達人に学ぶ潜在意識

【悟り】【自分さんpart8】お金、将来、見栄、安心感、そういうものに「もうどうでもいい」と心から思えたときに、あなたはお金から解放される。そういう心構えで今の暮らしを維持しなさい。

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達人さん

理解できるかわからないが、あなたのその質問や、持っている疑問こそが、答えである。
1+1という問題の答えは、ただ1+1があるだけなのだ。
あなたの人生をもっと大きな視点から観てみればよい。
例えば、人生最後の日から、いまを観てみれば、答えは重要ではないことがわかる。
ただ、それがあっただけのことなんだ。

つまり、答えとは、問いのことである。
問いこそ、あなたがそこで生きているから発生しているのだ。
それは外を歩いていて、どこからともなく感じる風と同じものだ。
風が吹いてきたから、あなたは風を感じている。
疑問が湧いてきたから、あなたは疑問を感じている、それがすべてだ。

質問さん

しんどい時に単にそれはあったのだ、と感じられるようになるためには、覚者を目指すべきじゃない?

達人さん

あなたは、なっているのではないか?
あなたの人生はあなただけのものだ、誰のものでもない。
人生がどのような変容を見せても、決定的にわかるのは、あなたの人生の中の単なる出来事だ。
つまり、あなたこそ、最大の無というバックボーンなのである。
あなたがエベレストに行こうが、宇宙旅行に行こうが、猫を飼った生活を歩もうが、常にあなたの中の出来事だ。

だから、いまから進化しようとか、何かを目指そうとする必要も無い。
ただ、目指そうとしているのは、あなたの中の単なる出来事だ。
しかし、それらに執着すると苦しいだけだ。
なぜなら、求めている答えはないからである。
それ自体が答えだからね。

人生はすべて、あなたという枠の中で展開する。
それを概念化すれば、あなたこそが神であり、大いなる意識であり、本来の自分である。
どこへ行っても、何をしてても、常にあなたがそこにいるだろう。
一人になっても、絶対にあなたがそこにいることに気付くべきだ。
疑問を持っても、充実していても、面倒な現実に悩まされても、それはあなたという枠の中の出来事だ。
つまり、それらすべてがあなたなのである。
なぜならば、あなたしか、それらを体験できないからだ。

すべては観察者、体験者がいることで存在される。
しかし、それらもあなたという枠の中の単なる出来事である。
スピリチュアルが、何か人生に変容をもたらせるのではない。
ただ単にスピリチュアルという知識が、あなたの枠に登場しただけだ、それ自体は何の力もない。
喫茶店に入ったら、珍しいジュースがメニューにあったのと同じことだ。

それがあなたの人生を優位に変容するのか?
そもそも、良い状態も、悪い状態もない。
ネガティブもポジティブもない、すべてあなたの中の出来事だからだ。
あなたが終わりを宣言すれば、良いも悪いも、絶世の美女も、何兆円という大金も消える。
あなたは、あなたに守られているのだから、案を練る必要は何もないよ。
ただ素直に生きていくだけで良いです。

あなた方は色々と考えたりしていると思いますが、それはあなたという基盤があるから、行えているわけです。
それがどんな不可思議なことでも、当たり前に感じることでも、それらは、単なるあなたの体験ということに変わりはない。
つまりすべてが、あなた方の求めているものなんですよ。
あなたがいなければ、多いも、少ないも、得も、損も、あなたは体験できないから。

つまり、宇宙から見れば単に地球がぐるぐる回ってるだけのごとく、朝も夜もないんですよ。
地球視点から見ればあるんだけど、その上の視点から見れば無い、 宇宙から見れば朝も夜も無い。
どちらも包括してる状態だけがあるんだが、それはあくまで地球視点であって、宇宙からは朝、夜、なにそれ、おまえが回ってるだけじゃん、となる。
日頃、金がない、もっとあればいいのに、やった、金が入った最高だ、あれ、もう全部つかっちまったー、
そういう話も、一つうえの視点から見れば、どっちも包括したものがあるだけだ。
つまり、ないのだ。
ではどうすれば、一つうえの視点にたてるのか、ということが、あなた方の悟りといわれるものだろう。

今あなたの体の中で、60兆以上の生命が、熾烈な生死を繰り返している。
少し歩くだけで、あらゆる筋肉細胞が傷付き、そして新しい細胞に代謝されていく。
免疫システムも、消化システムも、今この瞬間ですら、全力で自らの役割を全うし、各細菌なども含め、あなたの体内は常に戦争状態である。

もし彼らに思考能力があれば、自らの行動や役割を効率化する為に言葉を持つだろう。
動作や処理対象に言葉を与え続けることで、どんどん分離を生み出していく。
いずれ自らの思考内部にも分離を与える癖がついてしまい、感情という思考作用を感じるようになる。
そしてその感情といわれるものに飲み込まれていくようになる。
つぎに消滅するのはわたしなのか、つまり恐怖である。

恐怖から逃れるため、自らの存在を守るため知恵が生まれる。思考上の知恵だ。
知恵は仲間意識を作り、犠牲を作り、どうにか恐怖から逃れる方法を見つけようと躍起になる。
だが彼らの世界では容赦なく出来事が起こり続ける。
仲の良かった隣の細胞が突然傷つきはじめ、苦しみだし、そして消失する。
我々が何をしたというのだ、と彼はすべてを呪う。
ただ生きていたいだけなのに、なぜこんな辛い思いをしなければならないのか。

だが、とても心地よい瞬間もあった。
それは何の予告もなく突然訪れる。
そんな時、彼は自分の認識できない大きな力を感じていた。
彼はその力を神と名付ける。
恐怖と希望が繰り返される壮絶な日々。
苦しみから抜け出せる知恵を求め続けるが、確実な方法は見いだせない。
極めて過酷な光景、常に鳴り響く気が狂いそうな雑音、しかしそれらが一体何なのか、彼は知る由もない。
彼が生まれたときからずっとそこにあるものだ。

逃げて逃げて逃げ続け、どこまで逃げても苦しみは彼の中から生まれ続ける。
ボロボロになっていく体。ごく稀に、心地よい気持ちにさせてくれる神だけを希望にして、彼は戦い続けた。
唯一の疑問はなぜわたしは生まれたのか、である。
そして彼は、壮絶なその一生を終える。
まるでそこに何もなかったかのように、フッと消えた。
誰も彼を覚えていない。
あなたがアイスをかじりながら、ボケーっと掲示板をみている数秒の出来事である。

まず、細胞が思考を持つという出来事が起因となっているが、思考を持っていなければ、当然苦しみはない。
重要なのは、思考を持っていようが、持っていまいが、同様の発生から消失のプロセスがあっただけだ。
つまり、あなたが今の現状に、どんな悩みに打ちのめされていようが、別に悩んでも悩まなくても、なんらかの状態になっている。
ここで、いや、ちゃんと考えれば、ちゃんと行動すれば、良い結果を掴むはずだ、と思うだろうが、果たして、そうして得られた結果は本当に良いものだろうか、確証は無いはずだ。

確証がわからないのだったら、別に悩む必要もない、成り行き任せでいいだろう。
言葉で表せばこれだけのことであり、単に当たり前のことなのである。
じゃあなぜ苦しむのか。
それは、セコいことを考えているからである。
あわよくば、自分は成功したい、幸せになりたい、そんなことを考えなければ良いのだ。
考えなければ、どうでもいいことになる。
どうでもいいほど、強力な生き方はない。
なぜなら、干渉も執着もないからだ。
日本の政治が荒れてようとも、どうでもいいとあなたが感じていれば、あなたはそれに囚われることはない。
つまり、宇宙から見た、おまえ単に、ぐるぐる回ってるだけじゃん、の視点に立てるわけである。

さて、どうでもいいとは、一体何なのか?
いわゆる「手放し」や、「本来の自分の創造物だ」や、「ほう、そうか?」や、「これもまた過ぎ去る」や、「般若心経」や、「野の百合を見なさい」などである。
あなたが、お金、そしてお金に付随する執着的なもの、たとえば、将来とか、見栄とか、安心感とか、そういうものに、もうどうでもいいや、と心から思えたときに、あなたはお金から解放される。
解放されるとは何か。
あなたの人生から、それが認識されなくなるということだ。
つまり、個別のそれを生みださない。
だから常に一体化する、ということになる。

細胞の一生では、彼は自らを分離させたから、苦しみを生んだ。
だが、自分を包括する大きな力と同化し、その流れの中を感じているだけならば、細胞は流れそのものとなる。
人間の体のあなたが、歩いたり、無謀な耳かきをしたり、豪快な水浴びをしたりなど、細胞界で容赦なく起こる出来事が、細胞の彼、そのものになるのだ。
つまり彼が、心地良いと感じていた神の瞬間が、すべての瞬間であると悟る。
思考はないから、そう感じるしかないだろう。

つまり、あなたの意識がすべてを生み出している元凶なのだよ。
意識しなければ、まさに、目を奪われることもない。
金持ちになる、ならない、そんなことも浮かばなくなる。
だからあなたは、金持ちを超越するのだ。
だから、お金のために労働をしなくなる。
ただ、充実とか楽しみとか、愛とか、そういう為に、勝手に働いているという行動が起こっている境地に立っている。

マネーゲーム本の奥義とは、最終的にすべてが、どうでもいいという境地に立てることである。
愛する人が病に倒れても、それはそういうものだ、という認識になることだ。
ただ眺めているだけ、という意識になる。
それを、そんな非情な心になれない、とか思うならば、あなたは執着の中で生きている。
ただ眺めているだけという意識になれば、あなたのすべての行動すらも出来事が起こっている、という感覚になる。
体が勝手に行動を起こし、様々な光景を見せてくれて、様々な音を聞かせてくれて、そして、あなたのためだけに、すべてが存在しているのだ、ということに気づく。

質問さん

どうでもいいが奥義ってのはいただけないな。
愛する人が病に倒れたら、心配して気にかけるのは当然だし、あたたかく看病をしてあげようよ、それが人間の自然な姿だ。

達人さん

あなたがそのように思うのならば、そうなのだろう、ただそれだけだよ。
でも逆に、あなたにとって愛していないもの、例えば、蚊とかにも、どうでも良いと思えば、結果的に殺生となるでしょう。
それは死にゆくのを眺めるけども、生まれくるのも眺めることになる。
物質だけではなく、出来事などもすべてにおいて、生まれ来るも、去りゆくもOKで、そういうことがあなたにとっての無関心、あきらめとなる。

私の発言に対して、じゃあそうすれば金持ちになれるのか、とか、金持ちになった気分になれってことか、とか、理解の範囲が違えば、そう捉えるひとも多いだろう。
つまりそれに囚われてるのだ。
まずは全ての執着から抜けよう。
そうして生きていれば、すべてがあなたの為に用意されていた、ということに気づく。

大半の人は、先にあなたのために用意されていたのを求めるから、たどり着けないのだ。
まずはどうでもいい、その心構えで、いまの暮らしを維持しなさい。
放棄するのではない。
維持しながら、すべてにどうでもいいだ。

あなたが、私に対する認識が変わったならば、心が常に状況により変容するということだ。
諸行無常とはこのことである。
私が書いていることも、あなたがポリシーとしていることも、刻々と変わっていく。
釈迦の教えや悟り、それらの受け取り方も、時とともに変わっていく。
だからすべては素晴らしい。
すべての瞬間、そして私自身、そのすべてが素晴らしい。
すべてが素晴らしいと知るためには、あなたの批判的だった書き込みすら、どうでも良いものと感じていた必要がある。
だから私にとって、あなたは素晴らしいのだ、本当に心からありがとう、そう言える。

◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法12◆◆
966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/19(水) 00:26:51.40 ID:nk97HXeQ

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