達人まとめをいろいろと読んできたけど、「自分はエゴではなく、エゴを包括した世界だった」と気づいたことが「認識の変更」だっていうことを、大体の人が言っているね。
アイデンティティーの「変更」というか、アイデンティティーの「崩壊」という感じかな。
自分の正体が、「全」、つまり、「世界」だとしたら、継ぎ目がなく、延々と、どこまでも自分は1つであって、そうすると、そもそも「1つ」という言葉もおかしくなるね。
だから「非二元」ということで、自他がなくて、何も認識できない「非二元」だ。
それを分割して、「これは私で、それはあなただ」と分離させて、世界を認識させているのがエゴだね。
エゴは「全」に備わっている、二元分割機能っていうだけだ。
「全」は、エゴを使って、わざと苦しみを作ってるのかな。
苦しみを作って、苦しんで、そこから開放されることによって、喜びを感じてるのかな。
その繰り返しが、「全」の楽しみなのかもしれないね。
例えば、「お腹が減った」という不足から、「満腹で幸せ」という充足になる。
「眠い」という不足から、「寝てすっきりする」という充足になる。
「あれ欲しいな」という不足から、「手に入れた・嬉しいな」という充足になる。
全てがこの繰り返しだ、「不足と充足のループ」なんだ、このように「世界が展開しているんだ。
不足がないと、充足もわからないし、こうでなきゃ、世界を楽しめないよね。
「不足」から「充足」というループが、「全」の楽しみであるなら、放っておけば、勝手に叶うんじゃないのかな。
「お腹が減った、カレーが食べたい」という不足が起きたら、「全」は、私の身体を動かして、世界を動かして、カレー屋が現れて、カレーを食べて充足する」という展開になるよね。
たまに、「カレーにしようかな、ラーメンにしようかな」と悩むけど、そうするとやっぱり、世界の展開は遅くなるよね。
スプーンで食べようかな、フォークで食べようかな」とかを考えずに、自然に流れに任せれば、勝手にスプーンを手に取って、カレーを食べることになる。
「カレーを食べる」という意図さえ取り下げなければ、世界は勝手に、カレーを食べる展開に、自然となるんじゃないでしょうか。
認識の変更のみを目指すスレ6
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381 : 幸せな名無しさん :2020/01/06(月) 02:07:01 K23SI0NU0