私が自愛をやっていたときに、腑に落ちたときのメモを紹介します。
頭がおかしい人に見えるかもしれないけど、でも、腑に落ちると分かります。
メモを残してるときは、あまりの安堵感に泣いてました。
求めてたものが、まさか「本当に自分の中に在った」なんて、驚愕しました。
はじめから愛していたんだ。
どんな自分も完璧なのよ。
求めなくたって、今ここに愛は在った。
「不完全」だなんて思っても、それすらも「完璧」なんだ。
不完全ですらなかった。
でも、なぜか見えなくなっていた。
「既にある」というのが、わからなくたっていいのよ。
いいの、そのまんまでいいのよ。
お婆ちゃんが、不登校だった自分を「何も言わずに、そのまんま受け入れて「可愛がってくれていたようにね。
よく頑張ったね、私が一番の味方だよ。
「自分は、居るだけでいいんだよ」。
手持ち無沙汰みたいな自分だけど、そんな自分もいいのよ、そこにいるだけでいいのよ。
頑張り屋さんだね、ありがとう。
大好きだし、愛してるよ、いつでも、そこに変わらず「在るからね。
あなたが「愛」なのよ。
どんな自分も、そこに居ていいの。
泣いてる自分も可愛いね。
自分を幸せにしようと懸命だったんだね。
でも、いいのよ、幸せにしようとしなくてもね。
あなたが居るだけで幸せなのだから。
ただひたすら、ありがとうだね。
自分のために頑張ってくれてありがとう。
何もいらなかったんだ。
持っていたチケットすらいらなかったんだ。
チケットの必要すらなかった。
だって、結局は、すべての願望は「自分に愛されたい」というわけで、自分の中に愛があって、というか、自分が「愛」なんだ。
それを、なぜか頑なに見ようとしなくて、あれやこれやと手を出していた。
手を出しても別にいいのだけど、でも、手を出さなくたってよかったのよ。
「手に入れてないんだ、ほしいんだ」なんて、嘘っぱちなんだ。
それを「手に入れてなくたっていいのよ。
まぁ、手に入れたっていいけどね。
そんな自分も、そこに在っていい。
だって、自分がそこに在るだけで幸せなのだから。
「すでに持ってるんだから、気づいてね」っていう話なんだよね。
安心しなよ、それは誰にも取られたりしないから。
ずっとそこに」、今ここに、あったんだからね。
今、幸せになれるんだ。
理屈なんて関係ない、関係なかったんだ。
不都合に思えることが「例え起きたとしても、私が自分を癒してあげるから、大丈夫だよ。
いつでもいるから、ゆっくりしていきなよ。
いままで、自分を通して世界をみていたんだ。
不足なんて「幻だったんだ。
「嫌なこと」っていうのも、「勝手なラベリングにすぎない。
勝手に、物事は起きているだけだ。
それに対して、自分が元気にリアクションをとっているだけだったんだ。