夕ご飯を食べて、お腹いっぱいでゴロゴロしながら、習慣になってる自己観察をしてたら、「本当の自分」の立場みたいなのに気づきました。
今までずーっと、そこにいたのに忘れてました。
思い出した瞬間は、コーヒーを吹くような感覚でしたよ
「内側」の思考・感情も、「外側」の現象世界についての知覚情報も、全部同じように、淡々と観察・受け止めている自分がいるだけでした。
Be動詞の自己観察状態には、誰でもいつでもなれています。
Do動詞、つまり、「自己観察する」ことで、そのことをわざわざ思い出せるようにするだけなんですね。
各種メソッドも、「煩悩滅却」も、変性意識も直接関係ないです。
役に立つこともあると思いますし、シックリくるものならどれでもオッケーなんでしょう。
人によっては「私はエゴまみれだからクレンジングが必要なんです」とかいう自己設定があるかもしれませんが、そのままの自分を観察してみてください。
自己観察のキモは、観察対象の思考・感情じゃなくて、観察してる主体、その立場に気づくことだと、自己観察さんが何回も伝えていることですが、スルーされがちなんですよね。
メソッド・Do動詞としての自己観察は、究極シンプルで色が付いてないから、エゴにとっては捉えにくくて、難しかったり疲れたりする人もいるんだと思います。
「これは難しいと考えている自分を観察しましょう」と言われても、余計難しく感じちゃうのかもしれません。
今なっていること、できていることを、自覚しよう・確認しよう・思い出そう、というだけなんですね。
108式実践・成功体験談スレ【1】
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1300703412/
992 名前: 947 投稿日: 2011/06/22(水) 21:28:11 bSaa.e160