【方法論】【紙さんpart4】「自由に夢中に、毎日冒険だった頃のように、ワクワクしながら生きる事」自分から、自分の束縛から自由になることです。自由こそ最大の祝福ですよ。願いが叶ったりなどはオマケです。

達人part
質問さん
質問さん

願望を叶えるために、叶った場面をイメージングするのは、ベストな方法ではないのでしょうか

達人さん
達人さん

イメージングだろうと何だろうと、所詮エゴの枠内です。
その枠内には、一時的に、叶ったという喜びはあるかもしれませんが、新たに、失うかもしれない、失敗するかもしれない、あれが足りない、などの不足を呼びます。
エゴの望みをイメージそのまま叶えたところで、所詮はエゴなので限界がある。
それは、新たな不足が生じる、ラットレースですよ。
私はラットレースは嫌なので、一抜けしただけですよ。

いちいちエゴで、あれこれ具体的に頼んでいてはキリが無い。
あれは手に入ったがあれが足りない、またイメージングしなくては、など、いちいち面倒ですし、終わりは無いですよ。
細々と細部の細部まで、ご自身でやりたいなら別ですよ、止めはしません。
私は面倒は嫌いなので、全部くれ、でいいじゃ無いですか。
自分でやらず、その道の完璧なプロに任せた、それだけですよ。
そして、やはりプロは凄いな、自分ではこの発想は無かった、自分だとこんなに出来ないな、と関心しているだけです。

質問さん
質問さん

理屈はなんとなく分かってるつもりですが、神に全てお任せしても、全然どうしていいのか分からない状況です。

達人さん
達人さん

理屈の理解はいりませんよ。
神に全て任せた、それで終わりですよ。
貴方はエゴが納得出来ないと言っているだけです。
エゴを納得させることは、貴方には出来ないので、諦めてください。
エゴは、エゴ自身で勝手に納得するのです。
理解してから、わかる、納得する、というのではないのです。
ですので、エゴが勝手に感嘆の声をあげるまで、放っておけばいいです。

質問さん
質問さん

いついつまでにこうしなきゃならないけど間に合いそうにない、というケースでも、すべて神にお任せすれば解決してますか?

達人さん
達人さん

期限付き、ということ自体が、エゴの枠です。
結果的には、実際の神の完璧は、そんなものは無効にしてきますから何とも言えません。
ですが、私のスタンスは、期限を守る、と決めて、全力で取り組みますね。
結果的にどうなるかは神任せです。

108さんは、すべての活動で、知覚のシフトが目的だと言った。
知覚のシフトとは、この世界の完璧たる所以がわかる、ということです。
理解、納得は必要ない、わかるのです。
私が言っている歓喜というのは、この世界の完全性を知る事、すべてのものから自由になる事です。

特に、自分から、自分の束縛から自由になることです。
自由に夢中に、毎日冒険だった頃のようにワクワクしながら生きる事です。
自由こそ最大の祝福ですよ。
願いが叶ったりなどは、私にとっては当たり前の事であり、オマケです

質問さん
質問さん

神の完璧を見ると意図したけど、特にわくわくしません

達人さん
達人さん

全力で生きてみてください。
全力でマイナスな感情も感じていますか?
貴方は今、安全な場所にいる。
貴方はそこから出ていないのではないかと思うのです。
そこから出るべきなのですよ。
貴方が不足もある、と考えているこの世界は、このままで完璧なのです。
だから、安心して全ての場所で、全ての感情を全力で感じて、全力で取り組んでみてください。

貴方が避けてきたことに向かい合ったり、チャレンジしてもいいでしょう。
意外な発見ができるかもしれない。
日向ぼっこというのは、目を閉じている状態です。
それは、心を安らかに保つためのものです。
そして、大抵の本は、そこを目的としている。
108さんはそうではないのです。
そこから一歩踏み出して、外に出ろと言っている。

かつて苦手だった、避けていたもの、感情など、それらの本当の姿が見えたとき、歓喜の声をあげる、ということなのです。
この世界の本来の姿が見えること、それは日向ぼっこではあり得ません。
貴方は自由になれるのですから。

質問さん
質問さん

心の動きも全力で楽しめ、というわけですね

達人さん
達人さん

勿論です、人生は最高のエンターテイメントですよ。
映画などを見て、心を揺さぶられたことはありませんか、そういうことですよ。
それは、映画が安心して観られるからなんです。
世界が完璧だとわかっていれば、安心して感情の上下も楽しめるんです。

貴方が避けていたこと、諦めたこと、嫌だと思っていたことをすればいい。
あまりこだわらずに、大したことではなくとも、真剣に、全力でやることを意識してやってみてください。
好きなことを全力で取り組む、好きでないことも全力で取り組む。
日向ぼっこは、好きでないことをやり過ごす、ということです。
やり過ごしていた感情を感じる、新しいことにもチャレンジする。
全力でチャレンジしたが、無理だったなら、それ以上する必要はない。
以前のあなたが避けていたもの、苦手だったもの、敬遠していたもの、ありとあらゆる全てを全力で味わえばいい、ということです。
新たに気付くことがあるはずです。

私が、何故ラットレースから抜け出したか、というと、物理現実上に現れた、神の完璧の無限の力と、壮大さをまざまざと見せつけられて、エゴが完全に全面降伏したからですよ。
今までの、エゴがマイナスだとラベリングしていた出来事も含めて、エゴが全面降伏した出来事がありました。
神の完璧の伏線、完璧を完璧にするためのパーツだった、という事が開示されたからです。

神の完璧を見せてみろと見る決意をして、そうなりました。
ここまで完璧なのか、全て計算だったのか、と驚いて、今ではもう、多少エゴが不快だろうと、、寧ろこのエゴが不快と感じた、最悪だと感じた出来事が、どのような神の完璧を見せてくれるのか、ワクワクしかないです。
そして毎回、期待、予想を見事に裏切る、大幅に上回る、もう叫びたくなるくらいのレベルのものです。

エゴの認識とは関係なく、既にあるんです
それは、生み出したり、創り出すものではありません。
ですので、貴方がどう思おうと、既にある。
もう別次元の話ですよ。

繰り返しになりますが、貴方の思考ごときで、神の完璧は揺るがない。
既にあるものは、消えたりしないのです。
そもそも、消えたり現れたりするものではない。
信じようが信じまいが、それも関係ない。
思いっきり疑ってくださっても結構です。
こう考えたら消えてしまうのでは、現れるのでは、現れないのでは、と揺らいで頂いても結構です、一切の影響を受けません。
勘違いされている方が多いのですが、普段どう過ごすか、ということと、既にある、ということは、全く繋がりがありません。

視野の話ですが、針の穴くらいに狭い視野だったので、全面が黒しか見えていなかったが、離れてみると、巨大な白い布に針の先のような黒い点が付いていただけだった、ということです。
白い布は元々あるんです。
しかも、地球を覆うくらい、それ以上巨大なものだが、貴方は視野が狭くなっているので、膝をつけて、目を近づけて、黒いシミしか目に入らないようにして、黒いシミを消して、白い布にしようと躍起になっている。
全体を見渡せば、白に圧倒され、黒いシミなど見えなくなる、どうでも良くなる。
そもそも黒いシミが見つからないので、もともとあったのかも怪しくなる。
取り敢えず立ち上がって、何歩か後ろに下がって見てみるだけでもわかりますよ。
出来る出来ないは関係ありませんよ、ただ、やるんです。
神の完璧を見る、ただそれだけですよ。

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