【体感】「本当の自分は宇宙の外側に在る意識」地球には、お金が、紙という物体として存在します。全部、地球という自分の内面に出ています。内面にあるんだから、自分の世界に全部あるじゃん、ってなります。

体感・気づき・方法論
【体感】「本当の自分は宇宙の外側に在る意識」地球には、お金が、紙という物体として存在します。全部、地球という自分の内面に出ています。内面にあるんだから、自分の世界に全部あるじゃん、ってなります。
達人さん
達人さん

最近、私自身が気付いたのは、本当の自分とは、「宇宙の外側に意識として在る」ということです。

つまり、宇宙まるごとの世界が自分の内面だったのであります。

唐突ですが、紙に大きさの違う丸を4つ書いてみてください。
四重丸を書くと、弓道の的みたいになりました。

これは、自分の肉体とその他の空間、つまり宇宙を書いたものです。

私たちの普段の認識だと円の中心から、『私』が始まると思います。

円の中心が私の肉体、その外側は自分の部屋、そのさらに外側は地球、そのさらに外側は宇宙です。

肉体は感情を抜きにして考えます。
従って、肉体は物体として捉えます。

「本当の自分は、宇宙の外側に在る意識だ」という解釈からみれば、宇宙空間そのものを含めた私の肉体まで、つまり、四重丸は丸ごと全部自分の内側であり、今まで自分の外側だと思っていた世界は、全部自分の内面だったのだ、ってことです。

地球には、お金が、紙という物体としてたくさん存在します。
他人とかも、肉体という物体として、地球に存在します。
好きな芸能人も、肉体としては存在しています。
好きなキャラも、本という紙に存在しています。

全部、地球という自分の内面に出ています。
内面にあるんだから、自分の世界に全部あるじゃん、ってなります。
もう全部あって、全部持っているんですから、改めて、「何々を手に入れよう」とか思う必要が無いのですよ。

「じゃあ宇宙の外側は何があるの」となるんですが、宇宙の外側には何もありません。
私個人としては、色すらない、無色透明だと解釈しています。

宇宙の外側には何も無いと認識している意識しかありません。
意識は在るので、この意識が本当の自分なんだと思います。

神に近いとは思いますが、神と書いたシールを貼ると、自分の他に第三者が居るみたいで気色悪いので、私は神がいるとは思いません。
まぁ、この気色悪いを感じているのはエゴなんですけどね。
自分と他人を分けるのもエゴなんですよ。

自分は以前、「私は○○になりたい」などの願望を沢山持っていました。
そして、ある時リストアップ法を目にして、メソッドとして試しました。

やり方は簡単で、ノートに、「私は○○になる」とか「私は○○を手に入れた」とか書いていくだけです。
書き方は過去形でもなんでもいいですし、毎日同じ内容を書いてもオッケーです。
毎日やったほうが効果があると思ったので、とりあえず毎日好きなだけ書きました。

ですが、続けてると段々イライラしてきます。
何日か過ぎてからノートを読み返すと、叶うものと叶わないものがあるし、なによりも『私』ばっかりが出てきて、非常に不快に感じます。
エゴまみれなんですから、不快になって当然です。
最終的には、「私って誰だよ」ってなって、結局一ヶ月でやめました。

これ以降は、メソッドの類を一切やらなくなりました。
今にして思えばわかるのですが、この時、エゴがメソッドを放棄したのです。

私とはエゴだというのはわかってはいましたが、でも結局色々と考えてしまい、思考のループにハマりました。

そしたらある時、『私は一体何になりたかったのか?』という考えが出てきました。
エゴからは、『私は私になりたかったのだ』という返答が来ました。

「私はもう私なんだから、改めて私になる必要なんてないよね」、「私は何かになる必要なんて無かったのだ」と認識が変わりはじめて、今に至るって感じです。

「私は私になりたかったのだ」というのは、私(エゴ)は私(源泉)になりたかったのだ」っていうのが真の答えだと思います。
結果はご存じの通り、エゴは源泉になれないのです。

「私は別の私になりたくても、なれなかったのだ」という認識を体感していなかったので、ただ知識だけを持っている状態でした。
思考のループを抜け出した辺りから、そこからエゴによる定義はどこにあるのかを模索していきました。

自分の認識が変わる前は、外側は内側だなんてホントに全く気付きませんでした。
エゴの視野は狭いのです。
物事をピンポイントでしか捉えません、一点集中の単純バカでした。

「エゴから外側は内側だったのだ」というのを体感するには、「エゴによる線引きの境目はどこなのか?」ということ、「エゴの外側と内側の定義はどこにあるのか?」ということを考えていくといいでしょう。

自分は、「内なる声、思考、エゴが聞こえる、肉体の中身、精神」が内面であり、「肉体という物体を境目にした、目に見える光景」を外側であると定義していました。

理屈でガチガチの人は、何を考えるにも、この定義が大前提としてあり、この定義に当てはめて、ここから思考をします。

エゴは、「これこれはこういうものである」という型にはめたがります。

結局、何が言いたいのかと申しますと、思考・エゴからでも、「自分は宇宙だったのだ」ということを体感出来ますよ、と言いたかったのです。

行動や「メソッド」として、何かをする必要なんて無かったのです。

108式実践・成功体験談スレ【2】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1306769690/
158 名前:もぎりの名無しさん 投稿日:2011/07/28(木) 09:50:26 ID:g.Ky.EmAO

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