現象はコントロールできない、そもそも、本当に願っていることしか起きてない、もっと世界を見てごらん」の人。

タイプ3の人は、ほぼ無視されて、タイプ2の人が教祖的に祭り上げられる、こんな感じだと思っています。

質問さん
質問さん

「自分は映写機」という説明は理解はできますが、映写機なのに、どうして思いどおりに願望を実現できるのでしょうか?

達人さん
達人さん

自分の解釈ですと、映画の例で例えると、自分はスクリーンであり、スクリーンに映ったものを、ただ認識するものだと思っています。
そして、スクリーンに映るものは、自分で決められずに、勝手に湧いてきます。

「勝手に湧いてくるもの」というのは、「自分のこと」、そして、「自分の外で起きること」があります。
「自分のこと」、つまり、自分がその時何を感じるか、その時何を思うか、どんな案がでてくるか、どんな方法を取るか、自分の体の動かし方、感情の種類、思考の種類、行動の種類などです。

「自分の外で起きること」というのは、つまり、家族の行動、受験の合否、大きな事件、天気、「落ち葉がどのように落ちるか」などの、外で起きる全てです。
自分は、スクリーンに映ったそれを、ただただ認識している存在です。

認識する「存在」と言いましたが、何かをしている自分が存在するわけではなくて、自分は「認識」そのものであり、認識が世界そのものだということです。

この部分については、情報収集を散々したのですが、自分というものが本当に消えた経験をしないと、真意は理解ができない」言語化不可能な内容であり、理屈で言うとそのようになるらしいです。

世界を自分が見ているのではなくて、世界が自分であり、私は認識そのものであり、私の認識という主体はない。

ですが、エゴでくすぶっている内は、自分は人間であり、自分の体があり、自分が感情を決め、思考を決め、行動を決めていると勘違いしているので、自分が決めさえすれば、自分の願望は実現できると勘違いしているのではないかと思っています。

認識の変更(チケット)のみを目指すスレ
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9650/1467386279/l50
498 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2017/12/13(水) 16:20:37 ID:WKpWtAag0

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