私は認識が変わっても、なかなかキープできないです。
目の前にある現実を見ると、現実に戻されてしまいます。
それなら、チケットの1章に戻ってみよう。
「現実に戻されたくない」と判断してるのはエゴだよね。
その時の気持ちを胸で感じてみて、「現実に戻されたってかまわない」と受け入れてしまうのです。
その一方で、「エゴは不要なものだ」、「私は別の領域の認識を選んだのだ」という決定を、常に念頭に置いておくことです。
現実を「変えたい」と抵抗することによって、逆に現実を支えてるのだから、抵抗は抵抗として眺めるだけです。
「ある」を選んだり、「エゴを取り下げる」っていうのを、意志の力でやろうとすると、うまくいきません。
「ない」というのを拒絶できれば、「ある」が現れる」というわけではないと思うんですよ。
「ない」に働きかけたらだめなんです。
それこそが、「ない」を支える行為だから。
何かを得るために何かをしようとすることは「エゴのコントロールボックス」に着座することです。
意図するときに、どうしても、エゴの力を使おうとしてしまいます。
ふわっと意図するのが難しく感じてしまうんです、
「ふわっと意図する」というのは、意図とエゴを対立させない、力みのない態度から来ます。
エゴに関係なく、意図をすると、エゴは反対意見を必ず口にしますよね。
そのエゴの声は、意図とは関係ないので、採用しない、眺めているだけ、となります。
意図に反して、「いやいや、ないよ」となってしまうのは、エゴに真実味を感じているからではないでしょうか。
エゴは不足ですよね、つまり、現時点で「不足を感じている」ということではないでしょうか。
もしそうだとしたら、いったん願望は置いておいて、「今ここで、幸せを感じよう」と決めるといいかと思います。
今ここで、ほんの少しの幸せでもいいです。
それができないのであれば、「幸せは願望を叶えない限り手に入らない」という信念があるはずです。
それこそが、不足を感じさせているエゴに他なりません。
エゴは「今幸せになったら願望はどうなるんだ、そんなことしてる場合じゃないよ、叶わないよ」とかの考えを持ってたりしますが、そんなわけないですよね。
今幸せになって、エゴの願望が叶ってもいいじゃないですか。
すでに満たされていて、何一つ足すものはない、内側の充足に、ひたすら目を向けるしかないのでしょうか。
それだけで十分だと思います。
なぜなら、チケット論では、外側と内側という分離は本来ないからです。
「現実は内面の投影」、あるいは、「自分の方向性が現実を作る」というのであれば、内側の充足に向いてるだけで十分でしょう。
それでも、エゴが外を見て不足を訴えるのであれば、認めて、眺める、受け入れる、などをすればいいですね。
もっと内面の幸せを信頼していいと思います。
認識の変更のみを目指すスレ6
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915 投稿日:2020/07/18(土) 14:56:21 ID:4jFNPqa.0