ポノポノっていうのは、ウニヒピリやアウマクアを設定していて、そこを経由して、ああだこうだとしているんです。
そんな設定・概念自体が必要ないんです。
クレンジング系は全部一緒だけど、元祖1さんの思考停止は、その設定すらも思考を止めて丸投げです。
全部お任せでいいんです。
いらない思考を止めるだけでOKなんだ。
そうすると、なにか言葉にできない自分(=エゴ以外の領域)が勝手に立ち上がってくる。
自分もかなり行ったり来たりしたよ。
人は思考に振り回されてること自体を、おかしいと思わなくなっているんだ。
自己観察さんが「エゴ以外の領域のほうに比重を置くように」って言っていたけど、それだけを意識するだけで、そちらとなるべく一体になっていようとするだけで良かったんだ。
元祖1さんは自分で考えた思考消しで自力でそうなったんだから、すごい人だと思う。
これは個人的に思ってることだけど、本当の自分、つまり、別の領域からさらにエゴを内包した全体である自分っていうのは、愛しかないんだと感じている。
愛って言葉は使われすぎて微妙だけど、ああいう感覚に会う言葉がない。
それに気づくだけでいいので、自愛っていう行動がいらないんです。
思考を消すのが有効なのは、大抵の思考が、愛の打消しや、「ない」の認定に使われるからです。
メソッドやクリアリングの概念を使わないと、「○○に到達できない」っていうのも、思考やエゴの作用の最たるものだと思う。
散々やって疲れ果てて、そんなものがそもそも必要なかったんだ、すべて優しい世界だったんだと人は気づいていくんだと思う。
単純に、世界=自分という視点にたった時、全部愛、というか、全部あるような感覚しかなかったという感じです。
世界って、自分無しに成り立たないのです。
「私」が見ているのが世界のすべてです。
目の前の人も、机もペンも、パソコンもビルも、会社も国も、全部です。
全部自分が認識しているからそこに「ある」んです。
それに、あらゆる意味づけをしているから、人によっては素晴らしいと思ったり、みじめだと思ったりする。
リリーステクニックはここからきていて、あらゆる概念が外されると、そこには、世界があるがままにあるだけになる。
自己観察というのは、先に、「ある」の場所に立って、自分の概念に気づくことです。
そのからくりに気付くことができれば、その「自分」っていうのはなんなんだ、っていう話になる。
その「自分」を抜いて世界を感じようと思ったら、存在自体が世界だったとわかります。
世界がすべてになります。
すなわち、世界が存在であり、私です。
世界は「ある」しかないので「ない」なんてものがありません。
なんといっても、すべてなんです。
この「すべて」という感覚を言葉にしようとすると、愛しかない。
こんな感じですが、わかりにくいよね。
自分も書いてて、はてなって感じだけど、一番強いのが、この世には「ある」しかないっていう感覚かな
それぞれについて、説明しようとすると、まとめに書いてあることと同じようになるし、突き詰めれば、個々人で、既にもってる感覚をなんとか言葉にしようとしているだけなんだ。
わかりたい、わかりたいと思っていたけれど、わかろうとすること自体が罠だった、ということもあった。
なんだ、もとからあったじゃんというのが正直な感じ。
だから、ふっと気づくくらいでいいと思う。
自己観察さんのまとめですら、その感覚でないと駄目だと迷走してしまう。
だから、自分の感覚で、自分の方法で気づいていくことが実は一番の早道だと思います。
達人スレ元祖1式
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9650/1389931874/l50
67 : 幸せな名無しさん :2015/02/09(月) 08:10:07 pkSj1O8g0