認識の変更が起きたので報告します。
私の本願は、特定の人に愛される自分になる、というものでした。
約一年前に潜在意識に出会いました。
現実逃避のために、生半可な気持ちで取り組んだので、重要性の低い願望は達成されましたが、本願は最悪な状態まで悪化しました。
潜在意識に、半端に手を出すくらいならやらない方がいいというのは、その通りです
約半年前から、一度死んだつもりでドン底から、本格的に潜在意識活用に取り組みました。
観念の掘り下げと書き出しを行って、自信の重要性を実感しました。
アファやブレインダンプをしましたが、認識変更には至りませんでした。
自信が少しずつ身についたことで、容姿が変化したり、本願に対する大きな動きが起きましたが、達成には至りませんでした。
それどころか、現実に振り回されて自己評価を落としたことで、状況を再度悪化させました。
都合の悪い過去を思い出さない選択をする、という言葉と、今にしか存在できない、という言葉の意味を考え、ひたすらそれを実践しました。
辛い過去が浮かんできたら、それを認めて、ぼやかすイメージをしました。
辛い気持ちを押し込めようとか、手放そうとはしないで、今の自分がどうありたいか・ということに集中して、押し流すイメージをしました。
現実に対するリアリティを疑うというのは、五感で感じる外の世界ではなく、内側の世界が主体だと理解しました。
ブレインダンプをしていた時に、自分に対する認識に沿った現実を見ていたことに気づきました。
自分自身に対する認識が全てであり、体感するのは全てそれに伴ったものであることを知って、絶大な安心感を得ました。
そして、なりたい私に認識を変更して、自分自身への認定を変更しました。
今まで私が自分自身にしていた認定は、相手のことが好きだけど、いつ裏切られてもおかしくないと思ってビクビクしている私でした。
この認定は、過去の失敗や、裏切られたトラウマ、自信不足などに基づいていて、あたかも当たり前のように作られたものですが、過去は、今ではありませんから、押し流しました。
私はこの自分自身への認定に沿って、相手のことが好きだけど、いつ裏切られてもおかしくないビクビクするべき現実を見ていました。
自分自身への認定に沿った完璧な現実を見ていたことがわかった瞬間、内面での認定が全てなのだと理解しました。
理解してしまえば、後は認定を変更するだけです。
そして、相手のことを心から信頼し、安心し、愛する私になりました。
ここには、相手へのコントロールは一切ありません。
全て、私自身の内側のみで行っていることです。
外側にいる相手などは、コントロールする対象ではないので無視です。
認定=世界は完璧なので、この認定に沿って、相手のことを心から信頼し、安心し、愛するべき現実を見ることは確定しています。
現実において、相手が心から信頼すべき、安心すべき、愛するべき相手となることも確定です。
今まで、いつ裏切られてもおかしくないビクビクさせられる相手を実現していたのですから、当然です。
ただしこれは、相手をコントロールするという意味ではありません。
自分への認定に沿った現実を見るだけです
不要な過去はわざわざ思い起こす必要もなく、目に見える現実で答え合わせをする必要もありません。
認定をぶれさせる要素をわざわざ探す意味はありませんし、不可抗力的に見てしまったとしても、内側での認定が全てだと分かれば、ぶれる意味のなさもわかります。
悪く見えることがあれば落ち込むのは当たり前ですし、悪いことではありませんが、その感情と、自分自身への認定とは関係ありません。
これを理解するには、今までの実現経験が参考になりました。
良く見えることがあっても、ビクビクする私という認定を揺らがさず、それに沿った現実を実現させていたのだから、認定が全てなのは当たり前です。
相手がいる願望であっても、自分自身への認定と、自分の内側が全てです。
認定できる範囲は無限ですが、無理やり一足飛びに行くのではなく、まずは、今確信しているこの認識をベースにして、妻である私、最高に愛される私へ、無理のない認識変更を行う予定です
また、二元論についても、ここまで理解してからやっと分かりました。
あるという認識と、ないという認識は同時に存在していて、自ら何を選ぶかが全てです。
なるに関するポイントは、願望に関して、自分が自分自身にどんな認定をしているか理解して、それに沿った現実を見ていると気がつくこと、そして、今にいることでした。
自分自身への認定と、見ている現実が異なることは、絶対にありえません
現実と認定が食い違っているなら、自分に対する認定を理解出来ていないのです。
自分への認定を理解するためには、ひたすら自己観察・ブレインダンプなどで、自分をよく知ることが足場固めになります。
ネガや不平不満も、恐れずに、全てを曝け出して続けることが大事です。
そこで出てきた、あらゆる価値観や、観念を、必要なものと不要なものに分類するという、地道な作業もオススメです。
いい・わるいではなく、好き・嫌いで判断するのがコツです。
例えば、私は異性経験が少ないことがコンプレックスでしたが、言い寄られた相手と次々に関係を持つ自分と、人から好意は持たれるが、好きでもない異性とは関係を持たない、一途な自分を比較した時、後者の方が好ましいと感じたので、そちらを選びました。
というより、無意識にそちらを好ましいと思って選んでいたことが分かったので、そもそもコンプレックスに思う必要がないことも分かりました。
すぐに関係を持つ私や、浮気症な私が好ましくなれば、それを選択することもいつでも出来ますが、善悪ではなく、根本的に必要性を感じないから選ばないだけです。
自分への認定と現実はセットなので、現実を見ていれば、自分が自分にどんな認定をしているかを把握することも可能だと思います。
認識の変更が起こると、絶大な安心感が生まれるのは確かですが、劇的な変化があるわけではありません。
顕在的・潜在的な劣等感や、固定観念は、未だにあらゆる面に、あらゆる理屈をつけて存在していますので、ネガも起こります。
私自身を構成する要素なので、当たり前ですし、それ自体は悪いことではありません。
つまり、その時の自分自身の構成要素に応じた、感情のバロメーターに沿ったことだけが認定できて、認定に沿った現実が体感されるのです。
今の自分の構成要素から来る、感情のバロメーターにおいて、彼の妻である私という認定は、まだ当たり前に決定できる段階ではないと感じています。
ですが、現在確信している認定、相手のことを心から信頼し、安心し、愛している私、という認定である体感が十分になれば、自然に変更されることが分かっているため、焦りはありません。
この辺りは、私の性格的な部分もあると思いますが、感情のバロメーターが、最初から無制限な場合もあるだろうと思いますが、自分にとって無理のない選択をしています。
現象化についても、当たり前に起こることが過去の自分自身から明らかなので、いつになるかと気にならなくなりました。
しいて言えば、今です。
今回は特定の相手とのことでなるを体感しましたが、金銭面や容姿においても当然応用できるはずです。
引き続き、ブレインダンプとアファを行って、足場固めをしつつ、自己の認識を変更していきたいと思います。
なってからは、いままですがり付き、答え合わせをせずにいられなかった現実への興味が急激に薄れました。
内面の絶大な安心感から、自分への圧倒的な信頼があります。
また、他人に心から怒ったり、悲しんだりすることもなくなり、強い願望を持つこともなくなりました。
自分の行動や容姿が変わるのはわかるんですが、特定の相手が変わるのはなぜなのでしょうか
自分の容姿を変えるのも、特定の相手を変えるのも、自分に対する認識を変えるだけなので、同様に可能ですよ、可能じゃなければおかしいです。
自分への認定を変えれば、見える現実、体感する現実が変わり、その中の登場人物も、その現実に沿って存在するのは自然な話です。
ただし、訴えかけるのは画面の中の他人ではなく、自分自身の中です。
他人を変えることは主目的には出来ず、見たい現実を選べるだけで、そのためには自分の認定を変えるだけです。
認識を変更してから思ったことなのですが、自分への認定を変更したあとに、外側の相手が全く変化していなかったとしても、なんでも実現させてきた自分への信頼があるので、特にショックは受けなかったと思います。
別に今そうなっていなくても、いずれ変わるだろうと思っていました。
本気で落ち込むことがなくなったのはそういう感じです。
ブレインダンプで、自分の認定を知れるのでしょうか
私の場合は、ブレインダンプ中に、自分自身への認定を書き出していて気づきました。
ブレインダンプをせずとも、他のメソッドを利用して、気づく方法もあると思います。
私は慢性的に、ネガもエゴも強く、自信が持てず、何かしていないと不安という性質があったので、ブレインダンプは半年ほど習慣的に行っていました。
今では、頭の中にあることを、紙におろす作業を、かなり自然に行えるようになりました。
ブレインダンプでは頭で考えることの限界があるため、感情のような体感を得るには遠回りな面もあるかもしれません。
感情を感じ切る方法なら、徹底すればおそらく100%認識変更に至れますが、ブレインダンプの繰り返しだけでは、100%認識変更に至れるとはいえません
ただ、ブレインダンプを使用した方法なら、地道な顕在意識での努力の積み重ねによって、認識変更に辿り着く事も不可能ではないと、今回の体験から思います。
自分の中にある感情・本当の望みを理解でき、自分の認定が全てと分かれば、手段は何でも良いんです。
私は、身体の病気によるわかりやすい外見の特徴がありました。
これが非常にコンプレックスだったのですが、○○さんの自慢の妻に認識変更をした際に、、それならついでに、外見のことも認定を改めようかなと思って、私は可愛くて、人によく好意を持たれる容姿というものに、漠然と認定してみました。
手や足などを細かく決めると、ないにフォーカスが当たった時に辛くなるかなと思ったので、漠然と認定してみました。
鏡を見てもおぉ・可愛いと思いますし、パジャマ姿ですらセンスいいなー・と思ったりします。
思い込むのではなくて、アファとも微妙に違っていて、自分の思える範囲で、そう思っているのです。
そうしたら、やはり、まわりの人から容姿を褒められるようになりました。
現実が変わってきているのを感じたあと、答え合わせをしようと、自分の写真を撮って、過去の自分の写真と比較すると、顔のパーツが大きく変わったわけではないのに、輪郭も表情も、あきらかに良くなっているのが分かりました。
以前の自分なら、容姿を褒められてもそんなことない、同情しているだけだと思って、自分の認定を絶対に揺らがさずに、同情されるだけの醜い自分を実現していたと思います。
整形してふたえにしなければ、とか、あと5kgやせなければ、とか小さい頃に骨格をきちんとしていれば、とかのくだらない観念も、過去の自分が認識を強固にするために繰り返していた、アファメーションのようなものだと今では笑えます。
ただ、私はまだ奥底で、芸能人なみのスタイルになるのは無理、おこがましいなどと思っているふしがありますが、確信している体感を積み重ねていくことで、いずれは可能になる認識なのだと思います。
【701式他】『なる』について語ろう!8
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9650/1441687453/
82 : 幸せな名無しさん :2015/09/12(土) 14:19:07 6i2pdQhc0