「思考に気づく」ことの目的は、思考が勝手に作り出したストーリーから目覚めて、本当は何が起こっているかを見るということです。
ですが、ストーリーから目覚めるのではなくて、新しいストーリーに夢中になってる人が多いように思います。
「何かを理解することで目覚めることが出来る」、「何かの答えを求めるストーリー」、「どこかから抜け出す方法を探すストーリー」、というストーリーに夢中になっています。
理解すべきことも、何かの答えも、抜け出す方法も、そのストーリーのどこかにあるかもしれませんが、その探求に夢中になってどうするんですか。
その探求してる思考こそが、虚構であると気づくべき思考なのではないでしょうか。
実際に、その不足が起きているんでしょうか。
それは、ただ思考に流されたままに、あなたが認定しただけのことじゃないんですか?
本当に理解しないといけないことなのか。
本当に答えを得る必要があるのか。
本当に叶える為に「意図」とか、「選ぶ」ことをしないといけないのか。
それらは、全部思考じゃないんですか?
それらが、本当に必要だと思えるんだとしたら、思考のストーリーにどっぷり夢中になってるってことです。
「ストーリーから目覚める」ということと、理解とか、答えとか、方法を知ることとは無関係です。
それらはあくまで、ストーリー内での関連付けなので、そうではなくて、それらが関係ないと見抜くことが、目覚めることです。
不安をどうにかしようとして、何かを読んで理解しようとすることは、「今」から逃げようとする行為です。
理解しようとすることを諦めることです。
今のまま、何かを理解したり、変えたりしなくてもいい。
その「理解したい・変えたい」というのは、「今」から逃げようとしている、マインドが言ってるだけのことだから、従う必要がないんだと気づくんです。
何かを探して求めても得られません。
それはたった今、ここにしかありません。
自己観察スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1359912334/
599 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2013/12/15(日) 00:29:40 ID:opzu79tg0