【悟り】【自分さんpart3】貴方が世界を創っている、だが貴方がそれを創ったわけではない。貴方色の世界を、貴方が創っているだけである。幸せになりたければ、貴方の世界を幸せにしなさい。

達人part
達人さん
達人さん

釈迦にしても、キリストにしても、二本足で歩き、飯を食い、普通に地球人として存在していた。
悟りとは、魔法を使う訳でもなく、常人を超えたパワーを発揮するわけではない。
それこそ、当時からすれば2500年後の現代人の方が魔法使いに見えるだろうし、オリンピック選手こそ常人を超えた存在である。
では悟りとはなにか。
金持ちが人生に苦しんでいたり、低所得の人が人生を楽しんでいたり、いわゆる普通に思っている世界がいかに、普通とかけ離れているか、それはなぜか。
だがその話の前に、ある疑問を持つ必要がある。

あなたがすべて嫌になって、都会の喧噪から離れて山小屋で身を潜めていても、楽しいことがあって部屋で小躍りしても、学校のテスト中に問題用紙に向かっているときでも、出社中に電車で揺られていても、富士山に上っていても、コンビニのトイレで用を足していても、子供の頃、かくれんぼをして、一人押し入れで隠れていても、賑わうデパートで様々な商品を楽しみながら歩いていても、あなたが何をやっていても、常にそこにあるものがある、それはなんだ。
答えはあなただ。

あなたが何をしていようとも、どこにいようとも、あなたの体験を感じているあなたが常にいる。
コンビニで客を演じる自分を感じている自分がいる。
すべては、こういう視点が前提になることを理解しなさい。

人生は主観だ。
完全な主観視点で進行する。
これは何を意味するのか。
あなたが右を向けば、右が見えるのだ。
つまり左側にいる人や物が、どれだけ存在をアピールしようが、あなたが右を向けば、見てもらうことができないのだ。

すべての主導権はあなたにある。
あなたのその世界は、完全にあなたのものなのだ。
だから何をやってもいい。
犯罪をしても、都合のいい考えを持ってもいい、正義に生きてもいい。

あなたの箱庭世界で、当たりやハズレ、正しい、悪いも、幸福も不幸も、あなたの箱庭世界に、ただあるだけなのだ。
だから、どんなネガティブもポジティブも等しい。
すべて、あなたの生涯という箱庭の出来事であり、登場人物であり、生涯を進めるために、サポートするだけのイベントなのである。
なぜなら、あなたの中ですべて起こっているからだ。

そしてあなたという箱庭を感じている存在がいる。
箱庭自体を感じているのだ。手のひらの中を感じている存在がいる。
それが、あなただ。
一度体感してしまえば、当たり前すぎることなのだが、理解できているだろうか。

質問さん
質問さん

右を見ずに、前を向いて進もうとしても、右に虫が当たれば、触覚を感じ、右を見ずにいられなくなる、その時、自由意思はあったといえるのか。

達人さん
達人さん

自由意思という、あなたの伝えたい言葉の意味はよくわからないが、先に本題のオチを書けば、基本的に、本来あなたが、自分と思っている以外が、自分である。
だから、日頃のあなたがああしたいこうしたいと思っても、それは所詮、ある枠組みの中でしか作用できない。

だから虫が当たるのだ。
あなたの意思でその虫を生み出し、そしてそのタイミングで当てたのか?
あなたは、虫が当たったという過ぎ去った記憶でしか認識はできない。

そして(これもオチになってしまうが)、右の景色を見るのは、日頃あなたが自覚している自分ではない。
すべては逆であり、実際は景色の方が動いている。
それは、あなたが自分と思っている以外が自分だからである。

あなたが現在、料理学校にかよっていれば、何かしらの料理への興味や切っ掛けがあったからだろう。
それらは、突如としてあなたの目の前に現れたはずだ、そしてあなたは興味を持った。
つまりどんなスポーツ選手でも、その切っ掛けを与えられたから現在の道がある。
切っ掛けを与えたのは誰か、それは本来の自分である。

すべては概念である。
あなたの体験している世界のすべては概念だ。

マネーゲームからの脱出本に困惑している人は、概念という言葉の意味を辞書で調べた方が良いかもしれない。
釈迦やキリストが伝えたのも、つまりは概念についてである。
ホログラムも概念だ。

あなたがとても好きな異性に思いを寄せ、世界で一番好きと思っていても、それ以上に好きな異性ができれば、一番ではなくなる。
だが、その異性は何も変わっていない、あなたの概念が変容しただけだ。

世界はすべて概念だ。
貧しい国で殺される人間の子供がいれば、悲しく思い、今夜のディナーのフィレステーキになった牛には思いを持たない。

あなたの生涯という箱庭の中、それを体験しているあなたは概念を体験している。
すべてのものは、最初からそこにあるのに、概念により、ポジティブ、ネガティブを区別する。

すべてがあるのであれば、すべてから概念を外したらどうなるのか。
それがマネーゲームからの脱出世界、悟りの世界であり、極楽世界。
正しい考えなどない、なぜならあなたの世界の中のお話だから。
損も得もない、なぜなら、あなたの世界の中のお話だから。

超主観意識を持てば、いずれ超客観意識を感じることになる。
まずは、どれだけ、あなた独自の概念の世界を作り出しているか、それに気付くことである。
あなたが世界を創っている、だが、あなたがそれを創ったわけではない。
あなた色の世界を、あなたが創っているだけである。
幸せになりたければ、あなたの世界を幸せにしなさい。

質問さん
質問さん

全ては逆とか、自分以外が自分とか、表面的な理解でわかったつもりになるとこういう事になる。

達人さん
達人さん

責任も救いも、そして表面的な理解でわかったつもりというのも、すべて概念である。
明日違う考え方になれば、あなたは違う書き込みをしてるのだろう。
幻は捨て去りなさい。

質問さん
質問さん

過去や未来なんて、幻想の最たるものだ。
君の話は二元論すら超えてないのに、悟ったつもりなのか?

達人さん
達人さん

キリストも説明する際に、言葉として未来とか過去とか言うだろう。
それらの言葉をなくして、文字の世界で伝えることはできない。
二元論にこだわるのはあなたの自由だが、二元論があるからこそ、世界なのだよ。
悟ってるも悟ってないも、すべてを包括しているのが、己の世界だ。
そこには正しいも間違いもない、それらがただ、存在しているだけだ。
そのバケツのような器が自己である。
人それぞれで、私の話の理解の度合いが違う感じだろう。

とりあえず答えを求めようとしても、見えない仕組みになっている。
そして私は答えを一切述べていない。

それを前提に、過去の発言を聞いてほしい。
たぶんこの意味も理解の度合いで、表にも裏にもなる。
表にも裏にもなる、これはヒントである。
なぜならすべてが、つまり、あなたがそう思えばそうなるのだ。
だから答えは常に変容する、
だから答えなどないのだ。

わかりやすく伝えるとするならば、あなたが最期を迎えるとき、ああ、私の人生はこうだった、と間違いなく言えるだろう。
それが究極なのである。
ああ、私の人生はこうだった、と言えるから、すべては見守られていたんだと気付くのだ。

つまり、ああ、私の人生はこうだった、と言えるから、すべては見守られていた、これを逆手に追っていけば、あなたが常に、幸せに包まれ、最高の状態に在ることがわかるだろう。
わかりたければ、もっと自分の体を意識して生活をしなさい。

わかりたくなければ、こういう精神世界に足を突っ込む必要も無い。
突っ込まなくても、あなたは常に幸福であることを、私は知っているからだ。

今日のあなたは、昨日のあなたをクリアしている。
昨日どれだけ悩んでいても、今日というあなたが、必ず訪れているだろう。
これは何を意味するのか、つまり、昨日も今日もないのである。
すべては一括りの状態で、ただ存在がある。
今日のあなたが昨日のあなたを観るとき、すべてを包括した視点で捉えるだろう。
だが、昨日のあなたは、それができないと思い込んでいる。
その思い込んでいる状態が、マネーゲームからの脱出本でいうところの第一段階だ。
明日は必ず来るし、明日の自分は昨日の自分を知っているだろう。
それを根本から感じたときに、あれ、昨日も今日もないじゃん という境地に行き着く。
結局のところ、すべてがそもそも在ったんだと気付くのである。

すべてがそもそもあるのに、不安や悩みを持つ必要がどこにある?
夢や希望を持つ必要が、どこにある?
ただ流れに身を任せていれば、ただ単純にあなた自身を感じることができる。
エゴ的な視点では、良いことも悪いこともあるだろう。
だが、必ずある場所へ行き着くようになっているのだ。
だから日頃の幻(=概念)に、振り回される必要は一切ない。

街を歩いていてケンカを売られようとも、得する話にうまく乗れなくても、思いを寄せている異性が振り向かなくても、すべてを失っても、どうでもいいのだ。
正義の心で生きてみても、欲求のままに、他者を無視して生き続けても、どうでもいいのだ。
それこそが、あなたの人生なのだから。

結局は、全部大丈夫なんだよ。
それはいずれ、自分自身が悟ることになる。
いまいち理解ができなかった人も、これが当たり前なのがわかるだろう?
あなたが今そこにいるわけだから。

般若心経にもあるが、うまいやり方、ナイスな人生を送るコツなんてないのだ。
どのようにあろうが、それが人生なのだ。つまりすべてが正解なのである。
私の話も、釈迦の話も、私の話が理解できない人も、すべてが正解なのである。
つまり、それこそが人生なのだよ。

苦しみを打破できる何かがあると、誰もが思う。
確かに打破できる
だが実は、ごく当たり前のことに気付くだけなんだよ。

あなたがコンビニに行って、おにぎりを買ったとする。
そして今、食べているとする。
スピリチュアル的に言えば、あなたはおにぎりを生み出しているのだ。

だが、当たり前の視点で言えば、おにぎりを買いにいっただけのことなのである。
ただそれだけのことだ。
それを二千五百年、語り継がれている。

おにぎりを買いにいったことが重要ではなく、あなたがおにぎりを手にしていたにしろ、手にしていないにしろ、
それがあなたの人生だったことを、いずれ知るだろう。
だからおにぎりについて悩む必要はない、ということだ。
好きなように生きなさい、全部正解だから。

◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法12◆◆
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655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/12(水) 21:21:59.90 ID:1msh7hUc

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