願望の重要度をなかなか下げられない人は、1つの記憶から ポジティブな感情を思い出すのも気を付けた方がいいという、その意味を教えて下さい。
願望の重要度を下げられない人は現実に大変振り回されやすいんです。
現実に振り回されてるなら、認識は変更できてない。
記憶からたくさんの刺激を貰って、現実で振り回されてます。
刺激には幸不幸がないため、ポジティブな刺激でわーっとテンションが上がった後は、ネガティブな刺激でガクンと下がります。
このアップダウンは、ない世界特有の物なので、これをしてる限り、ある世界へ行けない。
ということは認識が変わらないのでなるになれない。
この時、振り回されるのを防ぐため、ネガティブな物だけを見て押さえ込もうとしますが、二元論の法則ではポジティブを感じるならネガティブも必ず現れます。
認識が変わってる人なら問題ないですが、現実に大いに振り回される人なら、ポジティブに焦点を合わすのをやめれば自動的にネガティブも出てこない。
ネガティブはなかなか押さえるのは難しいです、という意味です。
私はなるとたまに幸福感を感じたりポジティブな感情が湧きます、これは噛み締めてもいいのでしょうか?
本当は何一つダメな事はないんです。
ただなるをしたいなら、認識を変えなければならず、そこへ行くコツとして私の体験談を言っています。
ですからなるができてる方ならば、何をしてもいいですよ。
そもそも、これをしたらダメ、あれをしたらダメはありません、
ご自分を信頼してください。
記憶からくる感情と、なるから来る感情は別物でしょうか。
なるは安心感がありました。
記憶からくる感情はそれこそ色々です。
私は自分の感情と選択程大事なモノはないと思っています。
思う存分遠慮なく感じきってください。それが自分を知る事ですし、自愛ですし、今にいる事です。
問題点は記憶と記憶を結びつけたり、ジャッジすることです。
それは叶っていないを強化するからです。
なので、注意が必要なところ以外は基本的に、あなたの望むままに現実と内面に満たされてください。
仕事上で、会社の価値観や人と対立することはないでしょうか?
ありますよ、
自我がありますから記憶から刺激となってやってきます。
その場でしたい事をします。
内面ではなるもするし、現実では感情を感じきり、自分が思った事、したい事をします。
つまり、話し合いにもいくし、愚痴をこぼす事もある、我慢して謝る事もあります。
淡々とこなして、目の前の事に集中します。
今日人とぶつかって、こっちは謝ったのに、文句を言われて腹が立ったんです。
現実は思いのまま、ってことは、腹が立った、完璧、でもこんな現実やだよなー、本当は神なのに、なんでこんな腹が立つことをつくったんでしょうか。
現実はおもいのままと言うと、期待を与えてしまいますね。
現実はおもいのままになるなら、思いのままにもならないのです。
そして、この現実は内面の世界のことを指しています。
現実(目の前の世界)では様々な事が起こります。
自我がありますからね。
記憶が幸不幸は関係なく、様々な刺激を私たちに与えてくれます。
しかし現実(目の前の世界)は自分がつくってると、私は思っています。
覚えてる覚えてないに関わらず、たくさんの選択と記憶でできていると思ってます。
ですから、どの現実も、本来は良い悪いはないです。
習慣という記憶が無意識にしろ意識的にしろ、現実をジャッジしてしまうことは多々ある。
なので完璧認定は、現実(目の前の世界)をジャッジするのを防いでくれます。
記憶から出てきた感情、(腹が立つ、こんな現実は嫌だ、という感情)をどうぞ思う存分感じきってください。
すると自分の選択したいことが分かるようになりませんか?
何になりたいのか?何を望んでるのか?
それが分からないのなら、今の目の前に広がってる現実は、あなたにとってけっこう満足してるということになります。
こうしたい、ああしたいという自分の声を聞いてください。
そして本当にシンプルに自分の願望を好きな時に選んでなるだけなんです。
目の前に広がってる現実の全ては、あなたがつくってるものです。
これからの自分をどうしていきたいのか?
それを教えてくれます。
ですから、現実は敵ではないんです。
あなたが選択するためのたくさんの機会をくれてるんですよ。
だからこそ、色んな事を絡めないでください。
1つ1つを見ていってください、したくないなら見なくても良いです。
自分のペースで、したいことをしてください。
二元論の原理で言うと人間は神であり神ではないです。法則に例外はないです。
神になれるし神にわなれない。
ただ、神様になるは選択できます。
どうぞ今すぐになるをしてください。
神になった私もお金持ちになった私も、なるのやり方は同じです。
あなたの認識が変わっていなければ、なるは適用できないです。
もし神になったのなら、現実と内面を絡めないはずです。
ただの記憶を願望に絡めないでください。
それができないのであれば、神になった振りメソッドになってしまいます。
つまり認識の変更がなされてないなら、現実から大いに振り回され、
自分が神だと意識を向ければ向ける程、自分は神じゃないというモノを見せつけられます。
それは、記憶からの刺激です。
だからこそ記憶は記憶と絡めないことが、なるには必要です。
内面が真実なんです。
神になった内面で、思う存分に理想の世界をつくってください。
選択という偉大な力に気づき、内面を現実だとした世界で、成りたいあなたに思う存分成ってください。
私は神なのにって思う現象は、719さんには訪れませんか?
なるを基本に、私は言っています。
私=神は、私=他人と同じ意味で二元論を説明しました。
そして、神になったのであれば、なるが適用できる認識に変更されているので現実に重きを置きません。
神になった私と現実は関係ないからです。
なったはずなのに、なんでだ、と、せっかくのなった私と関連づけません。
また私の内側が私の現実であり真実です。
でも、あなたの言うように、おかしいなぁーって思う事あります。
そのときは、自分の気持ちに素直になり、好きなことを選択します。
そしてまたなるをすればいいんです。
二元論はなるを頭で理解する手助けに成ると思って説明しました。
自然の摂理ですし、用意されていることを知るすべになります。
しかしそれが、あなたの願望を叶えてくれるわけではないです。
荒波を立てないように、思考を意識的に選ぶようにしてるのですか
荒波はガンガン立ってます!
自分の感情を凄く大事にしてるので、感情を押し込める事はしません、
感情は感じきります、全て味わいます。
そこで、したいことがあればします、喧嘩を吹っかけるとかね。
ただこれらの記憶をなるなどの、ほかのものには絡めません。
過去、現在、未来、願望を全て独立させます。
過去に何か不幸な事があったから未来は不幸だとか記憶を関連づけて思いません。
そして不思議な事に認識が変更すると、他人は問題にならなくなります。
全て自分にあるので、そもそも他人と喧嘩しようと思わなくなります、喧嘩したかったらしますけどね。
それは、自分の感情や願望に素直になり、好きな物を選択してなるをすればいいだけだからです。
なるをすると、現実が進まないような感じになります
なるは内面で行うものです、現実は関係ないです。
現実と感情は関係ないです。
現実を動かすために感情が大切なわけじゃないです。
なぜ感情が大切かについてですが、
感情を感じきる事は今にいるからなんです。
今にいる時間を増やす事で、記憶(=現実)からの刺激に振り回されずに済みます。
今にいると安心感があります。
それは認識変化の助けになります。
安心感はある世界にあるので、それはなるになった世界と同じなんです。
いきなりなるができなくても、感情を感じきり、今にいて安心感を得る事は、そう難しくないはずです。
認識の変化を起こす手助けになります。
現実に振り回されることは、ない世界にいる事になるので、なるはできないです。
現実に振り回されてる時とか、今にいたいなと思う時、進んで今の感情を感じにいくと、今にいられます。
感じてる時、思考はできません。安心感があるはずです、お試しください。
そして刺激(記憶から出てくる様々な反応)を緩和するのが自愛です。
自愛は様々なやり方がありますが、自分の感情を感じてあげるというのも自愛になります。
この自愛も行き着く先はある世界です。
自分で自分を満たす事ができる、呼吸するだけで満たされる境地です。
満たされるとはある世界なんです。ということは認識の変化が自動的に置きます。
なるになれる認識に変化することになると思います。
また感情が自分の望みを教えてくれる事もあります。
感情を感じる事は自分を知る事ですから。
心と頭の中をなるべく一致させた方が、シンプルに選択ができるからです。
何を選択したいか、クリアにする助けになります。
感情は色々な側面を持っています。認識変化をする時に、感情は大きな助けになるはずです。
感情を感じきると、フラットになって、なりたい私の選択が可能になるのでしょうか?
感情を感じきるのはネガティブを感じたとしても、今にいることで、安心感へと変わるからです、
これはフラットとは関係ありません。
なりたい私の選択は、いつでも可能ですが、認識が変わってないと、現実に振り回されてできないと思います。
なったのになんでだろうと、関係のない現実と内面を絡めてしまい、なったことを取り下げてしまうでしょう。
これを防ぐために感情を感じきるで安心感を得て頂きたいし、安心感を得れば認識の変更や、ネガティブへの考え方の前提も崩れます。
また自愛にもなり、自分をよく知る事もできる、つまり願望がより明確になり選択もしやすい、という事です。
フラットとは0でもなく100でもない、50の位置にいること、そして50の位置というのは、全てがある場所です。
つまり全てがある世界です。
全てがある世界とは、ないもあると認められた世界です。
(これを頭で理解するのに役立ったのが、二元論です)。
全てが可能で、全てが不可能だとわかる。
それならば私は、可能な世界を選ぼうと思ったんです、(それが選択です)
これは私の場合であって、フラットなど感じなくても、器用な人はポンっとなるをしてしまいます。必要ないと言えばないです。
私は二元論を理解して初めて、自分の叶った世界が既にある事を知りました。
既にあるはなるをする、強い支えになったんです。
器用な人はこんな過程も踏んでないと思います。
ですが、私はあえて丁寧に順序を踏んでいきました。
ですから、勘違いして欲しくないのは、私の説明した内容が必ずしも必要な訳ではないということです。
なんでもそうですが、他人の言葉に力を持たせすぎると、ご自分の足枷をわざわざ作ってしまう事になります。
そうゆう意味でも、ご自分の感情や選択に一番の信頼を置き、丁寧に扱ってください。
丁寧に扱えば、いずれ本質が分かります。
そうすればもう、自分の感情に抗う意味のなさが分かると思います。
自然と他人の言葉は力をなくし、現実も力をなくしていくと思います。
現実を否定しながらなりたい私を選択することは可能ですか
現実を否定するということは、現実を、願いが叶わない現実、何やってもうまくいかない現実、などの認識になってしまってる事が問題なのです。
認識が変わってる人は何を思ってもいいというのは、現実を否定的に捉えたとしても、常に揺れ動いてるんです。
つまり、現実への認識を固める事がない。
それはある世界を十分理解し、その中で現実を否定してるからなんです。
否定した瞬間に肯定してるならば、それは否定なのか肯定なのか分かりませんよね?
ですが、多くの人は現実を、関係のない要素を繋ぎ合わせた曖昧な物を根拠にして、否定した現実を支え続けて、頑丈にしていきます。
そんな事をしてしまったら、現実が動ける訳がない。
現実が動けるようになるために、現実を否定して欲しくなかった、現実にレッテルを張って欲しくなかったのです。
理想じゃない世界だけど完璧だ とするのは、そういうわけなんです。
ないさえも存在してるのが、ある世界なんです。
そしてある世界を初期設定することが、前提を崩すことであり、認識の変更であり、なるであり、既にあったということなのです。
すべての現象を、何者とも関連付けないことが、現実を選択するために大切なんでしょうか
選択することを難しく考えないでください。
ただ選択するには自分をよくわかっていないと、何を選択していいのかわからなくなるので、自分の感情をしっかり見ましょう、と言いました。
人から相談された時によくあるのは、相談してる本人がどうしたいのか良く分かっていないという事です。
そんな状態じゃ、何も選べないんです。
それを防ぐために、現実の色々な事はあなたを惑わす物ではなく、あなたに気づきを教えてくれる材料だと言うことです。