【体感】「エゴは人生を楽しむためのツール」僕らの人生は、不足があるから充足があるんです。せっかくの人生ですから、エゴと一緒に楽しんでいけばいいじゃないですか。【こっぱみじんさんpart4】

達人part
達人さん
達人さん

あなたにはずっと現象化を待ち望んでいる願望がありますよね。
では、あなたはどうして、その願望を持ったのでしょうか?

「願望は別の領域があなたのために用意してくれたもの」だと僕は思っています。
別の領域も本当のあなたご自身ですから、「個」としてのあなたのことは良く分かっています。

「個」としてのあなたが好きそうなもの、あなたの趣味を良く理解しているから、「こんなことを体験したり、所有してみたくありませんか」とアイデアを提供してくれるんです。
別の領域に不可能はありませんので、「個」としての自分が実現可能なことを選んでくれています。

たとえば、
「高級外車に乗りたい」、「○○君とお付き合いしたい」、「愛人を作って南の島でバカンスを過ごしたい」、など、まあなんでもいいんですが、こういう願望は「別の領域の生命表現」として、あなたの頭にふと思い浮かぶようにわざわざ用意してくれたものです。
でも「個」としてのあなたはエゴが瞬間的に思考します。

「高級外車に乗りたい」、でも、「高級外車を買うようなお金ないよな」、「○○君とお付き合いしたい」、でも、「こんなに太っていたら○○君が振り向いてくれるわけないよね」、「愛人を作って南の島でバカンスを過ごしたい」、でも、「そんなけしからん願いなんていだいちゃだめだ」、など、現実、知識、常識、思い込み、罪悪感、道徳心などにがんじがらめになったエゴが、せっかく「既にある」ものを、とっさに意図を取り下げて、却下してしまうんですね。
だから願いが叶わないんです。

持ってはいけない願いなんて一つもありません。
全部あなたのものだから遠慮しなくていいんですよ。

対象の名前を外すことは、エゴによる「意図の取り下げ」に効きます。
名前や言葉をなくせば、エゴの影響を受けずに、現実をニュートラルにとらえることができます。

認識の変更をした人にとって、願望の現象化の可能性は50/50の真っ二つだということが分かりますから、「じゃあ、ほしいからちょうだい」と軽く意図することができるんです。

自分好みの願望を別の領域が用意してくれてるんだから、わざわざ「いらない」を選ぶことはなくて、当然「ちょうだい」になりますけどね。

認識が変わると、執着したり、嫉妬したりする必要もなくなります。
万能の別の領域がなんとかしてくれることが感覚的に分かっているから、(信頼している)から、現象化を待ち望んだり、焦ったりしなくなるんです。
これが「神様に丸投げ」状態です。

あなたはもし、本物のアラジンの魔法のランプのジーニーが出てきて、「3つの願いを叶えよう」と言ってきたら、大喜びして願いを言うでしょう?
そしたら「いったいいつ現象化するんだよー」と焦ったり、「本当に願いを叶えてくれるのかな」と不安になったりすることはないでしょう?

「願望が願望の形を保てない」というのは、こういうことです。
認識の変更をすると、ジーニーの魔法が3つだけと言わず、使い放題となるわけです。

質問さん
質問さん

私はどうしても、「快」という言葉に囚われてしまいます。
「今、幸せであり、今満たされてる」ならあれこれ考えずに目の前を楽しめばいいじゃんってことでしょうか?

達人さん
達人さん

感情を観察していると分かってくるのですが、エゴのネガティブな感情は、必ず「思考、言葉」とセットになっています。
不満や、不安、恐怖などは、言葉や思考がないと出てこないんです。

一方で、楽しい、嬉しい、気持ちいい、ワクワクする、のんびり、穏やか、いやされるなどの、「快」・充足には「思考(言葉)」は必要ないんです。

例えば、あったかいお風呂に入ったときの、「はー」という気持ち、赤ちゃんやペットを抱きしめた時の「はー」という気持ち、寒い日に飲むホットコーヒーの「はー」という気持ち、二度寝をする時の「はー」という気持ちを、想像したり、実際にやってみてください。

言葉は後天的に身につけるものですが、これらは言葉がなくても感じることができます。
つまり人間が本来持っている「真実の感情」なんです。

快・充足はこれらの「はー」という、心に広がるフィーリングのことです。
「充足を見る」とはこれらの「はー」を、できる限り生活の中に増やしてくださいってことですね。

でも、エゴまみれで苦しんでいる時は、最初はちょっとだけ頑張ったりする必要があるかもしれません。

つまり、「めんどくさいけど、お風呂いれるかー」、「落ち込んで外に行くような気分じゃないけど、外食するかー」などです。

本来は頑張る必要はまったくないのですが、苦しみの真っ最中だと、最低限の行動をしないと最初は難しいんです。
でもお風呂に入っている時、食べている時だけでも、「快」・充足の「はー」という気持ちを感じてほしいんです。

そして、寝る前にその日を振り返って、今日一日起きている間の、ネガティブ思考でエゴエゴだった時間と、「はー」を感じていた時間、感情がニュートラルだった時間の、どちらが長かったかを確かめてみてください。

最初は、エゴエゴの時間のほうが圧倒的に長いかもしれませんが、後者の「はー」という時間が増えていって、50%を上回った時、あなたの現実が良い方に変わり始めていることに気づくでしょう。

そうなれば、充足の「はー」な出来事は、自分で頑張らなくてもどんどん現実で増え始めます。
オートマチックで楽しいことや嬉しいことが起こってきますから、
ただただ「はー」と充足や快を感じて、自然に流されていれば大丈夫です。

そして毎日が幸せになっていけば、願いとして握りしめていた手が緩み、執着が薄くなります。
すると、願望が別の領域に引き渡されますから、現象化しやすくなるんですね。
エゴはなんにもできませんが、別の領域は万能だからです。

だから、あなたがおっしゃる通り、「あれこれ考えずに目の前を楽しめばいいじゃん」ということなのです。

ちなみに僕は、辛かった時期に、公園のベンチで愛犬をだきしめて、ぼーっとしたり、家で愛犬のお腹に顔を押し当てて寝転んで、充足に満たされてました。
「はー」っと心にあったかいものがじんわり広がるんです。

言葉なんかいりません、「はー」だけで幸せでした。
これが、瞑想や、思考を止める、「今今メソッド」、充足を見る、今幸せになる、などに通じていたんですね。

小さい子ってお母さんのおしりやおなかに、顔をぎゅーっと押し当てたりするじゃないですか。
彼らは自分を充足で満たす方法をよく知ってます、彼らは分かってるんです。

僕たちも昔は知ってたのに、大人になるとすっかり忘れちゃうんですよね。
でもあなたは必ず思い出せますよ。
あなたオリジナルの「はー」(充足・快)を日常で探してみてくださいね。

僕があまりにも、エゴ、エゴと言い過ぎたので、ひょっとしたらエゴを憎んで、「エゴをぶっ殺さねば」、「エゴを殲滅せねば」、みたいに思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。
または「エゴは自分の夢を妨害する巨大な力を持った悪だ」と恐れる方もいらっしゃるかもしれません。
でもどうかそんなことを思わないでください。

エゴは別の領域が人生を楽しむために作ったツールであり、個としての自分を守るための防御システムなのだと思います。
僕らの人生は、不足があるから充足があるんです。
完全に不足がなくなったら、僕たちは幸せを感じることができなくなってしまいます。

エゴは悟りを開いた仙人のようにならねば、なくなったりはしません。
もし完全に悟りをひらけたら、もはや喜びや幸福を味わったりすることもないでしょう。

エゴは現実教の狂信的な崇拝者で、超真面目な常識人です。
思い込みが激しく、嘘つきで、怖がりで、行動したがりです。
視野が狭く、すぐ情報に惑わされる情弱なんです。

でも、僕らはこれからも、愛すべき困ったちゃんの「エゴ」と、二人三脚で人生を歩んで行きます。
せっかくの人生ですから、エゴと一緒に楽しんでいけばいいじゃないですか。

怖がったり、憎んだりしなくていいんです。
僕がこうやって文章を書けるのも、思考、(エゴ)のおかげですしね。
エゴに対しては、「まったくしょーがねーやつだなー」と軽く考えてほしいです。

どうぞこれからもお気楽に、楽しく生きていきましょう。

なるほどのうまく行く願い実現方法
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9650/1567865142/
269 名前:こっぱみじん 投稿日:2019/11/08(金) 22:22:23 ID:vOqq./2c0

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