「願望が叶わん」と言っている人は、「今の状況を何とかしたいから」という人が多いのではないかと思います。
でも世界は全部自分が創造したものなんで、今の状況も自分が創造したんだって事をまず認識する事から全てが始まるんじゃないかと感じます。
状況はもちろん、性格や人間性を作ったのも自分、今の肉体を作ったのも自分です。
本当の自分は一切の一般的な感情を持たない全知全能の存在みたいなもんですから。
自分の世界に出現させたい状況(容姿、性格、財産、その他全て)を「ただ淡々とチョイスしていけば良いだけなんだ」と気付いてから、「叶う」という言い方も違和感ありますが、何でもかんでも叶うようになりました。
「車欲しい」と思ったら車を買えるって事ですか?
「欲しい」と思うのは、それが無いから欲しいと思うわけですよね。
「車が無いから欲しい」っていうのは、元を正せば自分が車の無い世界を創ってたわけですから、車がある世界を創ればいいんです。
「欲しい」っていうのは、無い世界をチョイスしておきながら、ある事を望むっていう、非常にややこしいというか妙な世界を創っているわけです。
とにかく、自分の世界は100%自分が創り出したんだって認識するだけで変わる人はどんどん変わります。
でもここで、俺は悪い事なんて創ってない、って思う人がいるはずですが、いい、わるいを決めているのは、自分(いわゆるエゴ)です。
道を歩いてて百万円貰うのも、道を歩いてたらいきなりブン殴られるのも、本当の自分には等価値なんです。
何故なら自ら創りたくて創ったんですから。
どっちがいいとか悪いとか、上だとか下だとかを判断して勝手に思い悩んだりしてるのはエゴです。
本当の自分から観れば、赤い絵の具と青い絵の具のどっちを選ぼうか、つまり、百万円と殴られるのどっちを選ぼうか、というだけの話です。
自分の世界にお金という色をつけたい人なら、赤い絵の具にいい印象を受けて、そっちを選ぶでしょうし、自分の世界に殴られるという絵を描きたい人なら、青い絵の具に魅力を感じて、そっちを使おうと思うでしょう。
これが「チョイスする」ということです。
朝起きて、自分の肉体があるのも、いつもの煎餅布団で起きたのも、いつもの寝巻きを着ているのも、全部創造した事です。
おなじみの肉体じゃなくて、例えば元巨人の桑田みたいな顔になってたら、職場でどう言おうかな、とか、免許の書き換えが面倒くさそうだ、とか、それ以前に桑田の顔はどうなのか、とか、様々な思考が、意識的、無意識的に行われていて、結果チョイスしたのが、おなじみの肉体という事です。
この「チョイスする領域に気付きましょう」という事を言いたいわけです。
感覚としては「さぁ、今から作ろう」という感じでピンポイントで創造できるものですか
ある事を創造しようとした瞬間に感じる印象や、感情を重視しています。
エゴ視点ではない、いいと感じる絵の具が来るまで待つ感じです。
この世界を自分で創り出したわけではないと思ったり、思わなかったり、とブレませんでしたか?
結局そう思ってるのは全部エゴなんです。
特に、一般的に良くないとされる事がある場合に、こう思いがちなんですが、良くないというレッテル貼りは、エゴがやった事です。
全部自分が創った認識に至れば、やっぱり愛しか感じないですね。
肉体をチョイス云々に関しては、それに気づく事が出来れば今の肉体を変化させる事は結構簡単です。
明日の朝に顔が桑田や松井になっているとは言いませんが、痩せたり太ったりは簡単です。
肝心なのは、自分の作品である今の肉体を否定しない事だと思います。
創ったものはまず受け入れて、でも次は、別の絵の具で肉体を描いてみようという認識です。
望む現実を描いては、破ってしまう、というループに陥ってしまっています
恐らく、今現在創った自分を否定してしまっているのではないかと思います。
自分の創った作品を「こんなのはダメだ、ヘタクソ野郎」と破り捨てるのを繰り返せば、そこには否定しか生まれないので、否定的な世界を創ってしまうのではないかと感じます。
肉体云々でも書きましたが、まず、今まで創った自己の作品を認める事が大事なのではないかと思います。
以前の私は、引き寄せとか、その他諸々のメソッドを、何かスキルを身につけるような感じで行っていましたが、全て自分が創造したものだと認識が変わってからは、そのような感じは消えました。
「自分は波ではなく、実は海だった」と気がついた気分です。
波が海だったと気がつくまでの過程を教えてください
私は引き寄せのメソッドを特殊なスキルを身につける事だと思ってて、なんか怪しいが、仕事の役に立つかもしれないと考えていました。
しかし、以前の私は超がつくほどの短気な人間で、しょっちゅう仕事でも怒っていました。
当然、そんなに怒っていたら、人間関係でのトラブルにも遭遇します。
ついにストレスが限界に達し、「もう怒っているのはたくさんだ」と思ったときに、果たして誰が怒っているのか、という考えが浮かび、そこから自分のエゴというものについて考え始め、改めて引き寄せなどの本を読んでみると、ものの見事に、自分が怒りを引き寄せているのではないかと感じ始め、そこから紆余曲折を得て現在に至ったわけです。
チョイスするというのはどういうことなのでしょうか?
チョイスするとは、この世界を創ったのは紛れもない自分なのですから、自分の望む事を意図すれば良いだけなんです。
語弊があるかもしれませんが、願望という概念自体がすでにおかしいと思っています。
世界の全部は自分なのですが、何かが欲しいと思うと、どういうわけか、あれを得るためには、もっとこうしないと、とか考え出してしまうんです。
つまり、世界=自分から分離を始めるわけですが、この状態を「私は願望を持った」と勝手に思っているんです。
その欲しい対象を創ったのは自分なんですから、なんでわざわざ、自分から自分の手足を切り離すような事をするのかって事です。
もう願望が現れた瞬間に、それは紛れもない自分なんです。
その「願望」という名前を勝手に付けたものを、自分のもの、自分であるという認識で選びましょう、という事ですね。
こんな苦しい状況なんて、創るつもりなんてなかった、と思う方もいると思いますが、その苦しい、苦しくない、というのは、全部エゴの部分が判断しているだけで、本当の自分には関係無いのです。
その「苦しい、辛い」と勝手に思ってる状況は、やっぱり自分が創ったものなんです。
ですから苦しんでもいいし、苦しまなくてもいいし、どっちでもいいのです。
何故なら本当の自分が書いた絵を、エゴが勝手に評価を下して、「この絵はダメだね」とか言ってるだけなので、そんなどうでもいい評価は、勝手に言わせておけばいいのです。
エゴの評価は無視して、本当の自分が創った絵を受け入れる事です。
それから新しい絵を選べばいいんです。
絶対に、自分の創ったものを否定しない事です。
まずは受け入れて、別の作品を描けば良いだけです。
作品を書く前には、当然ですがまっさらなキャンバスに向かいます。
このまっさら状態になる為のツールが、いわゆるクレンジングの類ではないかと思ってます。
「全部が自分」状態は、言い換えれば、いつでも好きなときに、まっさらなキャンバスに向かえる、好きなものを書ける、創れる状態と言えます。
ですから、自分は波ではなく、海なんです。
自分が波だと思ってると、隣のビッグウェーブが気になりますが、自分が海なら、そのビッグウェーブを創ったのはやっぱり自分なんです。
ですから他人の成功は心から喜べます。
具体的にどんな願いを叶えられたのですか、
桑田さんのような顔になれたんですか?
最近では新しいパソコンを買ったぐらいです。
買ったというよりパソコン好きの友人が、自作してくれた物を貰いました。
桑田のような顔にはチョイスしなかったのでなりませんでした。
チョイスしてから現実化まで、どれくらいかかりますか
実際は自分が創っている人々ですが、自分の周りの人間に、自分が創ろうと意図した事と関連した事が起きます。
チョイスするという言い方が悪かったようですが、言い方を変えると、この世界は自分が創造したものですから、既にチョイスは完了しているとも言えます。
自分=世界、世界=自分の感覚になる事が出来ると、例えばハイスペックのパソコンが欲しいと思えば、その辺のヨドバシカメラに行けばズラリと並んでるわけですが、それらも全て、自分が創ったものです。
自分が世界と切り離されていると、そこに「まだ所有していない、まだお金が無い」とか色々な不足感が邪魔しますが、自分は世界なのですから、不足感は感じません、あるのは満足感だけです。
不足感が無ければ、あとは勝手に自分の所へ来てくれます。
「所有してない」とか、「足りない」とか、そういった個人レベルの概念を外せば、自分が創った世界には、文字通り、希望したものが何でもあるんです。
あとはどれを選ぶか、というだけの事です。
つまり、願望はもう叶ってるんです、実は叶った状態の世界を創ってるんです。
あとは好きなものをチョイスしましょう、という事です。
何かが欲しいなあと思って嫌な感情が湧いてきたら、せっかく自分が創った世界と分離している合図です。
でも別に押さえ込む必要もありません、分離してる事に気付くだけです、気付けば消えます。
何故なら分離は、エゴの作った幻だからです。
逆に創った世界との一体感に目覚めていれば、とても満足した感情が勝手に湧いてきます。
すでに全てが用意されている、自らの創造した世界で、好きなものをチョイスしてください。
「ヨドバシカメラにパソコンがあっても、自宅にはないので、まだ所有していない」と、どうしても思ってしまいます。
ある願望について、エゴの思い込みがあると、自分と世界が引き離されてしまいます。
その思い込みとは、非常に些細な下らない事だったりするのです。
例えば、パソコンの話で言うと、「パソコンが欲しい、でも自分の机は散らかってて置き場所が無い」とか、金銭関係で言えば、「お金が欲しい、でも給料が上がるとギャンブル狂の自分のオヤジが金をせびりに来るかもしれない」とか、恋愛関係で言えば、「結婚したい、でも今結婚したら長いこと独身でいる自分の友達と仲が悪くなってしまうかもしれない」とかです。
全ての例で、あえて「自分の」という言葉を使いましたが、まさに自分(=エゴ)が作り出した幻です。
「世界=自分」なのですから、「自分の何何のせいで、何々が出来ない」という概念にはならないのです。
何故なら全て自分だからです、他の物という概念は無いのです。
さらに「何何が欲しい」という部分を「呼吸がしたい」という文に変えてみると、なんと妙な事を言っているんだと感じると思います。
呼吸と机が散らかってる事なんて、関係無いじゃん、と思いますよね。
つまりこの瞬間に、全てはエゴが生み出した幻であると、ハッキリ認識できたと言う事です。
後はこの下らない思い込みを、どんどん手放してしまえば良いのです、勝手に願望なんて叶っていきます。
思い込みが無くなるという事は、結局は、世界=自分だった、という認識にならざるを得なくなるのです。
108式成功体験談・その2
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1288174368/
57 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2010/12/01(水) 03:02:14 ID:JK4zyke.0