願いを叶える自分になりたいのですが、「どんな自分でもOK」になるためには、どうしたらいいですか。
「どんな自分でもOK」というのは、すぐになれますよ。
「全てがある」(別の領域)と、望まないエゴが、同化しないことがわかっていれば、大丈夫です。
これも条件付けになってしまいそうですが、このことを知らないと、望まないエゴと同化してしまうと思います。
「チケット7章の「何もしない」というのは、「願望に対してコントロールしない」という事だと思っています。
本当は、「全てがある」のだから、何をしていようが、何を考えていようが、どんな自分だろうがOKなのです。
ただ、その真理を知らないうちは、勝手に願望を取り下げていたので、叶わなかっただけなんですね。
でも、真理さえ知ってしまえば、あとはどんな自分でもいいんです。
例えば、物語みたいに、神が現れて、「あなたの望む物は、何をしていても、何を考えていても、いくら叶いそうに無いと思える出来事が起きたとしても、絶対に叶います」と言われたらどうでしょうか?
「嫌だ」と思える事が起きたとしても、エゴが大騒ぎしたとしても、それはただの途中経過にしか感じないと思います。
そして、「何をしていても、何を考えていてもいい」ということを受け入れられたら、ハッピーな気分になりますよね。
これこそまさに」、「どんな自分でもOK」という事です。
どんな自分でもOKって、なかなか難しいけど、「これから会社か、行きたくないなぁ、行きたくないなんて思っちゃ、仕事頑張ってる家族に失礼だなぁ、自分ってだめだな」となっていました。
そう思ってる自分でもいいんですよ。
仕事に行きたくない、あ、そんな事思ったら家族に失礼だな、私ってダメだな」という思考(エゴ)には、本当はなんにも関連性が無い、ということなんです。
「仕事に行きたくない」という思考と、「「そんな事思ったらダメだ」という思考は関係が無いというわけなんです。
「あ、関係無かったんだ、悩む必要なんてなかったんだ」・と気づければ、それで終わりなんです。
どんなにマイナスな事を考えていても、そんな自分でOKなんです。
この関連付けをやめてしまえば、マイナスな事を考える必要すらなかった、という事です。
多くの人が、「願いを叶えたいなあ」、「あぁ、これはエゴだから観察しよう」、「許してみよう」、「だんだんわかってきたぞ」、「でも現象化されないな」、となってしまっているんじゃないでしょうか。
これって実は、7章を適用しようと「している」状態になっているだけだと思うんだよね。
7章は、「何もしない」っていうのを結論としている。
だから、自己観察や自愛をして、7章に到達しようとするのは、何もわからないうちは有効だと思うんだけれど、ある程度、別の領域や、エゴや世界がわかっているなら、結論の「何もしない」を適用して欲しいと思う。
でも、「何もしない」っていうのは、動作とかを何にもしないっていう意味じゃないですよ。
「願望を叶えようとコントロールする事を、何もしない」っていう意味です。
極論を言ってしまえば、全部あるので、何をしていようが関係無いんです。
行動したいならすればいいんです。
「なぜ行動しないのか」といえば、それは、「行動したら駄目なら、叶える為に行動はしないようにしよう」となってしまっていて、コントロールしようとしているからですよね。
その「コントロールを、全て手放してみて下さい。
そして、エゴがどういうものかわかっていれば、悩む事すらありません。
願望を叶える為にあれこれ思考もしなくていいし、エゴにのまれて悩む必要もないです。
そうすると、自由になると思います。
別の領域が、全て完璧に用意してくれるのだから、テレビでも見たり、音楽でも聞いたり、遊びに行ったりして、自由にしていればいいんです。
「これはエゴだから認めてみよう」とか、「またエゴと同化しちゃったよ」などと、いちいちメソッドに囚われる必要すら無いんです。
このことは、別の領域がまだよくわかってないと思う人には、理解しにくいかもしれませんが、「別の領域を理解したけれど、あと一歩のところがわからない」、という人には参考にしてほしいと思います。
108式実践・成功体験談スレ【2】
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1306769690/
122 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2011/07/25(月) 03:30:51 ID:1WvmDLc.0