【方法論】「実体は、あなたの中にある」現象は全てあなたからの投影です、投影元は例外なくあなたなのです。そして現象は、ただ投影されているだけの実体を持たないものです。by108さん

体感・気づき・方法論
質問さん
質問さん

昔の恋人の相手のサイトを見つけてしまい、二人の幸せなツーショット写真を見てしまい、涙があふれて止まりませんでした。
この写真を見てから、悲しさが頭によぎり、他の事が考えられなくなりました。
なにか対処法があれば教えてください。

達人さん
達人さん

あなたがもし、そのサイトを見ることがなかったとしたら、あなたはどういった状態だったでしょうか。
あなたは依然として、心のどこかで相手のことを引きずっていたとしても、大きなショックを受けることも、涙があふれて止まらなくなることも、それに取り憑かれて苦しむこともなかったはずです。
写真がトリガーとなってあなたの記憶を刺激し、そこから発生した思考と感情によってあなたは苦しむことになった。

ところが、その写真には何の意味もありません、客観的に見れば何の意味もないのです。
どこかの犬が電信柱にオシッコをすることや、あなたの知らないどこかで誰かの車がパンクしたことと、何ら変わりはありません。
あなたはそれを知ったとしても、なんの影響も受けることはない。
ところがある特定の事柄に関して、あなたが激しく反応したのは、なぜなんですか?

今回のことは、あなたの条件付けが起こしていることです。
「こうでなければならない」とか、「ある特定のことに関しては、私にとってはこうでなくてはならない」という思い込みをあなたは持っています。
こういった条件付けを保持している限り、あなたは常に、外部の現象と思われるものに左右され、一喜一憂することになる。
あなたはあらゆる条件付けを駆使して、現象に対して舵を取ろうとします。
そうやってコントロールすることで主権を主張したいわけです。
ところが、この取り組みの仕方では、あなたの条件付けと現象とは常に相反する危険性を持っている。
条件付け自体が、思考という狭い領域によって、極めて限定されたピンポイントなものであるため、それは現象と一致しない場合が多い。
現象のほとんどは、条件付けとは一致せず、あなたはその差異を・不足として認識することになる。
その結果、あなたにとってこの世界は、不足で満ちあふれたものになる。

これでは、いくら充足を見ようと思っても無理です。
充足を見ようとすればするほど、不足がより強調されて認識されることになる。

「こうありたい」というのは、これ自体にはなんの問題もないですが、ところが、「こうでなくてはならない」と考えた途端、それは条件付けになり、あなたに不足を経験させる準備が整ったことを意味している。

一つ簡単なメソッドをご紹介しておきます。
あなたが条件付けとは異なる現象と遭遇したとき、「ああ、そうか」と唱えて、そう認識してください。

これはチケットで紹介したメソッドと言葉は一緒ですが、使い方が異なります。
チケットでは、特定の問題に対する回答を得たいときに「思い出す形でリアクションを先に取る」というメソッドでしたが、このメソッドは、目の前の現象になんの条件付けも用いず、自分にとってニュートラルなものとして認識する方法です。
チケットで言えば「認める」というのと近い方法です。

この時、実際にはあなたの感情は激しく反応しているかもしれません。
その反応に対しても「ああ、そうか」と唱えて、そう認識するのです。

現象に対して感情的に激しく反応しているパーソナルなあなたがいる一方で、「ああ、そうか」と、ニュートラルなままで、状況を受け取っているあなたもいます。
そして、本当のあなたとは後者の方です。

あなたが一切の条件付けを用いなければ、あなたは全ての現象から不足という属性を取り除くことが出来る。

その上で言いますが、現象は全てあなたからの投影です、投影元は例外なくあなたなのです。
そして現象は、ただ投影されているだけの実体を持たないものです。
本当の実体は、あなたの中にあるのです。


あなたが現象へのリアクションに躍起になっている間、投影元は巧妙に隠蔽されています。
ただ投影されただけの映像に対して、いくら熱心にこだわったところで、投影元が変更されることはない。
次の上映時間が来れば、そのフィルムは再びスクリーンに向かって上映されることになる。
あなたに必要なことは、今すぐ映写室に行ってフィルムを掛け替えることです。
そのためには、掛け替え用のフィルムをまず選ばなくてはならない。

既に投影し終わった映像に対して、いつまでもこだわっている場合ではない。
そうしている限り、あなたは観客の立場をとり続けることになる。
それは既に過去です、「ああ、そうか」といってやり過ごしてください。
そしてそれと関係なく、今選びたいものに「今」焦点を合わせることです。

本当に現象の舵を取りたいのなら、現象に取り組まないことです。
そこは舵を取れる場所ではないので、いつまで経ってもらちがあきません。
舵を取るべきは、現象ではなく、あなた自身の姿勢・立ち位置なのです。

108質疑応答
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1235909400/
3354 名前:108★ 投稿日:2010/12/01(水) 01:12:46 ID:???0

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