【考察】「感情を感じきる」感情を感じきることに抵抗があると、「この悲しい気持ちを解放します」というのが、「悲しい気持ちなんて、とっととうせろ」というものに、心の中ですり替わってしまうのです。

体感・気づき・方法論
達人さん
達人さん

「瞑想」について考察をしてみます。
メソッドのやり方を教えている人たちは、必ずといっていいほど、「瞑想」を勧めています。

ですが、瞑想をしても何も変わらなかったり、上手く瞑想できているのか不安だったりして、瞑想が続かない人は多いと思います。

瞑想の目的は、「真の自分と会うこと」、「真の平和を知ること」、「何も起きていないことを知ること」など、様々な人がおっしゃっていますが、「真の自分ってどこなの」、「平和なんて感じられなかった」、「やっぱり悲惨なことが起きてる」となってしまう人が多いと思われます。

瞑想の目的を左脳的に言い変えるならば、「思考が不足を生み出していただけだということを、「身体を通して知る」ということになります。
瞑想の威力を知るときというのは、すごくネガティブな感情が襲ってきたときにあります。
そのときに、瞑想が本来どおり出来ていたならば、心臓に注目すると、答えを得られます。

ちなみに、肉体はいつも身近にありますが、これこそが、「潜在意識の広報部である」といえます。
自分では気づかなくても、ストレスがたまっていたら、身体は教えてくれますし、「緊張していない」ということを頭で考えていても、実際の手というのは、湿っていたりします。

心臓は、ネガティブエネルギーが満載のときには、バクバクしてますよね。
しかし、瞑想をして思考を止めると、次第に治まってきます。
ネガティブなはずだったのに、平穏なときの自分の状態と、身体の状態、潜在意識の状態は、完全に一致します。
このことが、「実際には何も起きていない」と言われている、何よりの証拠です。

「瞑想」と言うと、アロマをたいて、神秘的な音楽を聴いて、あぐらをかいて静かな部屋で、といった映像をイメージされる人が多いかと思いますが、瞑想の機会は日常生活にごろごろ転がっています。
色々とセッティングをして、瞑想に時間をたっぷりかけた後で、収穫が得られた感じがしなかった場合、時間を浪費したような罪悪感に襲われ易いです。

瞑想のコツとして、「階段を一歩一歩降りるように」とか、「呼吸に集中する」とか、「数を数える」などありますが、つまり、段階を追っていくことを目的としています。

「行動をする瞑想」として、「写経」というのがありますが、ただ文字を書くだけだと、いつの間にか、頭の中は過去か未来にいきがちです。
文字を書くこと、それも目の前の一字を書くこと、もっと言うと、一画を書いている最中を、目で追っていく勢いで書くことです。

例えば、洗濯物を干すときに、服の一枚一枚が洗濯ばさみに挟まれるまで、段階を追っていくことや、洗い物のときに、食器の泡が流れていくのを見届けることも、瞑想にとても近いスタンスになります。

瞑想は、メソッドをする前の準備運動に向いていると思います。
もちろん、思考を止めた時間の分だけ、現実は、見えないところで、ちゃくちゃくと動いているのです。

次に、「感情に蓋をすること」について、考察してみます。

罪悪感などの、不快な症状が出たら、その感情を感じつくす」といわれたりしますが、「感情に蓋をする」というのはどういうことなのか、感情と観念の違いを考えながら、注意深く探っていきます。
論理的に考えれば、感情と観念は違うものです。
両者はすごく似ているので、「感情と観念は一緒だ」という前提で取り扱っているメソッドもあります。

セドナだけではなく、オポノポノも使って、問題をまるごと、オポノポノでクリーニングしている人もいます。
セドナだけで有効性を発揮できているなら、オポノポノは必要ありませんが、併用をしている人は、セドナを「感情の処理」として使って、オポノポノを「記憶の処理」として、使い分けています。

まず「記憶」についての解釈を説明します。
「記憶」というのは、他の言葉に言い直すならば、ニュアンスは少し違いますが、「観念」ということになります。

例えば、「上司」という単語を意識したときに、嫌な気分で胸がざわついた人は、上司にいじめられた経験があったり、テレビや人の話で「上司とは嫌なものだ」という情報を得ていたりしていて、「上司・イコール・嫌なもの」という観念を、自然と内在化していたのです。

反対に、上司と恋に落ちた経験のある人は、「上司」と言う言葉を聞いて、「嫌だな」というのとは違う意味で、胸がざわついたと思いますが、その人は、「上司・イコール・素敵な人」みたいな観念があります。

たった一つの例ですが、観念はいくらでも生まれます。
男性の場合、父親との関係は、上司の関係に影響する」ということが「心理学でいわれていますが、「自分の上に立つもの」というのを、一番身近に経験するのは父親ですから、「権威」というものに対して、父親との経験を感じさせてくれるような人を、自分で引き寄せているんです。

「記憶をクリーニングする」というのは、そのものにまつわる「自分の観念、体験の記憶を消すということです。
セドナも観念の解放があるので、本当はそれだけでOKです。

セドナは、即効性があると謳われているので、オポノポノよりも、入りやすい人が多いかと思います。
両者とも、同じ「クレンジング」という言葉ですが、即効性を感じられているのは、今その感情の解放を実感できているからです。

気分がすっと楽になった気持ちが、「即効性がある」と感じられている所以です。
このときには、本来は何も起こっていませんが、ネガティブエネルギーに支配されて、「ネガティブな私はいけないんだ」とか、「やばい、ネガティブを引き寄せてしまうぞ」といったように、現実を動かす観念が働き出してしまうことがあります。

ですが、エネルギーを感じること自体は、現実を動かす力はありません。
ネガティブに支配されても、そのあとに、「でも私はうまくいっちゃうんだよね」というので、平和に解決します。
なので、エネルギーは積極的に感じると消える性質だということがわかれば、あまりにもひどい感情や、エネルギーが襲ってきた時は、感じたほうがいい」という見解になります。

「蓋をする」という言葉は、観念には使えません、エネルギーに使うのです。
不安に押しつぶされそうなときというのは」、「最初にふとよぎった不安」、感情エネルギーを蓋してしまっているため、まるで冷蔵庫に入れたご飯が、どんどん腐っていって、悪臭を放つような状態と同じになっているのです。
感情が落ち着いてから、観念の解放や、イメージングや、「なる」をすれば良いのです。

もちろん、オポノポノの「記憶のクリーニング」というのも、この段階でしたほうが有効ということになります。

ちなみに、その観念と、感情の違いの複雑さによって、感情の手放しをすることが、感情の蓋になっていることが多いです。
感情を感じきることに抵抗があると、「この悲しい気持ちを解放します」というのが、「悲しい気持ちなんて、とっととうせろ」というものに、心の中ですり替わってしまうのです。

セドナをする事で、かえって「感情に蓋をする」という、皮肉なことが起きてしまうのです。
セドナの指南書には、「感情をしばらく感じてみてから」という言葉が、毎回のように書いてあるのは、このすり替わりを懸念しているのだと、私は思っています。

潜在意識メソッドの共通点を見ることで核心に迫るスレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1394723910/
79 名前:1 投稿日:2014/03/17(月) 10:45:49 ID:pgRuSjvM0

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