反論は無いけれど、脳は抹消神経までを指しているようなので、身体を単なる幻想と思えない
すべては脳内であると、私は思っている。
ただあくまで、この小さな脳内だけの認識であるから、事実はわからない。
五感もなにもかも、脳内だ。
つまり、自分の脳が認識した世界であり、視界が捉えた世界も、聴覚が捉えた世界も、全部、真実はわからない。
脳内がデコードした結果であり、それしか我々は認識できない。
全ては一つで、脳だけが特別ではない。
誰かに温かくしてもらった時、じーーん…ときますね。
では、その状況で誰にも温かくしてもらわなければ、つまりあなたに誰も関心を示さなければ、あなたは辛い気持ちになるのではないか?
私は悟りなんて、どうでも良いものであると知っている。
なぜならば、辛い思いができないからだ。
では、どうでも良いものなら、覚者と言われる方々は何も語らなかったでしょうね。
他人の苦しみなどどうでもよいことであるし、言葉にできないものを、無理してわかるように語ることもしないし、誤解を生み出すだけだということも解っていたはずだ。
彼らは自己顕示欲の為に語ったのでしょうか。
あなたの言う通りである。
だが、あなたの人生はあなたのためにある。
だからあなたは、常に正しい。
あなたが悲しんだのは、あなたのためだったはずだ、あなたが喜んだのは、あなたのためだったはずだ。
釈迦は語った、キリストも語った。
あなたの言うように、本当に悟った人間は語らないとするならば、彼らは悟っておらず、歴史に名を残さない多くの人々が賞賛されるべきだ。
だが、釈迦やキリストを始祖としている。
なぜ彼らは語ったのか。
答えはひとつしかない、悟りなど、どうでも良いからだ。
その境地に立つことで、自我があろうがなかろうが、煩悩があろうがなかろうが、欲望があろうがなかろうが、どうでもいい。
だから、あなた方の苦しみは解放できる。
私自体、どうでも良いからだ。
つまりは、あなたの生涯の中だけのお話である。
あなたがどう生きようが、あなたの自由である。
痛みや不快は出来れば感じたくないものだけれど、祖母の床ずれの傷は酷かった。
痛みは感じていないので、それは救いでもあったけど。
あなたがその痛みを感じたかったから感じたのだろう。
私も、そうしたければそうする。
あなたがおばあさんの痛みを受け止めたかったからそうしたのだろう。
私も、きっとそうしている。
これはすべて、どうでも良いということなのだ。
どうでも良いから、あなたは他者の痛みを感じ取れる。
だが、本当にそれに囚われていたら、あなたは今、ここで書き込みをしていない。
彼らの悩み、疑問に対する返答はひとつしかない。
私にとって、非常にどうでも良いことだ。
なぜ彼らはそんなに執着するのだろうか。
まさに宇宙から見た、地球がぐるぐる回ってるだけだ。
そして人間は、朝が来て夜が来る、これは真理だ、という、よくわからない世界に到達する。
ありがとう、やはりシンプルなんですよね。
よく覚えておきなさい。
私が書店の精神世界のコーナーに著書を置くならば、その本は1ページしかない。
すべてはどうでも良い
すべてはどうでもよいを、思考で捻じ曲げて解釈してしまうというか、どうでもいいんなら何したっていいだろ、という人も出てくる。
私は何してもいいと思う。
例えば子供を乱暴する犯罪者は、やりたくてやったわけだろう。
金を求めて、20代で億万長者になった男は、やりたくてやったわけだろう。
何をしてもいいと思うよ。
ただし、すべてがどうでもいいという境地に立たなくては、いずれすべてが、苦しみに転化する。
つまり、どうでもいいや、という境地の中で、欲求から動いた犯罪者は至福の人生だろう。
それは、執着を捨て、仕事や家庭生活が円満で幸せだ、というのと、何が違うのか。
苦しみと言われているものが幻想なのである。
捨て去る基本動作がどうでも良い、つまり、執着をしないことである。
いろんなメソッドを実践している人って、苦しんでいながらどうでもいいんだと、無理に言い聞かせようとしている人も多いと思います。
心からすべてがどうでもいいとなれば、どうしても愛に満ちあふれてしまう。
それすらもどうでも良いとしてしまえば、すべてと一体化する感覚に襲われる。
そうなれば、どうでも良いすらも行使できなくなる。
対象がないからだ。
乱暴してもいいとかむちゃくちゃだな、それを信じる人がいたらどうすんのさ。
自分が作った幻想の世界だから、何やってもいいってわけじゃないんだよ?
犯罪の被害者がどれだけ後で苦しむか、見たことあるか?
前にも書いたが、あなたが今日食べた料理は多くの動物が犠牲になっている。
それらの秩序は、我々人間界が勝手に制定したものだ。
今日もまた、何らかの悲しい事件がニュースを騒がせただろう。
あなたはそれを防ぐことができたか?
また、あなたはそこでそのような暮らしをしている。
それは偶然の重なりでそうなったのではないか?
つまり、あなたの意思はどこにも反映されていないということだ。
あなたの自由、それはつまり、あなたが意識して起こせることじゃないのだ。
こう考えてはどうか。
乱暴して捕まった男は、彼のその人生が、そのような道にさせたのだ。
そのような家庭に育ち、そのような光景を見て育ち、そのような衝動にかられる出来事に遭遇した。
行動とは、単に起こっている出来事である。
あなたは犯罪者にはならないだろう。
なぜならば、それがあなたの中の否定であるからだ。
だが、否定でない人生にあなたが育っていたらどうなると思う?
あなたに罪はあるのだろうか?
だが、あなたは今日も料理を食べている。
確かに、私達は動物を犠牲にしないと生きていけない生き物だ。
でもそれは、、命がつながっているということなんだよ。
農家の人たちがどういう気持ちで動物を育てるか、想像してみたらどうだ?
殺人をして、命が意味もなく消えていくのと、人間が食事をするために命を受け取るのは、まったく異なる行為だろ。
それがあなたの望む世界なのだろう。
だがあなたは、世界で様々な出来事が起こるたびに苦しむのではないか?
それらは単に起こっているだけだ、あなたが苦しむ必要もない。
私の書き込みも、単に料理の時間の暇つぶしだ、あなたが問題視する必要もない。
すべてを手放しなさい。
注意してください、モラルが育っていないなら、都合のいい解釈をする人もいるんです。
モラルとは、あなたの人生のものなのだろう。
私の人生に、あなたのモラルは認識すらない。
犯罪者が、まっとうな家庭に育ち、充実した人生を送っていたならば、犯罪者にならなかったのではないか?
では、なぜ犯罪者になったのか、あなたには、その苦しみが理解できるだろうか?
被害者は苦しいだろう、それと同じようになぜ、こんなことをしている自分がいるのだ、という、犯人の人生も同じ位置にある。
議論だけで勝負すると、本当に大事なところは言葉にできないし、言葉に出来た時点で偽善になるとおもう。
あなたがそう思うならそうなのだろう。
ただ、あなたへの発言も、私にとっては単なる暇つぶしだ。
これは私にとって、完璧に揺るぎない事実であり、あなたもそうであるはずだ。
あなたは、被害者を苦しませる犯罪者にならなかったように導いてくれた人生に、感謝すれば良いのではないだろうか。
どちらにしても、あなたの人生が、あなたを形成している。
それはあなたの意思が、全くといっていいほど反映されていない。
しかもあなたの性格や意思は、その人生、つまり出来事の集大成により作られている。
よって、あなたが自分と思っている自分は、あなたではない。
これまでがそうだったように、出来事に身を任せなさい。
この先もすべて出来事に身を任せなさい、必ず答えに導いてくれる。
加害者の苦しみも解りますが、被害者には、加害者側の都合はなんの関係もありません。
あなたがそこにいることは、あなた自らの力量で、そこにいるのではない。
たまたま偶然の重なり合いで、そこに至ったのだ。
それを犯罪者や、被害者、私、あなた、あなたの関わる人々に置き換えてみなさい。
すべては本人の意思に関係なく、ただ出来事に翻弄されているだけだ。
そこに執着を持つということは、どれだけ馬鹿げているか容易に理解できるだろう。
どうでもいい、つまり、流れのままに従うことだ。
◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法13◆◆
40 :33:2013/06/20(木) 22:48:53.64 ID:0HHF92Ac