まずはじめに、「願望」についてお聞きします。
「願望」とはなんなのでしょうか?
願望とは、肉体を維持するために必要なものだ。
願望があるからこそ、あなたの肉体は維持できている。
今この瞬間、あなたの願望が全て叶ったとしよう。
「あなたは欲しい物を全て手に入れる。」
あなたは、もう何もしたいとは思わない。
常に至福の瞬間に包まれている。
その至福に身を委ねているうちに、1日、1日、日が経つにつれて、あなたの肉体は弱っていく。
至福に包まれ続けることによって、あなたは「何かを食べたい」という気持ちがなくなってしまう。
やがてあなたは死ぬだろう。
そういう意味で、願望は「肉体を維持するために必要なものである」ということが言えるだろう。
ということは、「願望は叶えないほうがいい」ということになるのでしょうか。
「願望は叶えないほうがいい」と言われれば、たしかにそういうことも言えるかもしれない。
全ての願望が叶ってしまっては、あなたはもう死んでしまうのだからね。
でも、実際に「全ての願望を叶えることはできないだろう。
肉体がある限り、願望は生まれ続ける。
願望を叶えても、また新たな願望が生まれる。
あなたが生きている限り、願望は生まれ続ける。
願望があることによって、あなたは生きている。
言い換えれば、「あなたは願望によって生かされている」というわけだ。
しかし、「願望を叶えたい」と思っている人は多いです。
実際に、願望を叶えた「成功体験談」もあります。
成功体験談についてはどう思いますか?
私は「成功体験談」については、否定も肯定もしない。
「願望を叶えた」という体験は、その本人にとっては紛れもない真実だ。
その体験談が励みになり、「願望を叶えるためのモチベーションを高める」ということもあるだろう。
だから、否定はしない。
では、「願望体験談は、モチベーションを高めるし、素晴らしい」ということですよね。
それなのに、なぜ肯定はしないのでしょうか。
願望体験談には、「モチベーションを高める」という面はあるが、一方で、その体験談によって、自分にムチを打ち、自分を追い詰め、より苦しむことになることがある。
願望実現に囚われ続けることは、苦しみに繋がるだろう。
だから、肯定もしない。
プラスの面、マイナスの面、両方あるということだ。
ということは、それはいわゆる「願望実現に縛られない」ということにつながるのでしょうか。
そのとおりだ。
願望実現に縛られずに生きることだ。
願望実現に縛られているということは、あなたの苦しみになる。
苦しむのをやめたければ、願望実現にはこだわらないほうがいいだろう。
一方で、「願望を追いかけ続けることが楽しい」という人もいると思います。
「願望」を追い求めることは苦しみにも繋がることがありますが、喜びを生むことにもなるのではないでしょうか。
あなたがいうように、「願望を追いかけ続けることが楽しい」という人もいるだろう。
そう思う人は、そのままでいい。
その人は、自分のやりたいことを「どんどん追い求めていけばいい。
願望を追いかけ、願望を叶え、また新たな願望を求めていく。
そういう生き方もあるし、実際に、そういうふうに生きているひとのほうが多いだろう。
願望を追いかけ続ける生き方もあるし、願望に囚われない生き方もある。
それぞれ「好きなように追求すればいい。