感情を感じきるというのはその感情に同化することになり、すべてある領域から、あえてネガティブを選択してる感じで、内面のネガティブが現実に投影されませんか
なるは、内面でなるんです。
ならば、現実に起こったネガティブな事に、本来は何も影響を受けません。
なったんですから、内面に荒波が立つ事はないです。
叶ったのだから、満たされてるはずです。
ということは、なるをした内面は、満たされてるから、ネガティブは選択されていないと思います。
もしネガティブが選択されてるなら、それは現実を内面に関連づけているのではないですか?
現実が思いどおりにいかなくても、なるは内面の問題なので、独立しています。
つまり、現実のネガティブをを感じようと、なるに影響することはないはずです。
もうなってるし、叶った世界ですから、何が起きても叶った世界での出来事です。
現実と内面は別と考えて、なるわけですから、現実のネガティブが内面へ影響を及ぼすなら、それはなるではないんじゃないでしょうか?
現実は内面の投影だと思いますが、潜在意識を顕在意識で100%管理する事は、できる方もいるんでしょうが、多くの方はできないでしょう。
ネガティブに気づいたら、なるを、もう一度すればいいのですか
何度なるをしてもいいと私も思います。
ですが、現実を無視して、内面でなるをするのに、現実を見て、生まれたネガティブが原因で、もう一度なるをするのは、なると関係ない現実を関連づけてるのではないでしょうか?
そもそもなるは一回なってしまえば、それで終わりだと思っています。
ただ現実に振り回され、関係ない記憶や感情を関係のない願望や記憶に関連づけるので、なってないと思って、なるを何回もするのではないでしょうか?
これでは認識が変更されているとは思えないです。
基本的に一度なるをしたら、それで終わりです。
一度で終わらないのは、現実に振り回されています。
なったのなら、なってないというのは分からないと思うのです。
ということは、叶ってない世界にどっぷり浸かってると思います。
現実にネガティブなことがあっても、ネガティブを選択しないほうがいいのですか
現実となるは、関係ないです。
現実で起きたネガティブな事は、現実で起きた事で、内面のなった自分には絡めない事が、ある世界だと思ってます。
というか、認識変更されてたら、現実と内面を関連づけません。
感情を感じきるのは、自愛とは違いますし、客観視することで、感情と同化することを避ける自己観察の考え方から、疑問があります
自愛は人それぞれなので、ご自分の心地よいものを選ぶのが一番です。
私は自分で経験して、有効だったものを、共有させて頂きました。
感情を感じるのが苦しいなら、しなくてもいいですと何度か言っています。
貴方の体感があるのなら、それでいいと思います。
私の体感が全てな訳じゃないです。
ご自分が正しいと思うものを、信じて頂けたらと思います。
なるをしても、自我が大人しくなっても、仕事の能力があがるわけじゃないなら、やってても意味無い気がしてきました
なるも二元論も、認識の変更前では、仕事能力を目に見えてあげるようなことは起こらないでしょうね。
なるも、二元論も、認識変更を促す説明であるからです。
自我を大人しくさせることが有効なのは、潜在意識が、今までの全ての考え方をひっくり返すようなものだからです。
そのときに自我が騒ぐと難しい面があるので、感情を感じることだったり完璧認定することを補足しました。
仕事の能力をあげるためになるをしても、なれてないでしょうね、
というか、仕事の能力をあげるためにしていては、立ち位置が違います。
こう言われたところで、自我の主張が大きければ、何言ってるの、それじゃ意味ないじゃん、と思うだけかもしれません。
ですから、まず、あなたがどうしたいか、それが分からなければ何とも言えません。
自分の潜在意識を意味ないものと認識してしまうなら、潜在意識の活用は忘れた方が良いです。
今までどおり、現実的にとれる行動のみを使っていくほうが良いと思います。
自分が苦手だなぁと思うことをやらされて失敗したときは、どうしますか
それを克服しないと現実やばいってなったときは、どう対応しますか
普通の人と同じですよ、克服します。
自分がとれる方法の全てを使います。
自分の感情を感じながら、事にあたります。
内面で満腹なら餓死してもいいのか、ということについては、
内面でステーキを食べて満足して、目の前のお芋もおいしく食べます。
ステーキを食べた私になったから、目の前にお芋があるんです。
ステーキを食べた私になった世界だから、お芋が目の前に現れたんです。
焼きそばを食べた私になった世界なら、違うものが現れていたかもしれません。
潜在意識の力は、顕在意識ではなかなか分かりません。
魔法のように現れるかもしれないし、現実的な出来事で、段階を踏ませるかもしれない。
しかし、知らないうちに目的地に着いていた、というものだと思います。
だからこそ、1つ1つの出来事に、叶ってるとか叶ってないとかを見いだすのは、あまり利益があるとは思えません。
認識の変更も、多様に、柔軟に、そして強靭に行うものですが、潜在意識が起こす現象も、全ての事を動員して仕掛けてくるというか、そんな印象です。
それが、今にいて目の前の事を一生懸命するということです。
今を思う存分味わい、満たされてください。
潜在意識というのは、色んな方法で、あなたを目的地へ導きます。
だから、現実を見て、叶ってない・と判断するのではなく、1つ1つを味わい、感じてください。
しなければいけない事なら、淡々とそれをします。
そういう意味で、今目の前の事を一生懸命する、と言いましたし、
思う存分味わい、満たされてください、と言いました。
もちろん、満たされたくない、と思ったら、しなくていいです。
そして、記憶同士を繋げずにいてください。
潜在意識に疲れていますが、でもやめられないし、結局戻ってきてしまいます。
こんなに自分を愛しても、感じきることをしても、何年も停滞しています。
現実を判断材料にしないでください。
現実を判断材料にしてる限り、現実はそれを繰り返します。
願いを叶えるために、自分を愛する、というのは違います。
願いが叶ったら、自分を愛する事をやめるのですか?
何かが叶ったら、自信を持って、潜在意識が使えたと思い、そして、誰かに褒められたから、評価を受けたから、自信を持つという考えは、脆いです。
簡単にすぐ崩れたり、また誰かに奪われてしまいます。
そうではなくて、何もないからこそ、自信を持つんです。
自分の存在に自信を与えてください、それは、根拠のない自信です。
これは、誰かに奪えるような自信ではありません。
潜在意識なんて目に見えない話です、もっと柔軟にいきましょう。
伸びやかであり、全てを包むような大きなものです。
軸を自分においてください。
全ての事は繋がってるようで繋がっていませんし、繋がってない事が繋がっています。
そして、全ては1つで、すべて存在しています。