【方法論】【ハッ!さんpart1】「思考をスパッと止めること」思考に気づく瞬間、ハッとするっていうけど、必ず真っ白な空間がある。考え始めたら、そこに帰ればいいだけです。

体感・気づき・方法論
達人さん
達人さん

認識の変更について書いてみる。
体感として既にあるもわかった。
私はメソッドとかそういうものをマスターしなければ、とか、完璧に理解しなければ達人に成れないし、願いも叶わん、と思ってたけど、なーんも関係なかった。

私なりのアドバイスは、自然に湧き出る悩みや不安といった感情は、エゴからのもので、それを無くすために、色んな本を読んだり分析したり、感情と戦ってきたけど、その行為自体が、不安や悩みが存在するという前提だったから、もうとにかく思考を止めること、ただ、止める、スパッと止めることだ。
思考に気づく瞬間、ハッとするっていうけど、必ず真っ白な空間がある。
その何もない場所が、本来の自分。なにかに悩み始めたら、考え始めたら、そこに帰ればいいだけです。

こう書くと、ただの現実逃避じゃないかって不安になる人もいると思うけど、悩んだら、解決策を考えたら解決するものじゃない。
エゴはそう見せていたけど、本当は悩みは、なんてことない物で、自分のものじゃなかった、ってわかった時に解決するものです。
それは物理的にも、精神的にもね。
ただその場所に立ち返るだけだといわれると、今までのクセでそれ以外しなくてもいいのかよと不安になるかもしれない。

でもその不安に気づいて、思考を却下していくと、だんだん自分が、現実だと思い込んでいたリアルな脚本にのめり込んでいただけなんだと必ず気づくよ。
脚本に気づいた=脚本自体はあなたではないし、真実でもないってことです。
真実は、エゴからの視点を外した場所にあって、エゴ視点ではなくなるだけです。
気づいたあとなら、なんでこんなことに気づかなかったんだろうって驚くかもしれないけど、本当にただ視点を変えるだけです。

見方を変えるのには、メソッドや知識は必要ない。
だから、既にあるを得るために、何かをする必要はないんだよ。
最初は恐怖すら伴うかもしれないけど、その悩み、その思考を勇気を持って絶ち切ってみてください。
今まで色んな事をして叶わなかったのであれば、もう考えなくてもいいじゃない。

質問さん
質問さん

既にあるは、現象として叶っていますか?

達人さん
達人さん

叶ってますよ。
ここに来るまで半信半疑だったけど、不思議なことに、本当に気づいたら叶ってる状態です。
あんまりこれ叶えたいーーとか思わなくなってるけど、最近は、昔から一度は住んでみたいと思ってた憧れの場所があったんだけど、まさに理想的な物件で一ヶ月タダで住めることになった。

あとは行きたいと思ってたミュージシャンのコンサートチケットをご好意で譲り受けることになったり、それに伴う旅費も、あくはずがなかった格安席が一席だけキャンセルであいたりとか、泊まりたいと思ってた素敵なお宿に3000円代でお試しで泊まれることになったりね。
そこでの食事も、フルコースランチをインターネット予約してたんだけど、手配違いがあったから、無料になった。

エゴ視点からすると、すげぇ、なんでだろうって感じだけど、本当に流れで、そうなってるっていうか、そーいえば、前に願ってたわって感じです。
普段は調和してるなぁって、穏やかにジーンとしてるってのが近いです。

ただ、以前の自分の感覚からすると、なんでも叶ってるって言い方だと、これが魔法みたいなもので、現実を操作しようって捉え方になるから分離しやすいかもね。
エゴが思うやり方で叶う、というものじゃなくて、エゴから見ても、気づいたら望んでた以上の最善になってます。

あと、願望が叶う=幸せって定義は、執着してる間は外すといいですよ。
実際、願望と幸せな気持ち自体は独立した別のものだし、叶うから幸せではなく、先に幸せを感じてるからやってくるのが、仕組みとしては近いです。
ともかく、あなたが心地よいと思えるやり方を実践し続けてください。
カギはメソッドではなく、あなたの中にある実感です。

私の場合、解決しようと考えるほど、逆にエゴの立場にいる事を思考で強化しちゃってましたから、あえてスパッと思考を断つことがキモでした。
これ蓋なんじゃないか、とは必ず思うと思いますが、思考してるってハッ、と気づいたらそのハッ、に意識を持っていけばいいんです、その時の意識が大事です。
これ蓋なんじゃないかにも、ハッ、と気づく、その意識を感じるんです。

蓋なんじゃないかのモヤモヤのほうが、最初は気になりますが、ハッ、の方に意識をおいていると、自然になくなります。
自分にとってそっちが心地よいって実感しだすからね。
なるべく長く意識を置こう、観察しようとしてると、その置こう、観察しよう、という思考の自分を作り、分離していました。
なので、コツとしては、意識を置く時間は長くなくていいので、とにかく思考しないことです。

質問さん
質問さん

バカになれる奴が勝つと思います。

達人さん
達人さん

ひょっとしたら、考えないことで自分がバカになるんじゃないかと、不安になる人もいるかもしれません。
思考や感情は勝手にポコポコと浮かび上がる泡みたいなものなんで、そこに重点を置かなくても、別に脳力が低下してバカになったりしません。
なので、スパッと切ってください。
そしてその瞬間、物たりなさを感じて何かをしたがるエゴにも気づいたら、それにもハッ、と気づいてくださいね。

さて、ポコポコ浮かぶだけのものに色付けして、重大だと感じたり、優劣をつけてるのがエゴの思考です。
じゃあ思考しないのなら、やっぱりバカがいいのかというと、バカと賢いの枠を作って判断しているのはなんなのですか?
バカがいいんだとか、賢いのが素晴らしいという基準を作って、物事を判断した瞬間、自分は正しいとか間違ってると思考して錯覚するため、分離を起こします。

ついでに言うと、勝つと負けるの基準ってなんなのでしょうか。
その基準、枠を作るから勝ったり負けたりが現れるのです。
枠がなかったら、勝ち負けも存在しません。

もともと世界は、一つの物なので、分離を採用すると、どこかモヤッとするわけで、それは世界と分離していることを示してくれるサインです。
なので、たとえ自分にとって、一見正しいとか、ポジティブに思えることでも、どこかヒリヒリするような渇望感があったり、モヤァ、があれば、それは分離のサインなので、その思考の元に気づいていただきたいです。
元になる枠に気がつけば、それは消えます。

そして、その枠を作って大事に守りたがってるものってなんなのでしょう?
何を得ようとしているのか?
どうぞ答えを見つけてみてください。
枠を外せば、この判断基準を外せるので、勝ち負けのないただただフラットな世界が現れます。
そしてその世界を感じた瞬間が、いわゆる別の領域であり、ハッとする瞬間です。

ぜひこれを、ハッと気づき続ける事で味わってもらいたい。
思考は次第にニュートラルになるし、別の領域を採用できてくるので、心も穏やかになるでしょう。
枠を外して思考を遮断すると、この世にはバカも賢い人も存在していないのです。

質問さん
質問さん

思考しない状態の時って、行動もしてないんですか?

達人さん
達人さん

行動は自然にでてくる感じです。
ハッとした後、気持ちよくて忘れていたり、忘れ切れてなくても、ハッ、の意識を信頼して動くことで、失敗したら、手に入らなかったら、という位置からの行動ではなく、あー、あたし今こんなストーリーをみてたんだわー、でもそのストーリーいいわー、本来ストーリーなんてまやかしだから、例え事態がどう転んだとしても平気だわー、といった心境に近くなります。
どう転んでも、いいんです。

ただこれも陥りやすいのが、どう転んだって怖くない、怖くなんてないからね、という絶望エゴストーリーをガッツリとみながら行動することではありません。
ストーリーなんて幻なんだから、実は今なんも起こってねぇしという感覚です。

また、無理にいい気分にしてから行動をしないと、と思ってしまったら、この思考自体が、いい気分を元にして出てきていないので、思考鯛思考のエゴ同士のケンカが始まり、いい気分になんてなれません。
なので、そんなエゴ同士の喧嘩の舞台からは、ハッと気づくことで思考を止めて、とっとと降りてしまいましょう。

質問さん
質問さん

例えば今白い車を持っていて、でも赤い車がほしい場合、赤い車に執着しているわけでもないのに、結局いつまでたっても、白い車のままなのです。

達人さん
達人さん

あなたの裏側はずっと、白い車だとがっかり、なんです。
どちらでもよい、フラットな感覚を心がけようとされてますが、赤い車を見るたびに不足を支えていますよね。
そのやり方を本当に適用できた場合、みかけてもわぁー、赤い車だぁーで終わりなんですよ。
普段白い車でも、赤い車があなたのところにきても、どっちでも淡々としているんです。

じゃあ願望入れ食いになって赤い車がきても喜べんやん、そんなんいややー、とエゴが騒ぎ出しますが、喜びはもちろんあります。
ですが、やったぁーー、あたいは遂に欲しいもんを手に入れたんや、これはあたいのや、うぉーー、といったテンションの高さはありません。
どちらを選ぼうかな~、フフッ、あ、こっちにしよー、はい、じゃあこれでオッケーー、という時のワクワク感に近いです。

前者のほうのテンションがなぜ高くなるのかというと、それは無いものがある物に変わったという、裏側に無いが隠されているため、渇望がスパイスになっているからです。
渇望は、分離から生まれます。
そしてエゴの餌は分離です。
すべてが一つという感覚は、分離を生みません。

分離したと思い込む事で、エゴはそれを、一つにしたいという幻想をいだきます。
そこから、四苦八苦の迫真ストーリーを展開していきます。
ですので、渇望からの達成は、元が分離なので、ずっと分離を元にしたストーリーを生み続けます。
しかも叶ったり叶わなかったりと、その渇望ストーリーは心休まることがありません。

じゃあそのストーリーからどうやって降りるんやーとなりますが、なんのことはありません、そのストーリーにハッと気づけば終わります。
それでもまたモヤモヤし出したら、エゴが新しい渇望ストーリーを生み出しているので、またそれに気づけばいいのです。
ハッ、の瞬間の、何もストーリーが始まっていない、台本のない場所を採用することができれば、自然に渇望感も収まっていきます。

質問さん
質問さん

エゴに気付くだけで本当に終わるのでしょうか?
私は、エゴに気付いてもなかなか終わりません、相変わらずエゴが強いです。
気付いても気づいても、ネバーエンディングストーリーという感じです。

達人さん
達人さん

気休めでも無いので断言しますが、気づいたその瞬間、台本から確実に降りているんですよ。
じゃあなぜ、あなたはネバーエンディングストーリーになるのか。
こだわりが強い本願と言われる物ほど、それについて思考する癖というか、人によっては、四六時中考えているほど中毒になっています。

思考にハッ、と気づいて消えても、その癖から、消えた物の残像を追っているんです。
対処法としては、それについて、もうスッパリ、考えなきゃいいんですよ。
そうしようとすると、猛烈な恐怖や、物足りなさが出てくるかもしれませんが、それもただの反応なので、ずっと続く物ではありません。

あと、メソッドや認識の変更というものに、少しこだわり過ぎな感じがします。
なんでもそうだけど、メソッドとしてやると、どうしてもこうしなければ叶わないからという、ただの繰り返しのゲームになるんです。
そんなの楽しいわけがなくて、やっていて苦しいでしょう、自分をいじめないでください。
苦しいと思ったら、思考も、実践してるメソッドすらも、スパっと切ってください。

意識への気づきの入り口は、本当に些細な物なんです。
例えば、長い時間勉強していて、ふーぅ、よーし、そろそろ休憩するかぁ、って時、勉強から意識が離れて、心が軽くなっていますよね。
こんな身近な感覚でも、エゴから離れてる瞬間なんですよ。
深く感じられるようになると、すごく気持ちのいい場所ですが、最初の入り口としては、そんな些細な感覚と似てます。
まずは手応えを気にせずに、思考をきっぱりと断つことをされた方がいい気がします。

現状を変えたいなら、思考する癖を本気で断つつもりでやってください。
叶っていない世界を元にした妄想に浸るのは、もうやめてください。
勇気を持って、そんなまやかしの幸せを捨てれば、繰り返しはなくなります 。

きつい口調でごめんね、私も抜けられなかったけど、ここを抜けたら一気に駆け上がったんだよ。
願望を忘れろなんて難しい事は言わないし、無理やり忘れることのできるものでもないと思う。
でも、考えないことは、あなたもやれるはずなんだよ。

最初は心許なくても、消えた思考の影をどうか追わないでください。
そうすれば執着は消えて、願望はそのうち、ただの意図に変わるからね。
意思が強い訳ではなく、頭脳明晰でもなく、本当にありふれた弱い私が実践すればできたんだから、あなたにできないわけないじゃない。
チケット七章に達したら達人だという風潮ですが、そんな難しい、大層なことをして達成したわけじゃないですよ。
ただ自分の感覚を信じて、人生のほんの少しの期間、実践しただけなんです。

108以外 質疑応答【10】
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1349890723/
115: もぎりの名無しさん :2012/11/14(水) 02:54:39 ID:vRgeA6yM0

タイトルとURLをコピーしました