マネーゲームからの脱却プロセスについて説明する。
その1、今に在ること。
目の前の出来事しか察知できない、野良猫のように在ること。
その2、その状態を認識しているそれに気付くこと。
見たり聞いたりするのを感じてる何かがあることに気づくこと。
その3、自分以外のすべて物や他人や出来事やにおいなどが、自分のためだけにあることがわかる。
その4、世界も人生も、日々起こる出来事も、自分を形成するパーツであることがわかる。
その5、金持ちや成功者、幸せな夫婦を見ると、それが自分であるとわかる。
その6、体験して得られていた快楽が、体験をせずに得られること、簡単に作れることがわかる。
その7、あれ、貧乏でも独身でも問題ないじゃん、ということに気付く。
世界が自分であり、その世界を生かすことに目がいく。
あなたの世界を救われる方向へ生かしなさい、それがあなたの役割だ。
狂気に満ちた世界にするのも構わないがね、そうすると、あなたの人生が、サイコ、サスペンスな映画になるだけだ。
世の中の仕組みについて説明する。
大きなステージがある、あるがままの物体や出来事がある。
それら物体や出来事に、それぞれ見え方を持った個人の世界が、人の数だけ点在する。
天気や波のように、周波数を持った出来事が常々起こる。
すべてが生まれ、消えゆく。
そんな波に漂っているのが、個人意識の世界だ。
細かく解説すれば、すべて実体はない。
では、あなたは何をするのか。
苦しんでもいいし、楽しんでもいい、何もしなくてもいい。
ただ世界を味わうだけだ、それ以外にない。
散々味わい尽くして、最期に満足すれば良いだけのこと。
とにかく結果、つまり、人生の最期、死、保護、ネットが必ず用意されているので、安心して突き進めば良い。
何をしたって良いのだよ、犯罪も挑戦も、すべてあなたの人生だ。
やりたいことをただやればいいのだ。
すべてあなたの中のお話だからね。
ひとつヒントをあげよう。
怒りや理不尽、不安などの感情をわき上がらせる出来事、他人の言動などに遭遇したとき、それらの感情が湧いて出る刹那、快楽を感じていることに気付きなさい。
怒り、それは単に怒りたいのだ。
怒りという欲求が満たされたその瞬間、あなたの意識は狂喜している。
ただし、その後の一般的に認識される怒りの状態は単に思考の記憶、残像だ。
これは大きな気付きとなるだろう。
つまり、人生、快楽しかないのだ。
アイデンティティーを捨てなさい。
そして、あなたから発する力を、世界に与え続けなさい。
アイデンティティー、つまり、あなたが俺ってこういう自分です、というのを、すべて破棄する。
主義、特技、好きな物、考え方、スタイルなど、それらあなたを構成するすべてを破棄するのだ
意識上の破棄である。
つまり、それらに囚われた選択を、今後一切行わないということだ。
例えば、あなたが簿記の資格を持っているとする。
求職中ならば、資格を生かせる仕事を探すだろう。
あなたが、趣味がギターであるとするなら、当然、その趣味に応じた時間を作るだろう。
それらは執着である。
それらに囚われることにより、あなたの人生の可能性は狭まっていく。
アイデンティティーは、無限の可能性に制限を与える。
つまりあなたは、なんだかよくわからない、何が目的なのかもわからない、どういう理由でそこにいるのかもわからない、ただ存在しているだけ、主義も主張もない、そのようになれということだ。
それは解放を意味する。
そのように漂っているだけのあなたが、無限の存在である。
なぜならば、一切の制約を持たないからだ。
どのようにも在ることができる。
主張がないから、求めることもない。
逆に、世界へあなたを与え続けることにより、あなたの世界は素晴らしいものへ変容していくだろう。
自分の主張、主義、こだわりなどを一切捨てなさい。
夢も、目標も、目的も、理想も何もいらない、そんなものがあるから苦しいのだよ。
何らかの技を磨き、こだわりの自分を作るということは苦しみである。
単なる自己制限、マゾヒズムだ。
幻想に楽しみを見いだせない人生なんてつまらない、そういう意見がよく出てきている。
だが、あなた方はそれらを求め続けてきた結果、スピリチュアルにすがっているのではないか?
新しい遊びを見つけたとしよう。
だが、いずれ飽きがくる。
その遊びに金や時間をつぎ込んでいれば、あなたはつぎ込んだ見返りを求めるようになる。
求めればアウトだ。
それらは外部、つまり幻想に自分を同一化しているから、苦しみを生んでいるのだ。
自分ではないものを、自分としようとしている。
自分を生きなさい。
あなたの中で本当に喜ばしい状態を見つけなさい。
それは外部への執着ではないはずだ。
スキルや理想の自分ではないだろう。
単にいまのあなたが、何となく簡単にできること、それが答えである。
あなたは外部の何にも、なってはいけない、そして外部に与え続けなさい。
与えることはモラルの範疇ではない。
例えば、ダークナイトという、バットマンシリーズの映画があるが、その中に登場するジョーカー、彼にはアイデンティティーがない。
金を求めるわけでもなく、ただ世界へ混沌を与え続けているだけだ。
だが、そのおかげでバットマンの存在意義がある。
つまり対の関係である。すべては対、対でひとつだ、これも覚えておきなさい。
ジョーカーが、ただ存在しているだけで、バットマンが存在できる。
バットマンが存在しているだけで、ジョーカーが存在できる。
彼らは本来、何も求めなくてもいい。
だが、バットマンは求める傾向にあり、それにより苦しんでいる。
ただ存在して、自ら世界に与えるだけで、何かを存在させることができているのだ。
犯罪者がいるから、社会が成り立っている。
もし、犯罪者の彼らに罪悪感があれば、それは求めているからだ、それは苦しみだろう。
だが、罪悪感のない犯罪者は、ただ自らを全うしているだけだ。
罪悪感のない犯罪者とは、ただ普通に暮らしている、我々のことである。
徹底的にアイデンティティーを排除しなさい、そんなものは苦しみしかもたらさない。
アイデンティティーを捨てたとき、従来感じていた自分が消えるだろう。
それが怖くて、一生懸命にアイデンティティーを築き上げてきたのだろう。
学歴、職業、ポリシー、ファッション、趣味、夢など、すべて捨てなさい。
あなたが理想とする楽園は、あなたが思っていることとは、まったく逆だ。
あなたがこれまで信念としてきたこととは、まったく逆なのだ。
自分を作り上げるために頑張る必要もない、それをすれば苦しみがある。
我々は二元性の世界に生きている、だから幻想を見る。
だが二元性の本当の意味は、バットマンとジョーカーのごとく、あなたの存在が他者を生かすということだ。
それは与えているということだ。
ゴキブリがいるから、ゴキジェットがある。
それどころか、ゴキブリの出ない暮らしを送ろうという意識が生まれる。
つまりゴキブリがいることで、何か多くの物が生まれるのだ。
だから、存在しているだけでいい。
世界を加速させたいならば、能動的に与え続ければよいだろう。
そうすればあなたの世界は存在意義に満ちた世界になる。
そこには空虚も退屈もない、あなただけの楽園が現れる。
そうすれば自ずと理解できるだろう、あなたはすべてを手にしていたと理解できるだろう。
あなたにとって何かを得たいという所有観とはなにか?
境界線はどこにある?
あなたの家の中にそれがあれば、あなたのものなのか?
家の外にあっても、あなたのものなのだよ。
触れることがすべてではない、だがあなたのものだ。
スピリチュアルや仏教、聖書に記された数々の言葉、それらはつまり、意識改革のことだ。
要は、考え方を変えろ、どれもがそう言っている、単純な話である。
問題は、頭で理屈を理解しても、実際にそれが暮らしの中で永続できるのかということだろう。
そのコツが、仏教なり、キリスト教なり、クリシュナムルティーなり、ラジニーシなりの教えだ。
つまり、簡単なことだ。
自分を一切作らず、何でもいいから世界に与え続けることだ。
それだけで、あなたはすべての苦しみから解放され、世界は楽園となる。
自分を作らないことに徹すれば、自分が消える感覚になるだろう。
あなたこそが、世界そのものになる。
すべてはジョークであり、クレイジーであり、セクシーだ。
得るのは難しいが、捨てるのは簡単だ。
これまで作り上げたあなたを、完全に捨て去りなさい。
そして今日からは、何もないあなたで、世界を生きなさい。
そうすれば、あなた自体が世界であると、簡単に気付けるだろう。
これまで信じてきたことは全部逆であることを、私は教える。
幸せになりたければ、何も目指さないことだ。
世界はあなたである。
世界を制覇しなさい、非常に簡単なことだ。
すべてのアイデンティティーを捨て去るということは、すべて捨てた今日のあなたすらも、明日は捨て去るということだ。
捨て去った自分に、固執してはならない、常に捨て続けなさい。
あなたはカラだ、つまり空だ。
理解の低い者は、この話を現実からの逃げ道として受け取るだろうが、まあそれも良いだろう。
だが、あなたの生きているその現実の中で、まずは自分の形成している外部要素、その信念、つまり、あなたを一旦捨て去って生きてみなさい。
辛い現実と思っていた世界が、一気に晴れ渡っていることに気付くだろう。
◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法13◆◆
277 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/28(金) 00:32:08.61 ID:6lw0Y4Qf