私は、すでに現象化しているわりに、成功体験を報告する人が少ないと思っています。
実際に叶ったときって、当たり前みたいな感覚になっていて、わざわざ報告するほどでもないような気になります。
認識の変更が上手くいくと、願望を願望だと思わなくなる、成功体験ではなく、当たり前のことみたく感じてしまう気がするのです。
「じゃあ叶わないってことじゃん、叶わなくてもいいって心理状態になるってことじゃん」と、誤解してる方がいらっしゃったようですが、そうではない。
望みは叶います。
ただ、現象化する前後、それはもう願望ではなくなっている。
それはもう、「水を飲むのと同じようなこと」になっている。
「ある」と確信したら、それを探したり、「見えないなあ」と不安になることがない。
私の場合はこんな感じでした。
あと、いかに自分に大胆に許可できるか、というのもポイントのような気がします。
現象化する前に、願望ではなくなって、当たり前のことみたくなったり、忘れた頃に、いつの間にか叶っていたりしますね。
不足感がないから、「やったー、叶ったぞ」っていうテンションも上がらず、報告するほどのことではなくなってしまうことがありますね。
成功報告を見るのは、こんなに叶っている人がいるんだ」って、モチベーションが高まるでしょうが、それが少ないというのは、やっぱり「願望が尽きることはない」からじゃないかな。
ひとつ願望が叶ったとき、「新たな願望」に既に興味が移ってしまってるんだよね。
自分も、少し前に「本願」と呼べるものは叶ったんだけど、その叶ったことを土台として「新しい願望」がまたすぐに出てきてしまった。
叶う前は、「叶ったら、成功体験として、絶対に書き込むんだ」ぐらいに思っていたよ。
その「新しい願望」が、あっと言う間に一番の興味になるから、「叶った願望の報告」とかがわりとどうでもよいことになってしまったんだ。
他の人も言っているように「水が飲めました」というのは、当たり前だし、別に報告しないっていう感覚かな。
成功報告で見るよりも、叶ってる人はずっと多いと、自分は思ってるよ。
108以外質疑応答【1】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1278498863/
840 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2010/09/05(日) 19:44:15 ID:PO1HVSIIO