【体感】「欲しいものに集中する」問題は「心が自由であるか」ということなんですよ。自由ということは、何の制限もないのですよ。単に「これが欲しい、これがあったら嬉しいなあ、楽しいなあ」と考えるんです。

体感・気づき・方法論
【体感】「欲しいものに集中する」問題は「心が自由であるか」ということなんですよ。自由ということは、何んの制限もないのですよ。単に「これが欲しい、これがあったら嬉しいなあ、楽しいなあ」と考えるんです。
達人さん
達人さん

潜在意識を使う際には、心が自由であり、また、楽しい気分であることが好ましいとされています。
このことは、潜在意識関係でも、引き寄せ関係でも、あらゆる本に書かれていることです。

しかし、いざ使おうとすると私たちの心は自由ではない。
様々な制約が科されてしまう。
例えば、潜在意識を学べば学ぶほど、
「Aという方法を使わなければ叶わない」とか、「Bという方法を使わなければいけない」とか、「とある達人さんはこういう方法使ってたなあ」とか考えることによって、本願に集中することができなくなってしまう。
叶うか否かの不安や猜疑心に集中してしまう。

また、方法・手段にこだわりすぎて、全く楽しい気分にならない。
更に、これらの要因により、「叶わない」という思考が発生する。
「叶わないんじゃないか」という猜疑心が圧倒的に思考を占めてしまう。
故に、「叶わない」状態を引き寄せてしまっている。
ここまでは、潜在意識関連の本を読んだ人なら分かるかもしれない。

問題はここからなんですが、「心が自由であるか」ということなんですよ。
自由ということは、なんの制限もないのですよ。
ここでいう「自由」というのは、方法とか、善悪や世間の概念から、全くもって解き放たれた状態を指します。
私は最初」、この状態に行くことが分からなかった。
潜在意識について学んで、成功談を読んで、複雑化してしまっていたのです。
「心がクリアでなくてはいけない」、
「自愛しなくてはならない」、
「感情を制御しなくてはならない」、
「アファメーションしなくてはいけない」、って感じでした。

でも、これは心が自由でないんです、ありとあらゆる制約だらけなのです。
制約から解放されて、望みを達成するはずなのに、望みを叶えるために、概念によりガチガチに固められていたのです。
「ミイラ取りがミイラになった」みたいなもんです。

あとは、猜疑心によって生まれる「信じたい」という気持ちも、少し問題です。
「信じたい」気持ちに心が傾き、外堀を埋めることを始めてしまいます。
成功談を求めがちになってしまうのは、この外堀を埋める作業にあたります。

そして結局は、叶わない状態が叶って、外堀を埋めてくれる状況だけが「引き寄せられる」ということになるのです。
つまり、本願よりも、本願でない状態が続くことになるのです。

方法は、本当はシンプルなのです。
本願に集中していれば、叶うものなのです。
子供のときに、望んだものが得られやすいのは、欲しいものにしか集中してないからなんです。
方法とか、概念とか、制約とか、一切考えていないんですよ。
ただ単に、「これが欲しい、これがあったら、嬉しいなあ、楽しいなあ」と考えるんです。
手に入れた後のことや、喜びを想像しているだけなんです。
そこには何のメソッドもない、実に自由なのです。
潜在意識を使う際に、好ましいのはこの状態で、全くもって自由の状態です。

「じゃあ、心の自由ってなんなんだよ」ってなりますよね。
心の自由を一番よく表せる言葉といえば、
「心は自由であり、また自由でなく、そして自由である」ということです。

これだけ聞くと、「何言ってんだこいつ」って感じだと思いますが、私はこれ以上に良い言葉が思い浮かびません。
心が自由であることが大切なんです。
しかし、大切だと思えば思うほど、「自由」という概念に縛りつけられてしまう。
「自由でなければならない」という制約がついてしまうのです。
つまりそれは」、本当の意味での自由ではないのです。

制約となる自由を、受け入れるか、受け入れないか、ということです。
「受け入れるか、否定するか、二つの選択肢があるわけではなく、選択できるのは、いつもたった一つであり、自由という選択だけなんです。

実は、「受け入れる、受け入れない」という判断をしている時点で、私が生きている世間や、今までの概念に囚われているのです。
聖書には、「人は裁いてはならない」とあります。
「受け入れる、受け入れない」という判断をしている時点で、私たちは裁いてしまうのです。

裁く材料は、これまでの知恵の蓄積かもしれませんし、概念かもしれませんし、世間に押し付けられた常識かもしれません。
裁く材料がある時点で、私たちの心は自由ではありません。
究極的に自由であれば、私たちは「裁く」という行為はできないのです。
潜在意識でいう「自由」というのは、この究極的な自由です。
自分の願望が叶うか否か、人道的か否かという、「裁く」ことができないことが、重要なのではないかと思います。

じゃあ、「究極的な自由にならなきゃ願いは叶わないのかよ」ってなりますよね。
別にそうじゃないんです、なってもならなくてもいいんです、どっちでもいいんです。
人は皆、自由なんですから。
「本願に集中して、良い気分」でいればいいだけなんです。

心を自由にすることは、「本願に集中すること」、「良い気持ちでいること」の補助的な要素かもしれませんし、そうでないかもしれません。
どちらとも、私は断定できないです。
断定してしまうと、それは「裁く」ことにあたるからです。

質問さん
質問さん

本願は叶ったんですか?

達人さん
達人さん

もちろんです。
悟ったのが最近だから、変革期なのかもしれないけれど、顔は変わり始めましたよ。

あと、欲しいものは大体手に入るようにはなりました。
ただ、欲求のスケールがもともと小さい人間だったので、今の課題は、欲求のスケールを大きくすることですかね。

何より一番の収穫は、心に余裕ができたことですね。
ストレスへの対処法が分かったというか、自分との付き合い方が分かったこととか、感謝の念を持てるようになったこととかですね。

質問さん
質問さん

私は何にも変わらないです、いつか変わるんでしょうか

達人さん
達人さん

今変わろうよ、思考が変わってしまえば、結果は後に付いてくるよ。
貴方にも、イメージを現実化する力はあるんだからね。
人は皆自由で、平等なんだよ。

叶っていない人は、本願からそれすぎていて、「叶える」ことや、「方法」に集中しすぎてるような気がします。
だから、「叶える方法」が引き寄せられていて、放っておかれている本願はいつまでも動かないままです。
「叶える」ことに夢中で、叶える「願望」には目がいってない気がします。

あと、潜在意識や引き寄せについて学ぶときは、本をちゃんぽんするのも良いけど、全部鵜呑みにするのではなくて、自分が「これいいな」と思うところだけを知識として持っておくと良いと思います。

この板を卒業する人が結論を書き込むスレ
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/study/9650/1333429420/
281 :幸せな名無しさん:2013/03/09(土) 23:56:11 ID:t0PNTfc.0

タイトルとURLをコピーしました