たとえば、小さな子供が「じゃがりこ欲しい」って言ってたら、「あなたは、本当はじゃがりこが欲しいんじゃなくて、ちょっと小腹を満たすことによる満足感がほしいのよ、あなたはじゃがりこがなくても、お父さんやお母さん、学校のお友達や先生、寝る場所、着ているお洋服、すでにたくさんのものを持っていて幸せなのよ」とか言わないよね?
これは、私が言っていることとは全く違いますね。
こうやって表現だけを取り出すと、同じように感じるかもしれませんが、このセンテンスであなたが表現しようとしていることは全く違います。
観点が180度違うのです。
私が一貫して言っているのは、「じゃがりこを手に入れてください」ということです。
じゃあ、なぜあなたはじゃがりこを手に入れることが出来ないのか。
それは、あなたの「頑張って実践しなくちゃ」という、その一言に集約されています。
あなたは、いろいろなことをその願望を実現するためにしています。
「えっ、当たり前じゃないか」って、当然だと思うでしょう、私もそうでした。
非常に多くの人が、気付かずにこれらのようなことをしています。
願望を実現するために頑張って手放し、願望を実現するために頑張って全て実現していると思い込み、願望を実現するために頑張って願望実現と私の幸せは関係ないと考え、願望を実現するために頑張って自分は幸せだと思い、願望を実現するために頑張って自分で決定しようとし、願望を実現するために頑張って自分の内側に天国を発見しようとする。
断言しますが、幾らこんなことをしても願望は実現しません。
ますます実現から遠のくばかりです。
それはなぜか。
願望に執着し続けているからです。
強く執着し続ける限り、願望は願望のままで居続けます。
つまり「実現することはない」ということです。
あなたがその願望を願望として認識し続ける限り、願望は確固として願望であり続けます。
決して実現へと変質することはありません。
実現させるためには、その対象から「願望」という属性を、あなたが意識的に取り除いてやる必要があります。
それが「手放す」ということであり、「既にある充足を見る」ということであり、「全ては既に叶っていると知ること」であり、「現実の属性を自分自身で決定すること」であり、「別に叶わなくたって構わないというメンタリティーでいること」です。
私があなたを洗脳して中身を変えることは無理です。
あなたが意識的にそれを選択すること以外、方法はありません。
あなたはそれを選べば良いだけの話なのに、頑としてそうしようとはしません。
なぜ出来ないのか。願望と一体化しているからです。
なぜ一体化してしまうのか。自分でコントロールするしかないと思っているからです。
なぜ自分でコントロールするしかないと思うのか。別の領域を全く信頼していないからです。
したがって、「手放したら終わり」だと考えています。
あなたにとってその願望はとても重要なもので、だからこそ一体化するほどに執着しています。
あなたにとって、失敗は許されないのです。
手放して、もし叶わなかったら、それこそとんでもない!
あなたは手放したふりをして、叶うかどうか様子を見ています。
もし叶わなかったら、すぐに元に戻れるように極めて慎重な態度でいます。
要するに手放すどころか、執着度はずっとMAXまで上がりきったままなのです
あなたは驚くかもしれませんが、神は既にそれをあなたに与えてあります。
ところが「受け取ったらオシマイだ、願望が消滅してしまう」という、あなたの深い部分での倒錯した認識によって、それはあなたの足下に置かれたままずっと放置されています。
あなたのその願望が、たった今叶ったと考えてください。
あなたは喜びます、狂喜乱舞します。
ありがとう、神様!
そして断言しますが、この経験をすぐに忘れてしまいます。
あなたにとって、それは当たり前のことになり、もうそれが幸せなことなのだとは思わなくなります。
あなたはつまらなくなり、渇望できる別の願望を探し始めます。
あなたは渇望が病みつきになっています。
そうするためには、願望が叶ってしまっては困るのです。
あなたが渇望に病みつきになるのは、渇望するたび、その願望の重要性を再確認して味わうことが出来るからです。
叶わない現実を経験することで、渇望に対する満足度は最高レベルで実現します。
叶えるためには、執着を手放して重要度を下げるしかない。
ところが、願望が叶うほど重要度が下がってしまったら、あなたはそれを叶えたいと思わなくなるかもしれない。
あなたにとってそれは恐怖です。
あなたにとって、そんなことは出来ない相談です。
それなら、叶わない方がまだマシだ。
叶わない以上、あなたはその願望をずっと持ち続けることが出来るから。
叶えることが目的なら、とっとと執着心を完全に手放し、さっさと実現してしまえばよい。
ところが執着心を手放すことによって、実現がどうでも良くなることは、あなたにとって恐ろしい。
もし実現したとしても、願望という形で執着することはもはや不可能だから、それもあなたにとって恐怖です。
あなたがその願望に対する想いを持ち続けるためには、願望に対する執着心をずっと持ち続けることが必要になってくるのです。
「願望を実現するために」という観点では、あなたは願望から執着を取り除く必要がある。
そのフリをするのではなく、あなたは実際にそれを自分自身で実感しなくてはいけない。
では、執着を取り除くためにはどうすればいいのか?
執着を取り除こうと思わないことです。
願望に執着してしまう自分を許してやる。
それをどうこうしようとか思わない、勝手にさせておけばいいのです。
放置しておきましょう、関わらないことです。
これで、厄介な執着心に関する取り組みから解放されました。
そうしたら、あなたが取り組むべきことはただ一つ。
「充足を見る」、これだけに没頭してください。
あなたが目の前にある充足に目を向けるようになると、既にあった充足も、今まで見えなかった充足も、同時に豊富に受け取り始めることになります。
それによって、あなたは実際に充足を実感し始めることになるので、これまでのように敢えて不足を支えようとはしなくなります。
文字通り、この時点で既に視点が移動しているわけです。
長々と言ってきましたが、要点はここです。
今までのあなたがどうであろうが、目の前の現象化がどうであろうが、あなたが充足に対して真摯な眼差しを向けるかどうか、その意志だけの問題なのです。
その意志だけが、視点の移動を可能にし、パラレルワールドへの移動を可能とし、不足を手放すことを可能にするのです。
単純な意志を持ってください。
それを妨害しているどんな条件も、単なる言い訳に過ぎません。
「よし、充足を真摯な眼差しでもって見てみよう」という意志だけでよいのです。
108質疑応答
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1235909400/
1543: 108★ :2009/04/21(火) 16:24:45 ID:???0