【体感】【507さんpart1】「自分には何の力も無い、でも全て受け取ることができる」とことんまでに自分は無力であり、メソッドに叶える力も何もないと思い知れたことで、不思議なぐらいに楽になりました。

体感・気づき・方法論
達人さん
達人さん

最近、願望に関するある出来事があり、それはエゴ的に言えば最悪と思うようなことで、実際に、結構なショックは感じたんですが、それと同時に、それを面白がっている自分に気付いたのです、ただ展開を見守ろうと思いました。

そしたら突然、心の底から、自分は無力だ、何の力もない、何も実現する力はない、だけど全て受け取ることができる、本当に本当に何もする必要がなかったという感覚が湧いてきて、幸せすぎて、ありがたくて、号泣しました。
その瞬間、本当にエゴによるゲームをやめる覚悟がついた気がしています。

実は半年前頃、掲示板に少しだけ、「なる」や「自愛」について書き込んでいたことがあって、当時感じていたことは嘘ではなかったのだけど、ある時から「なる」ができなくなり、知らず知らずに、またエゴのゲームに引き戻されていきました。
弱まっていたはずの「私(=自我)が願望を叶える」、「叶えるために、私(=自我)が何かをしないといけない」、という観念が再び勢いづいて、「あれ、おかしいぞ、前の感覚に戻らなきゃ」という焦りになったのです。
その時気が付いたのは、手に入れられない恐怖、そして手に入れたものを失う恐怖が、まだこんなにも自分に残っていたのだ、ということです。

だけど今回、とことんまでに自分は無力であり、メソッドに叶える力も何もないと思い知れたことで、不思議なぐらいに楽になりました。
そしてそもそも、手に入れる」とか「失う」とかも無くて、エゴの幻想だったんだなって気付きました。
以前感じたような多幸感は無いけれど、ただただ安心した、穏やかな感覚、今そんな感じです。
改めて、全部愛ですね、世界は温かいです。

質問さん
質問さん

認識の変化が起こり、ある一定の期間は幸せでしょうが、自我の抵抗としがみつきが再浮上してくるケースは多いですね。

達人さん
達人さん

自我って、とことん分析したがりで、頑張りたがりで、そんでもって頑固なんですよね。
初めてチケットを読むと「ヒャッホーこれで叶うぜー!」ってテンションが上がる人も多いと思いますが、エゴにとっての都合の悪いところは結構スルーして読んでいるんです。

だから、それまで例えば「仕事を頑張ってお金持ちになってやろう」、「ダイエットを頑張ってキレイになってやろう」、「あの人に頑張って尽くして愛されよう」としていたのが、「チケットを使って頑張って叶えてやろう」に変わっただけで、自分が頑張ることからは離れてないんですね。

108さんやその他達人さんは、それも見越して伝えてくれているのに、理解したつもりでやっぱり無視しているんです。
更に「気付き」と呼ばれる自分の中の確変が起こると、それで一気に加速はしますが、エゴはそれすら利用しようとしてきます。

私は何度か、多幸感、愛に包まれている、世界が止まって見える、世界が輝きだすというような経験はあって、その時はすごく幸せなんですけど、少しして冷めてくると、「あれ、感じられない、おかしい、おかしい」と、不足にまた焦点をあて始める、というループでした。
そのループにハマる根っこには、恐怖感があるんだと思います。

「願望=実現」は、本当にそのままなのだけど、自我の思考では「そっかあ、願望って実現するんだ、じゃあ叶えるためにメソッドやらなきゃ、認識変えなきゃ、さあ、何かいい手は無いかな、きちんとやらなきゃ、チャンス逃すぞ、手に入れられないぞ!」になってしまう。

そして掲示板で、「願望=実現」は分かっているんですけど、なかなか叶わないんです、何か間違っていますか、とか聞くことになります。
「手に入れるものではなく、ただある」ということは、自我には全く理解できません。
だからループして、頑張ろうとします。

今回私が、本当に本当に何もする必要がなかったと感じたのは、自我の願望とは真逆と思えることが起きて、心の底からエゴが無力さを感じたからです。
でもそれは、決して自暴自棄の感覚ではなく、「あー・本当にやっても無駄なんだ、もう頑張らなくても済むんだ」という、深い安堵感でした。

そして後付けですが、なかなか素直になれないエゴが、自然に降伏できるために、今回のことが起きてくれたんだなと思い、ありがたさでいっぱいになりました。
ちなみに、今もエゴはいて、あーだこーだ言う時もあるんですが、すぐに、「いや、自分がなにかしても関係ないんだったわ、面倒だからやーめた」と黙ってしまうみたいです。
エゴはそのうち消滅するのかもしれないし、しないかもしれないけど、それもお任せですね。

本当に、エゴって狡猾なんですよね。
でもそれは、恐怖でガチガチだから、必死にしがみついているだけなんです。
108さんが何度か、「命綱を切る」という話をされていましたが、これが切れそうでなかなか切れないんです。
「下はウレタンマットだよ、すっごく安全で心地いいんだよ」って言われても、エゴは執着やら不信やらで生きていますから、どうしても命綱をつけたまま、うまいことやろうとするんですよね。

でもそれだと、スリリングなゲームから離れられないので、結局は渇望感や恐怖で苦しむことになる。
ただそれも、なんだかんだ楽しかったなとは思います。
今、命綱を切ったであろう私のエゴは、ウレタンマットの心地よさに安心したり、嬉しくなったりしながら、たまに崖の上を見上げて、一瞬考えますが、やっぱり今の場所が気持ちいいな、ってゴロゴロしています。

質問さん
質問さん

「あると認めるだけ」っていう所が分からないです。
なんで達人は、叶ってると言うのか分からない。
実現することが分かっていても、私はどうしても、目の前の現実が叶ってると思えません。

達人さん
達人さん

「あると認める」というのは、エゴが命綱をつけた状態では難しいと思います。
思考で納得できても、感覚で腑に落ちないので、分かろう分かろうとすると、「あると認めよう」が「あると認めなきゃ!」になってしまい、不足を見ないふりになってしまう可能性があります。
だから、「ふーん、そんなもんか」でとりあえず流すことです。

「目の前の現実は自分が創ったんだー、最良のタイミングで起きるんだー」と思い込もうとすることも同じで、エゴが「嫌だ嫌だ」と思いながら、「でもそうなんだよな、納得しなきゃ」と思い込もうとすると、とっても苦しいし、かえって望む現象化への執着につながります。
だから心の底から腑に落ちないのなら、とりあえず置いておくことです。

あなたは既に、色々な知識も経験もあるがために、エゴの欲求に従って、各メソッドやら自愛やら観念消去やらに取り組むとループに陥る可能性も分かっていらっしゃるようなので、何もしなくていいを選択されたのかなと思いました。
でも命綱をつけたまま、何もしないを選択すると、結局は不足を見てしまうことになります。
命綱を切ったのなら、「早く実現してほしい」という思いは出てきません。
個人的な感覚ですが、この命綱を切れるタイミングというのは、100%別の領域を信じられた時ではないかと思っています。

色々なメソッドに取り組んだりしてみて、エゴから別の領域への信頼度が0%から80%、90%に高まっていくにつれ、様々な気付きが起きていき、認識の変更が起きていきます。
ただ、例え10%でもエゴの不信があると、エゴのしがみつきが起きるので、不足感がぶり返してくるんですね。

それで、私の今回の経験を通して思ったのは、少々荒療治的でが、何もしないのではなく、とことんまでやり尽くして、エゴの無力感を思い知るというのも、ひとつの方法ではないかということです。

あなたの本願である願いに向けて、実際的な行動をがむしゃらにやってもいいし、ループになろうがなんだろうが、ひたすらメソッドをやるのもいいし、願望を叶えたいという執着も、利用してしまえばいいんです。
そうしているうちに、命綱が切れるかもしれません。
まあ、その前に願いが叶うかもしれませんが、それならそれでオッケーですね。

質問さん
質問さん

別の領域にいたら、「早くしてー!」という思いは、なぜ出てこないんですか?

達人さん
達人さん

それは、「あってもなくてもどちらでもいい」に変わるからですね。
別の領域にいると、執着することはできなくなります。
あなたの場合、最初はシンプルな願いだったのが、色々な観念、つまり、エゴがくっついてしまって、それが焦りや執着になってしまった。
別に焦りや執着があってもいいのですが、それによって苦しいのなら、一旦ゼロにするのが楽なのではないかな、と思います。

質問さん
質問さん

私もエゴのぶり返しには、もうとことん苦しんでいます。

達人さん
達人さん

すべて勝手に起きてくるだけなので、ぶり返そうが揺れようが、皆さん自動的にチケット7章の領域に辿り着きますよ。
今日ふと気付いたことは、目の前のことを、その時その時楽しめるようになった、ということです。
以前は、例えば映画を見ていても、遊んでいても、気が付くと願望のことについて考え、「いつ起きるんだろう」とかチラチラ伺っていたのですが、そういうことがなくなりました。

それから、不足を探してくるのが得意だったエゴが、勝手に充足を探し出してくるようになったことです、これは軽い衝撃でした。
今までは「充足を見るぞ」と思ってから充足を見ていたような気がするのですが、エゴが充足探知機にいつのまにか変わっていたような、不思議な感覚です。

質問さん
質問さん

「意図」について質問ですが、意図は願望を叶えるためにするんじゃないのでしょうか?

達人さん
達人さん

意図は意図であって、願望を叶えるためではありません。
ただ「何何しよう」で終わりです、これが意図です。
過去の質疑応答を見ていると、「本当に意図できているか不安です」とか、「願望を意図にできているのか心配です」みたいな質問が結構あるような気がするのですが、これらの不安や心配は、すべてエゴの惑わしなので無視すれば良いと思いますよ。
「無視できないから苦しいんだ」というのも、よく分かりますけどね。

チケットの1章とか2章は、エゴの立ち位置にいながら別の領域を体感していくものだと思うので、やり続けていたら必ず何か見えてくると思います。
手元に「チケット」がおありでしたら、ぜひもう一度、序章のところを読んでみてください。
メソッドをやり続けることによって、願望を、実現困難なものに固定してしまっていないか、一度立ち止まってみるのもいいかもしれません。

チケット7章に書いてあることがそのまま腑に落ちれば、チケットの1章や2章は全く要らなかったことに気付くんです。
そして、願望を考える時、そこに不可能性が存在しなくなるので、願望は「純粋な意図」になります。
「ただそれを見よう」という意図です。
と言っても、なかなかエゴが納得しないで暴れるでしょうから、ひとつ簡単な方法をお教えします。
これは私がある窮地に追い込まれ、八方塞がりと感じた時にしたことです。

近くの神社でも、教会でも、家のお仏壇でも、神棚でも、なんでもいいので、お願いする場所を決めてください。
あなたが決めた神様は、あなたが例えどんな状況にあろうと、どんな観念を持っていようと、更には自分を愛せていなかったとしても、無条件にあなたの願いを叶えてくれます。
あなたはその場所に行き、今叶えたいことすべてをお願いしてください。
もしたくさんあるなら、私にとってすべてうまくいくように願うだけでも構いません。
あなたが納得いくまで、毎日お願いしても構いません。

そしてエゴが不安を煽るような囁きをしてきたら、「でももうお願いしちゃったし、任せるしかないよなー」と、考えるのを放棄するんです。
つい、いつもの習性でエゴに巻き込まれてしまったとしても、「ああ、エゴにうっかり巻き込まれちゃったけど、無条件に叶えてくれるんだから大丈夫だな」と考えて、あとは放っておきます。
もし、現実で悪いと思うようなことが起きたとしても、到底自分には分からないけど、これがどう展開して願いが叶うのか見てやろうと考えてみるんです。
こんなふうに毎日を過ごしてみてください。

ちなみに私は当時、別の領域なんて分からなかったし、体感もできなかったけれど、この方法で毎日を過ごしていたら、どうにもできないと思っていた問題は1ヶ月もしないうちに解決しました。
更には素晴らしいオマケまでついてきましたよ。

質問さん
質問さん

私は、いわゆる世間一般の神社、御仏壇などは嘘だと確信していて、全く信じていません。

達人さん
達人さん

真意が伝わりにくかったようですみません。
私が言った神さまというのは、特定の宗教ということではなくて、別の領域、本当の自分ということです。
だから別に神社に行かなくても、白い紙に『別の領域』とか書いて、それに祈ってもいいわけです。

私があえて、お願いする場所を決めると書いたのは、願望を考える時間とそれ以外の放っておく時間に分けることで、願望にとらわれなくて済むかなと思ったんです。
あなたは別の領域を信じられていないようですが、究極的には別に信じなくても良いのですが、そうすると結局現実に振り回される日々が続いてしまうことになります。

そうすると、「何かやり方が違っていたのかもしれない、メソッドを確認しなきゃ、もしくはもっと合うメソッドを探さなきゃー」とループにハマってしまいます。
私が言った方法は、エゴから別の領域に手放す、ひとつの方法なので、合わないと思ったら全然やらなくていいんです。
今がどんなに苦しくても、必ず気付きは訪れますし、チケットも自然と捨てられる日がきますから、大丈夫ですよ。

質問さん
質問さん

必ず気付きは訪れるというのは、人間には自由意志がないということですか?

達人さん
達人さん

「自由意志がない」というのは、私の感覚としてはそうなんだろうなぐらいで、それで困ったことがあるかというと別にないので、深く考えたことは無いです。
あなたやほかの人たちも、何かキッカケがあって今の現実を変えたいと思った、もしくはもっと幸せになりたいと思った。
そこから様々なルートをたどって、チケットなどを知り、更に探求したいと思い、達人さん達の言葉を読み、実践し、これらは自我からすれば、一見自分が選択してきたように思えるかもしれないけど、私自身を思い返してみても、かつて想像したこともない所に来てしまったなという感覚があるんです。
まさに、自我には思いもよらない方法で展開されていったというような感じです。

個人的には、人生で起きる全てが本来の自分へ戻っていくための壮大なゲームじゃないかと思っているのだけど、もしそうであるなら、誰もがいつかは、勝手にそうなっていくんじゃないかな、ということです。

質問さん
質問さん

なかなか悟れない私は、最終的には開き直りかなと思っています。

達人さん
達人さん

開き直り、とってもいいですよ!
あなたがエゴを恐れなくなった時に、そもそもエゴは、潰さなくても戦わなくても、そこに在っても構わなかったんだ、と分かります。

悟れなくても、全部受け取っていいんですから。
それがチケット7章ですよ。

108式実践・成功体験談スレ【3】
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1346080993/
507: もぎりの名無しさん :2013/08/19(月) 08:54:24 ID:4szuBHu60

タイトルとURLをコピーしました