【考察】「不安や恐れを受け入れる」潜在意識の「悟り」とは、自分が創造主だと理解した後に、困難や不安や恐れも「この世で色んな感情を味わうために必要なスパイスなんだ」と、自ら受け入れていくことです。

体感・気づき・方法論
達人さん
達人さん

「他人はいない」ということについて、考察してみます。
「現実は幻想」、または、「自分が創造主である」という考えを採用すれば、「じゃあ他人って何だろう、自分の創造物なのか」という気持ちになるのは当然ですし、そうでなければ辻褄が合いません。

「現実は幻想」というのと同様に、それが本当のことなのかどうかわかりませんが、「メソッドをしたら相手が別人のように変わった」などの体験談は、たくさんありますので、「他人はいない」というのを採用する価値はあると思います。

なぜ、自分が変わったら、相手も変わるようなことが起きるのでしょうか。

潜在意識というのは、信じたものを見るように現象化を創造しますので、「他人がいない」ということを本気で信じたならば、「他人も自分で創り出してるな」と思うような現象ばかりが起きます。
シンクロニシティーなんかが続くと、「他人はいない」と思うのではないでしょうか。

例えば、お寿司が食べたいなと思っていたら、身近な人が「お寿司をたべたい」と言い出したり、会社を辞めた途端に、知り合いから「会社を起こそう」などと言われたりといった、そんな引き寄せが続いていけば、自分の都合次第で相手が動いているように思えてきます。
そして、自分が相手を創造しているということを確信していきます。

なので、そういう人にとっては、「他人はいない」というのは、紛れも無い事実となっていきます。

その一方で、「世の中はワンネスだ」とか、「他人とは意識下で繋がっている」というのと同様に、「やっぱり他人はいる」というのも、そう意図すれば、そう感じざるを得ない現象に出くわします。
「信じたものを見る」という、この一言につきます。

「他人がいない」といっている人は、どちらかと言えば、「他人がいないと仮定したら、どれだけ楽だろうか」というニュアンスを含んでいると思います。
「他人がいない」というのを採用するメリットは、他人の批判は、自分が創り出したことになり、その全てが、自分へ投げかけた言葉となるので、冷静に受け止められます。
「他人から批判される」という概念が無くなるので、人に対する恐れが、全般的に薄れます。

例えば、「大切な人を失う」という概念についても、他人はいないのならば、他人は自分の創造物なので、「自分の次の幸福のために、その人と自分を離れさせた」というように考えることができます。
「相手に傷つくことを言ってしまった」としても、他人はいないので、「これは結果的に、いい展開の伏線になる」と決めてしまえば、そうなります。
もしも、「他人はいる」ということが前面に出ているなら、「相手の気持ちはどうなるのか」などと考えてしまい、「うまくいく」という意図を、取り下げてしまうことになります。

「現実は幻想」という概念の中に、「他人はいない」ということも、本当は包括されているのですが、「他人がいない」ということを採用してからでないと、「現実は幻想」ということが「実感しにくいのかもしれません。

では次に、「両極性の法則」について考察してみます。

「幸せ」の定義は、万人共通のように思えますが、ごく一般的に考えられている「悟りの境地」では全く違う意味を表します。
思考をカラッポにしている状態が、「永遠の平和」と呼べる究極の幸せだとしているのです。
それはつまり、「瞑想状態の時です。
五感にただ集中している状態も、瞑想です。

いわゆる「悟り」ということを成し遂げた人にとって、一般の人が感じるような、「あぁ・幸せだなぁ」というのは、単なる「刺激」でしかありません。
そういった幸せは、過去と未来という時間、他人や自分というものがあるという「前提の思考があってこそ成り立ちます。

例えば、給料が上がって、「嬉しいな、幸せだな」と感じるのも、過去に少ない給料を貰っていた事実があるからこそ感じられるものですし、恋人から褒められて喜ぶのも、私以外の他人がいると思っているからですし、何かを成し遂げて味わう達成感も、それが困難なものであればあるほど、強力に感じられるわけです。

このように、時間軸があり、他人がいて、マイナスのものがあってこそ、「幸せ」というのは生まれるのです。
クレンジングメソッドが、「ポジティブな感情も解放しなさい」といっているのは、ポジティブとネガティブは、二つで一つだからなのです。
私たちはいいことと思えることが起きると、その感情に対して「執着」を生み出し、また味わおうとします。

しかし、ポジティブな感情を味わうためには、ネガティブが必要なので、ポジティブを味わう現実を創造すること」というのは、ネガティブな感情を味わう現実を創造することとイコールになってしまうのです。

例えば、遠距離恋愛中のカップルが、一ヶ月に一度デートしているとします。
その時は、「恋人と毎日一緒に暮らしたい」と思っているでしょう。
そして、念願の同棲となり、毎日一緒に暮らせることになりました。
最初は幸せですが、その幸せというのは「刺激」なので、同じ日々が続けば、段々と薄れていきます。

しかし、遠距離恋愛中に、一ヶ月ぶりにデートした気分の高揚感」といったものや、恋人と仲睦まじい状態に執着していて、「あのときの感情を味わいたい」という思いが強かったら、潜在意識は、そのシチュエーションをちゃんと用意してくれます。

最初の頃の感情を再び感じる方法というのは、とても簡単なことで、遠距離中と同じくらいに、不安や枯渇状態になればいいのです。
「恋人が自分の元から離れていってしまうんじゃないだろうか、本当に自分のことが好きなのか、誰かに奪われたりしないのか」など、そういった不安を持つことで、恋愛というのは燃え上がります。

それによって、潜在意識は、恋人を、何を考えているかわからないミステリアスな人に変身させたり、他の誰かが好きなのではないかと思わせるようにしたり、あの手この手で不安作りをします。
もしくは、恋人以外に、またドキドキさせてくれるような人を出現させたりします
結局、新しい人と付き合ったとしても、また同じことを繰り返すことになるでしょう。

「相手のことがわからない」とか、「別の恋人の影が見える」とか、「他の人が好きになってきちゃった」などというのも、執着を満たそうとしている結果です。

この例えを、恋愛だけでなく、全てのものに応用して考えると、願望が叶っていて、その途中経過でマイナスなことに振り回されて意図を取り下げていることが、いかに多いかが分かると思います。

両極性の法則の観点からすれば、不安も・恐れも・困難も、全くない、究極の平和や幸せを求めているのだとしたら、それは、延々と、時間も他人も無く、瞑想をしなくてはなりません。
結局、オポノポノも、毎瞬毎瞬クリーニングをすると言っています。

しかし、そんなことを、この世にわざわざ生まれてきたのに、したいと思っている人が本当にいるでしょうか。

もちろん、認識の変更によって、恐怖や不安を和らげることは出来ますが、一切ネガティブを感じないようにするのは、幸せや刺激も感じないようにしていることと一緒です。

潜在意識の「悟り」とは、自分が創造主だと理解した後に、困難や不安や恐れも、「この世で色々な感情を味わうために必要なスパイスなんだ」と、自ら受け入れていくことです。
願望を達成したとしても、幸せな感情を感じ続けたいのであれば、また新しい問題を作り出すことになるでしょう。
執着しなかったらしなかったで、特に「幸せ」という気持ちではなく、息を吸うことと同じようなレベルで、それが当たり前になっていきます。
そんな平坦な生活が、ずっと続いていくことになるでしょう。

潜在意識メソッドの共通点を見ることで核心に迫るスレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1394723910/
191 名前:1 投稿日:2014/04/04(金) 22:56:28 ID:7wex0EYQ0

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