【悟り】【自分さんpart5】生活の中で、みんなそれぞれ悩みや不安があるだろう。悩みや不安が「あなた」である。あなたは常に幸福なのである。あなたの人生は何でもいいのだ。【自分以外のすべてが自分】

達人part
【悟り】【自分さんpart5】生活の中で、みんなそれぞれ悩みや不安があるだろう。悩みや不安が「あなた」である。あなたは常に幸福なのである。あなたの人生は何でもいいのだ。【自分以外のすべてが自分】
質問さん
質問さん

自分はお金が大好きだから、マネーゲーム本の内容よりも、お金に目が行くのは当然だ

達人さん
達人さん

では、マネーゲーム本がこの世になければ、いまのあなたは疑問に苦しむこともなかったのだろう。
そしてその苦しみと一緒にある、本を読んで得られた楽しさもなかったのだろう。
あなたにとって、世界のすべてが胡散臭いのだろう。
では、すべてを手放してはどうか。
前にも言ったが、金持ちになりたければ、あきらめたらいい。

現実問題、すべての概念を捨ててしまったら、無しかありえない。
それらを感じることがすべてになってしまう。
それは完全に脳死状態であり、それを心から本当に求めたいのかと問われれば、私はまだ、幻想にいたい。

質問さん
質問さん

幻想の中で戯れていたいなら、それでいい。
だが悟りとは、幻想を超えて実在を見出し、そこに溶け込む事にある。
幻想の中にいる限り、どうあがいても悟りとは程遠いんだよ。
幻想という夢から覚めて、初めて、覚醒と呼べるのだ。

達人さん
達人さん

その意見に対しては反論がある。
そもそもこうして、掲示板に書き込みをしている時点で、幻想の世界だ。
つまり、幻想の世界にいなければ、何も表現できない。
つまりあなたの言う悟りは、決して表現できないものだろう。
それは私も理解している。

では、この人生の中で悟りを表現することは不可能かというと、それは違うとも言える。
なぜならば、悟りという概念自体が単なる私の生涯の中の、単なる存在であるからだ。
そう理解すれば、幻想こそが悟りとも言える。
自ら作り上げた概念こそが、悟りの境地とも言える。
よって答えはないのだ。
ただ私の疑問は、なぜ私は私なのか、ただそれだけだ。

質問さん
質問さん

なぜ私は私なのか、そこに意味を求める事が既に幻想だ。
物事に意味を求める以上、答えは幻想だよ。
存在に意味は必要ないんだ。

達人さん
達人さん

あなたは単に、私の話をなぞっているだけだ。
私は何も求めていないし、大して疑問にも感じていない。
ちなみに、私はあなたである。それはあなたが一番よくわかっているだろう

質問さん
質問さん

幻想の中でそれを言っても妄想でしかない。

達人さん
達人さん

その通り、つまり幻想こそが悟りなのだ。
そして幻想こそが悟りではないのだよ。
このすべてがすべてである。

では、前に話した金持ちになるにはあきらめろ、について伝えよう。
まず、なぜ金持ちになりたいかを突き詰めなさい。
それは安心に行き着くだろう。
つまり安心が欲しいのだ。
では安心とは何か、それは概念である。
概念である以上、求める苦しみが発生する。
金持ちになりたい、と思うから、求めて苦しいのだ。

あきらめるとは、それを意識しなくなる、ということである。
つまり、それ自体に概念を与えないということだ。
金持ちになりたい=安心したい=概念だ。
その概念を放棄することにより、苦しまなくなる、つまり、安楽が訪れる。
金持ちになりたい、そうすれば安心だ、ということが、金持ちになりたい意識を捨て去ることにより、安心を得られるという矛盾だ。
しかし矛盾ではない、それがマネーゲームからの脱出である。

今に在る、について語ろう。
私は瞑想を日課にしている。
私に相性が良いのは、歩行しながら瞑想する歩行禅である。
もう癖みたいなもので、何をしていても今に在ることを忘れていない。
完全な概念崩壊がすべてであり、それ以外はまやかしという意見については賛同できない。
完全な概念崩壊というのは、熟睡状態や、死である。
日頃の瞑想をしている人は理解できると思うが、自我と今に在るは、割合というか、バランスがある。

ある程度瞑想に慣れてくるといま、自我とそれは半々ぐらいだなみたいなことが、概念の上で認識できる。
もちろん概念を完全放棄している状態だと、認識どころか、歩くことも表現できない。
基本的にいまに在るというのは、ただ今起こっているすべてを感じるということだ。
肌に触れる風、気温、周囲から聞こえる音、視界に飛び込む光、
それらを、思考を介してレッテルを貼ることなく、ただ感じるということだ。

思考を止めなきゃと、やり方を間違えている人もいるが、思考を止めるという行為が思考によるものなので、それは不可能だ。
だが、今に至りながら、それを認識するという自我を両立させることは、慣れれば可能である。
瞑想についてだが、単に五感のどれかを感じていれば、簡単に思考は止まる。
だが思考が止まっているということを思考すれば、元に戻る。
例えば目に意識を持っていく。
目の細胞を意識してもいいし、単に目の周囲の筋肉を硬直させてもいい。

その状態で視界を感じると、いつの間にか思考は止まっている。
だが止まっていると認識すれば、瞬く間に自我の世界に戻る。
そしてまた、五感のどれかに集中し、今に入る。
感じるという行為は、思考を完全に静めてくれる。簡単なことだ。
今を感じる、それは完全なリラックスを意味する。

私は瞑想に出会うまで、思考によるリラックスを行っていた。
つまり、考えている間、休まるである。
だが今は、本当の意味のリラックスを得ることができている。
思考からも体からも完全な自由を得て、さらに時間からも解放されている。

まず理解しなければいけないのは、あなたが今見ている風景や、今聞こえている音、今感じている温度などは、すべて過ぎ去った記憶である。
だから今自体も、実は本当の意味での今ではない。
感じる時点で、記憶を読んでいるだけなのだ。
これが何を意味するのか。

あなたは記憶でできているのだ。
つまり、記憶がなければ、すべてを認識することができない。
記憶こそが概念であり、五感であり、幻である。
ではここで、ひとつの疑問にぶち当たる。
記憶があるということは、その行為があったわけだ。
物を見たから、見たという記憶があり、見えたものを後々になって、あなたは知るのだ。

ではその行為をしているのは一体誰なのか?
我々が認識できる範囲、つまり概念の上での説明でしか伝えることができないが、その行為をしているのは、なんと自分である。

でもおかしい。
記憶でしかすべてを認識できない自分が、どういう意識で、その行為を行っているのか?
いや、その質問は間違いだ、正しくは、どういう意識で、その行為を”行っていた”のか、である。
行っていたのである、それは誰かと言うと、自分がである。
まるで他人事のようだ。

自分が行為を行っていた。
認識した時点で、すでに結果である。
あなたが体験する日々の出来事は起こっている。
それら起こっている出来事は、実はあなたが、起こしているのだ。
ここでいうあなたとは、マネーゲーム本でいうところの、本来のあなたというやつだ。

だけども、本来のあなたとか、大いなる意識とかいうのは、単に自分のことだ。
あなたが自分と思っているのは、単に概念の重なりであることは前にも言った。
あなたの正体は、あなた以外のすべてである。

出来事は起こる。
起こる出来事に、あなたは体験する。
体験した記憶で、あなたは体験したのだと認識する。
じゃあ、体験したのは誰か。
答えは、出来事だ。
もっと突き詰めれば出来事が起こるの起こるが答えだ。

つまり起こるこそが、あなただ。
これはオカルトではない。
よく考えてみれば、つまり思考でも、この結論に行き着くだろう。
イチローが幼少の頃、野球と出会い、いまの彼があるわけだが、
幼少にサッカーと出会っていたら、いまはサッカー選手なのかもしれない。
イチローがイチローではない。
野球と出会わせた、出会いという出来事がイチローなのである。

このことを、現在の自分に置き換えて考えてみれば、理解はしやすいだろう。
あなたが今、サラリーマンだとする。
あなたはサラリーマンだ。
毎日電車に揺られて出社する、そういう光景を毎日見ているだろう。
あなたは、あなたを見ているのだ。
つまり、あなたが感じているすべてこそがあなたである。

さて今に在るに話を戻そう。
今に在るとは、リラックスしている状態だ。
リラックスとは、平安である、不安も悩みもない。
今にあるから、未来や過去に振り回されない、ただいま感じていることがすべての境地である。
その感じているすべてが自分であったことは容易に気付くだろう。
つまり無限なのだ。

生活の中で、みんなそれぞれ悩みや不安があるだろう。
悩みや不安があなたである。
あなたはあなたの作り出した、いや、あなた自体である悩みや不安の中でしか、生活を送ることができない。
いわば水槽の中の魚である。
水槽が、本来のあなただ。

だが、水槽は単なる定義である。
いくらでも大きくもできるし、豪華な水槽にもできる。
ただし、大きいも豪華も概念だ。
さて、私が何を言いたいのかわかるかな。
あなたは常に幸福なのである。
貧乏でも辛い現状があっても良いのだよ。
あなたの人生はなんでもいいのだ、それを理解しなさい。

あなたは、あなたが見ている世界でしか生きられない。
なぜならば、その世界があなただからだ。
世界があなたということは、常に守られているのだ。
魚は水を知らない。
常に水の中にいるからだ。
生まれたときから今に至るまで、ずっと水の中にいるから、水を認識できない、知ることができないのだ。
だが、魚が水から飛び出したとき、水の存在を知る。
今までずっと、知らないものに守られていたことに気付く。
そして水があったから自分があったと理解する。
水が自分だったと悟るのだ。

質問さん
質問さん

自分だけの世界で、他人はいないのに、周りの人が何も解っていないと思ってしまうのは何故か

達人さん
達人さん

そういう世界にあなたは生きているのだろう。
他人は存在するよ。
だが、あなたの概念を通したカラーで、その他人を観ていることになる。
全部、存在してるんだよ。
ただ概念を通してしか、己は田を認識しないだけだ。

今を感じるということは、つまりあなた自身を感じるということだ。
あなたは、現在の状況の中にいる。
つまり状況があなたを作っている。
よって、状況こそがあなたなのである。

◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法12◆◆
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779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/15(土) 00:12:19.60 ID:rEcgG32Q

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