手放してしまうと、怒りが止められなくなって、フラッシュバックが起きるのではないかと恐れているので、握りしめていたいのですが、手放すことで解決できるのでしょうか。
握りしめたければ、握りしめてていいんですけど、それが嫌だから悩んでるんですよね。
なら答えは出てます。フラッシュバックがあろうが、恐れがあろうが、答え探しがしたかろうが、最初から全部自分の中でだけ起きてる事です。
自分の中で抵抗があるなら、今一番自分にとって楽な考えをすればいいんです。
あえて言うなら、そんなもん全部幻で、どれだけリアルで苦しくても、そこに意味などなく、最初から悩む必要もありません。
僕の言っているのは、願望や、それを叶ったとしている自我の認識に注目して、全ての判断を下している自分の不安定さを見抜いてしまおうっていうことです。
その結果、自分が認識する前に全てが予定調和のように起きている事に気づいて、無駄な抵抗をやめること、すると結果的に認識が変わって、(変わらざるをえなくなって)、現象化も起きるって事です。
だから、結局自分で納得出来るなら、何でもいいんです。
叶ってるって思ってももちろんいいですし、叶わない事に対して、私の思考のせいなのかって落ち込まなくてもいいってことです。
現象化のプロセスは、あるに気づいて、私が自分に都合のいい世界を認識し、結果現象化ということです。
私が居ない事に気づけば、現象化のプロセスが自動的に起きている事に気づくってだけです。
僕の言ってる事をそのまんま理解するよりも、それを踏まえて、自分の中で起きている事を見つけてみるといいかもしれません。
僕の個人的な体感なんですが、自分で気に入るものをチョイスしてるって感覚もないんです。
勝手に全部あるじゃん、やったーって思ってる感じで、プラスとかあるとかあんまり考えずに自由だーみたいな感じです。
だから、全てがあるって事は、マイナスとか、そういう今までにも認識していた気に入らないものだって同時にあるはずなんだけど、もはや選択肢にすら無いせいか、それにすら気づいて無いって感じです。
だから良くある表現で全て快だとか、常にワクワクとか、そういう感想になるのかなと思ってます。
自分が居ることと、自分が幻と気づくことには、どういう関連性があるんでしょうか?
関連性というか、それが全てです。
今この瞬間も、四六時中 自分が存在してます。
疑問や、方法を求める思考も、悩みや苦しみのような感情も全部、それを考える私、感じる私が、100%居るはずです。
叶ってないと判断しているのも、何か方法を求めるのも、何もかも、全ての土台に、当たり前のように、私という感覚だけがあるはずです。
不思議だと思いませんか、願いも、それが叶ったかどうかの判断も、全部それありきなんです。
幻と気づく事に方法はありませんし、方法を求めるのもまた私です。
その自分が必ず居るっていう事を頭の隅にでも入れておけばいいと思います。
必ずあなたの中に答えがあります。
方法を探すからループにハマるんですね、今物凄く怖いけど、手綱を切ろうと思います。
自分でそれを手放そうとするのは勇気が要ると思いますが、心配しなくても不幸にもならなければ、何かが終る事もありません、これまでどおりです。
ただ、勘違いの絶叫をとめるだけです。
何度も浮き沈みはあると思いますが、どんな時でもそこには、100%、考える、感じる自分が居るって事だけ覚えとけばいいと思います。
自分のコンプレックスや 気に入らないところも、冴えない人生も、損ばかりに思える人生も、そんな自分でよかったと思える幸せが自然と起きてくるという感じですか?
そんな形作られた自分っていうものを信じなくてもいいよって事です。
コンプレックスや気に入らない部分を、そう思ってるのも自分、人生を冴えない、損ばかりと評価しているのも自分です。
そんな辛口評価ばかりの自分っていう存在自体が、信じるに値しないようなあやふやなもんって事です。
自分がいなければ、いいことにも嫌なことにも意味はないし、人生ってつまらんですね
その従来の視点というか、今の視点から見たら、絶望でつまらんと思います。
今まで積み上げてきた自分を、全否定するようなもんですからね。
ただそれでも自分が居るわけです。
後は全て、流れに任せてみるだけです、案外悪いもんじゃないですよ。
僕はむしろ人生はとても面白いと思えるようになりました。
僕が当時、良く分からなかった最期の部分を、出来る限り言葉で説明したつもりです。
ただ、ここから先は、実感とか、確信を得るとか、腑に落ちるっていうものが必要だと思いますよね?
僕もそれは大事だと思います。
頭での理解だと、まだ自分の中では信じるべきか分からない仮説に過ぎない状態ですもんね。
ただ、また思い出して欲しいんですが、体験を求めるのもまた、、そうなんです、どうしようもなく、どこまでも自分がくっついてます。
そして、体験するのもまた自分なんです。
もはやどうしようも無いですね、求めても、体験しても、そこに必ず自分がちゃっかり居るんですから。
僕も、個人体験の重要さは分かっているので、その体験を、人に実感させるにはどうすればいいのか、追求していたんですが、その自分という幻のどうしようもなさを、本当に理解するタイミングって、人によってバラバラみたいです。
まだ本当の実感は無い方も居ると思いますし、頭での理解は促せても、気づきや実感は、僕にはどうしようも無い部分なのかもしれません。
しかし、頭でそれを理解出来ている時点で、実感を願ってる時点で、もう結果は見えてますよ。
遅かれ早かれ、その体験なり 実感なりは、必ず起きると思いますから、心配しなくていいと思ってます。
どんな時でも、自分が居る。
そんな自分は、アレコレと勝手にうるさい、後出しの幻みたいなもんです。
自我は幻、というのを頭の片隅に持っておけば、それだけでいいんじゃないのって思ってます。
認識によってすべてがあり得るなら、認識が存在という現象を生みだすのかな
確かに自分から見れば、「認識して存在する」のように見えます。
ただ、本当は存在が先にあって、それを後から自分が認識してるだけって意味で、だから全ては後出しだった、自我は幻だった、という話に繋がります。
自分が幻なら、それが認識している世界も幻、そしてその事に気付けば、幻に振り回されなくなるし、自分にとって好ましい幻を体験することが出来るようになる、というお話で良いのでしょうか?
そういうことです、
それ以上は、頭での理解だけでは得られないと思います。
実際に、自分の生活の中で考えてみてください。
今この瞬間にも、どこまでも自分が居ますよね。
それありきで見えている世界の中で、自分が居なくなったらどうなるでしょうか。
見え方が変われば世界が変わって見えるのは当然って事です。
さて、一通り、僕の話は伝え終わったので、そろそろお暇しようと思います
これから先も、ああでもないこうでもないと、色々な説が出たり、肯定や否定の議論が繰り返される事だろうと思います。
ただ、そこで浮き沈みを繰り返したり、何をしたらいいか混乱したりするくらいなら、全部知識を捨ててしまっても良いですし、何を思おうが心配する事はないんです。
どんな時も、全ての土台が、当然のような顔をして、微動だにせずに存在している事を思い出していただければと思います。
100%、そこに必ず居る自分という存在、認識。
外に答えを探すのではなく、自分の中にある自分に気づいてみてください。
潜在意識を使いこなす達人が集うスレ26
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306 名前:自我幻マン 投稿日:2014/08/08(金) 20:01:08 ID:2dJeqaq.0