街を歩けば、様々な物が目に飛び込むだろう。
それらはあなたの認識だ。
様々な音も聞こえるだろう、それらもあなたの認識だ。
あなたの認識で埋め尽くされているのが、あなたの世界だ。
あなたが何かに焦点をあてて、考え事をする。
そういったことも、あなたの認識だ。
あなたの世界だけに生まれた、独創的な創造物である。
常に、自らの認識に包まれていることを、意識しなさい。
それは毒にもなり、快楽にもなる。
だが、すべては幻である、囚われてはいけない。
囚われないとは、あくまで単にそれがあるだけ、という距離感を保つということだ。
客観的な視点で物事を見ることだ。
決して同一化しないことだ。
すべてを言葉に置き換えて観ないことだ。
我々は、郵便ポストが目に飛び込めば、郵便ポストという言葉で認識する癖がある。
だが、それは郵便ポストではない。
そのように教え込まれただけで、それ自体は単なる物体だ。
物体すらも、言葉を与えなければ存在できない。
そうなれば、モワっとした波動のようなものとして、感じることができるようになる。
すべてを感じよ、言葉を捨てよ。
感じる、というのは、今しかできない。
つまり、感じている状態とは、今にあるのだ。
肌に触れる気温を感じ、足にかかる重力を感じなさい。
感じている間、言葉を捨てている間、あなたは今にある。
あなたが持病に悩んでいたとする。
だが、同じ持病を持つ誰かは、それを屁とも思っていなかったりする。
経済的な問題も同じだ。
それはどういうことか、 同じ対象に対して、認識が違うのだ。
それが世界だ。
生だ。
そしてあなたという世界観だ。
ダンサーインザダークという映画があるが、あれをブラックコメディーと捉える人は、ずっと大笑いしているだろう、人それぞれの世界観があるのだ。
価値観というチープな表現に収まってしまっているが、個々の世界観は、その人の生きる世界そのものである。
そして、誰にも等しく今がある。
例えば、乳母車を幸せそうに押して歩いている、奇麗な若い奥さんがいる。
彼女は、去年までOLだった。
OL時代は、日々与えられた業務をこなし、休日は同僚と海外旅行して、コンパやおしゃれに勤しんで、それは充実した毎日だった。
さらに数年前、彼女は女子大生だった。
大学時代はたくさんの出会いに恵まれ、車を持っている彼氏に連れられて、たくさんの場所を訪問した。
訪れたすべての場所が思い出である。
美容にも、ダンスにも、ヨガにもどっぷり漬かり、日々アルバイトしながら自分を磨き、友人たちが持ってくる、常に新しい世界の扉に、ワクワクしながらの毎日だ。
さらに数年前、彼女は女子高生だ。
当時の流行に遅れることなく、ギャルである。
文化祭の出し物で、毎日遅くまで練習して、クラスメイトと盛り上がったダンスや、バンドに誘われて、ギターを担いで、日々練習に明け暮れた。
みんなの進路の相談に乗ったり、相談に乗られたりして、毎日が笑顔であふれた生活だった。
さらに、中学生、小学生と遡っていく。
クラブ活動、運動会、テスト、塾、彼女はいつも、今を生きていた。
先のことに悩んだり、不安を持ったりはしないのだ。
先のことを考えだせば、ネガティブにつつまれるだろう、だが彼女は、それを知っていた。
だから常に、今しかないと生きていたのだ。
今を感じていたのだ。
肌に触れる空気、温度、自分を中心に流れ来る街の音、ただ観ている視界、そのように、あるがままに生きているのだ。
彼女には今しかない。
いつも今しかないのだ、それがあればいいのだ。
誰かにとっては重みのない人生と言われるのだろうが、彼女にとっては、ただ今を目撃してきただけの人生であり、それはこれからも続く。
これは、私の妄想で、実在しないフィクションであるが、一般的には、こういう彼女のような人は、幸福な人生である。
あなたもフィクションを書いてみるといいだろう、どういう人がどういう人生ならば幸福なのか、必ず今を生きているにたどり着くだろう、至極単純な話である。
だが、大切な部分はそこではない。
仮に、この彼女が高校時代に何かに悩んでいたとしても、乳母車を押している今からすれば、宝石のような思い出なのだ。
あなたも存分に人生を味わい尽くしなさい。
蝶は10日ほどしか地上で生きられないが、今を感じている彼らにとって、それは永遠である。
蝶の人生に、制限を感じているのは他者である。
くだらないのは、今月の支払いどうしようー、とか、明日仕事嫌だなー、とか、ありもしない世界を、延々と作り出して、自ら苦しんでいることである。
それは、マゾヒズムである。
今が最高ならば、それでよい。
今を、常に最高にしなさい。
そうすれば、あなたの人生はカラフルに花開くだろう。
今が良ければ、それでいいのだ。
今だ、本当に今だ。
今、今、今、今、あなたは今何をしている?
今に入り込みなさい。
今していることを、完全に受け入れなさい、それだけがすべてだ。
それだけでいいのだ、それだけのために、あなたは生まれてきたのだ。
先のことなんて、1分先のことも、考えなくていい。
流れが勝手に起こり、勝手に展開していくから、考えなくていい。
だから、今に在りなさい。
今と感じているなら、コンマ遅れて今とか、そんなものはどうでもいい、あなたが今と思っていれば、今だ。
今、これがすべてだ。
蝶の生は、永遠だ。
彼らは常に、今を感じているから。
ただ、今を最高にしなさい。
それが至福の人生への、チケットである。
焦りは今を受け入れていないから起こる。
現実逃避と悟りの違いは何ですか
現実逃避と悟りの違いは何か、といえば、現実逃避と悟りの違いは何か、が答えである。
つまり、どうでも良いことだ、答えなどない。
なぜ、あなたのしっくりくる答えを探し求めるのか、それがそもそも間違っている。
あなたの世界に浮かんでいる出来事、事象のすべては、リアルだ。
間違いなどない、すべて正しいのだ。
なぜならば、あなたの認識しかないからだ。
自ら生んだ素敵な創造物に囚われないように、いまを感じていなさい。
感じるのだ、最高に感じるのだ、ロックンロールでありなさい、常に強烈でありなさい。
体から滲み出るほど、強烈に今に在りなさい。
自らの頭部をぶち抜き、頭なし、つまり、首から下だけで生きなさい。
思考は制限を与えるしかない。
エックハルト・トールは、思考は社会生活には必要である、と書いているが、私はそうは思わない。
ここが日本だからかもしれない。
思考など、無駄、無駄、無駄!
ただ在りなさい。
日本の社会では、その方が縦横無尽に生きられる。
腐った死体や、ゾンビのように、思考の止まった体から、生々しいニオイが感じられたら良い兆候だ。
風呂に入るな、と言っているわけではない。
今を感じ続ければ、自らの体から、肉のニオイを感じるのだ。
強烈に今にありなさい、それだけでいい。
◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法13◆◆
748 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:JO+jxBx8