【体感】「全ての関連性を放棄する」モノ自体には持っているとか持っていないとかの性質はもともとついていません。「既にある」を探しだした時点で、所有していないことを認めている。byパンツのゴムさん

体感・気づき・方法論
【体感】「全ての関連性を放棄する」モノ自体には持っているとか持っていないとかの性質はもともとついていません。「既にある」を探しだした時点で、所有していないことを認めている。byパンツのゴムさん
達人さん
達人さん

願望というのはそもそも、「求めているものを得ること」ではなくて、「得ている状態になっていること」じゃないのかと思いつきました。
もうすでに持っているのが願望なら、もう既にあるのに、なんで求める必要があるのか、「既にある」ことが願望なら、願望抱く必要なにもないじゃん」と、そう思いついてから、今までの渇望が消し飛びました。
これが噂のチケット7章なんですか?

さっきも求めているものとは真逆の現実を見ましたが、今まではそれを見て焦っていたはずなのに、「なんでずっとこんな求めていないものを変えようとばかりしてたんだ、これはもともと求めてないんだから自由にさせといていいじゃん」としか思えなくなりました。

質問さん
質問さん

自由にさせるって「あるがまま受け入れる」とかそういう感覚ですか?

達人さん
達人さん

まさにそんな感じです、あるがまま受け入れることが出来るようになった。
今まで、求めていない現実を求める現実へ変えるために、その2つの関連性がくっついて消えなかったのが、まさにパンツのゴムが切れるかのごとく、スパーンと関係性が無くなったんです。

なので、求めていないもののほうは「あってもなくても別にどうでもいい」、「日常生活におけるセロハンテープくらいどうでもよくなった」とでもいいましょうか。
「どうなったってそのままでいいよ関係ないから」みたいな感じです。
なんでパンツのゴムが切れたのかは、ちょっとわかりません。

質問さん
質問さん

なぜ願望は既に持ってると思えたんですか?

達人さん
達人さん

現象化に関しては、常に全てが現象化している」としか言えません。
既に在るの感覚を説明しますと、お金を例にします。
お金が欲しいと思います。
普通、まだ手に入っていないから、お金が欲しいと思います。

ですが、本当に欲しいのは、友人の財布に入ってるお金とか宝くじ当たった人が持っている大金とかの「手に入っていないお金」ではないはずです。
自分の財布とか自分の口座にどっさりとある、「手に入っているお金」が欲しいはずです。
「手に入っているものが欲しい」、これはちょっとおかしいです。
手に入っているなら、もう欲しいと思わないはずだからです。

「既に在るお金が欲しい」をイメージすると、「欲しい」の部分が消えるはずです。
「既に在るお金」に意識を向けたときには渇望は起こりません。
「ああ、これでどれだけのセロハンテープが買えるだろうとか、ありがたやぁ」とか安心感とかお金のことすら忘れてるとか、そんな感じだと思います。

まだ手に入れていないお金を欲しいと思うとき、ネガティブさが湧いてきて当然です。
何故なら「望んでいないものを望んでいることになっているから」です。
「手に入れていないお金の状態を望んでいるから」です。
願望と意識との矢印が逆向きの状態です。

手に入れていないお金は、例えば友人に「財布の中身を見せろ」と懇願すれば、友人の不信に満ちた視線と共に得ることが出来ると思います。
こんな感じで、もともと「欲しい」と思ったものには、すべて最初から「既に在る」という性質があるのではないか、ということを思った次第です。

ためしに既に持っているセロハンテープを意識してみてください。
何故そのセロハンテープはもう持っていると言えるのか。
家にあるからとか、どこぞで自分が買ったから、などは全て無視すると、そこにはただ「セロハンテープがあるだけ」です。
モノ自体には、持っているとか持っていないとかの性質はもともとついていません、意識が勝手に持っているか持っていないかの性質を選んでつけているだけです。
そして選んだとおりにモノがふるまってくれているだけです。

望んでないものを選んでいるときはネガティブな気分に、望んでいるものを選んでいるときはポジティブな気分になるのでしょう。
いかに今まで、望んでいないものを望んでいると勘違いしていたか、わかるようになりました。

質問さん
質問さん

セドナやってもポノやってももう苦しくて苦しくてご飯も食べられず仕事も行けなくなっちゃったんです。

達人さん
達人さん

セドナやポノは、やらんでください、
どうかその苦しみを消そうとしないでください。
ただひたすらに、何故苦しいのかその苦しみを見つめて向き合ってください。

質問さん
質問さん

あなたの「既にある」の話は、それを認識した時点であるだけで、所有とかを無視すれば、そこには俺にはない、あいつのもの、とかの後付けがなければ既にあるって事ですよね?

達人さん
達人さん

「既に俺それ持ってんなら、どこよ?」と探し出した時点で、既に所有していないことを認めております。
故に所有していない現実が現れる、ということです。
所有しているか、していないか、どちらに意識を向けるかの違いです

質問さん
質問さん

どちらに意識を向けるかの違いとありますが、じゃあ所有しているって自分で決めてOKですよね、でも体感できてないです。

達人さん
達人さん

既に手にしているものを手にしたいと思うこと、これは、既に食べている真っ最中のリンゴに対して、リンゴ食べたいなーと思うのと同じです、今食ってるじゃん。
もしですよ、もしを付けて結構です、もし、「既に所有していて、その確証が確実に在るお金」があるとしたら、そのお金に対してどう思いますか。
その思いがイメージできたなら、もう終了です、やることはありません。

でもまだ手に入れていない、何処にも無い、と思うかもしれませんが、それは当たり前です。
手に入れていないものはどこにもありません、そう思って全然かまいません、それを無くそうとか否定とかしないでいいです、ただ認めてください。
あなたは、「既に手に入れたもの」に対する思いと、「手に入れていないもの」に対する思いの区別はつきますか?
ついたなら、どちらか「好きなほうに意識を向けるだけ」です。

しかし、「既に在る」を理解していない状態で抱く「既に在る」のイメージは、ああこれか、と理解した「既に在る」とは全く違います。
多分、認識変更前に、既に在るを理解することもイメージすることも不可能です。
私も以前はさっぱり理解できませんでしたし、何故急に理解できたのかわかりません。

ニューアースという本によると、気付きは恩恵のようなもので、自分ではどうしようもないらしいです。
しかし、そういったものがある、ということを知ることも気付きのプロセスであり、いったんプロセスが始まれば決して戻ることは無く気付きに向けて進むだけであると。
この本の著者のおっさんが何故そんなことを断言しているのかは知りませんが、でも、「ああそうだなぁ」と何故かうなづけます。

達人というのは、あたりまえのことをあたりまえに見れるようになるだけで、むしろ、あたりまえのことをわざとあたりまえに見えなくして、しかもそれに100%のめりこんじゃっていたという以前の認識のほうが、まじすげえって感じです。

質問さん
質問さん

所有してるものとするのは、思い込みにならないのかな?

達人さん
達人さん

所有しているという概念と、所有していないという概念があるだけです。
概念というか、思い込みがあるだけです。
それを確認するための外の世界(現実)というものは、存在していないのです」としか言いようがありません。
だから例えば認識変更後、「既に在るお金」を選んだ状態で、口座がスッカラカンだったとしても、財布がスッカラカンだったとしても、なんとも思わなくなります。

質問さん
質問さん

車に例えれば、高級外車(ジャガー)が欲しい、高級外車は車庫に既にあるってなってるんでしょうか

達人さん
達人さん

そうなんですよ、既にあるんですよ、まじで、そうとしか思えなくなります。
たとえ車庫見て何も無かったとしても、車庫にある高級外車(ジャガー)を100%信じられる状態になります、まじで変な人ですね。

質問さん
質問さん

口座、財布がスッカラカンでも何とも思わないとは、金なくても働かなくても生きていけるって思ってるの?

達人さん
達人さん

口座がスッカラカンでも、お金まみれな口座を信じられるようになるから、不安とかは思わない、という意味です。
私免許持ってないし車に興味ないからいまいち想像できませんが、車庫に車が無い状況と、車庫に車がある状況が、全く別物になりますので、どちらの状況も100%信じることができるようになり、どっちも選ぶことができるようになっちゃいます!

しかも、選んだほうがエゴが納得できる形を通して、エゴ視点での現実(外の世界)でも現れちゃいます。
だからまぁ、いわゆる「時間差」というやつはあります。
「 外の世界が存在していない」というより、概念がそっくりそのまま外の世界として現れているように見えます。
これが、「世界=自分」です、だから確認は不要なのです。

質問さん
質問さん

何かメソッドとかしてましたか?

達人さん
達人さん

5年間、ありとあらゆるものをやりました
そしてメソッドには全て撃沈しました。
というか、それはもう見事なほどに全て必要な過程でした。

紫色と聞いて、思い浮かべる紫色が十人十色なのが五感思考の世界。
他人の言葉を聞いてその感覚を同じく自分に感じさせるのは不可能。
別の領域とか本当の自分とか既に在るとか悟りとか気付きとかまぁなんかそんなんは、脳によって表現が全く違っていても矛盾していても感じているものは全く同じ。
五感の外、樹形図の一番下、0次元。
私はあなたであなたは私です、だから大丈夫です。

質問さん
質問さん

五年とは大変でしたね。

達人さん
達人さん

しかし一瞬でした、むしろ、何も始まっていませんでした、これからが始まりです。
御清聴ありがとうございました。

108以外質疑応答【7】
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1325255867/
628: もぎりの名無しさん :2012/02/19(日) 22:45:46 ID:sB4ZHTV20

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