時間というもの、個人というもの、記憶というもの、概念というものを消して、「ただ在る」。
そうすると、内面と外側の現象を区別するものが存在しないことに気づく。
今選ぶだけ、というか、選ぶまでもない。
というか、意識が向いた先にある、それだけ。
みんな、一瞬でできると思うんだ。
そしてその1秒後には、「おお・こうすればいずれ現象化するんだ」という思考と共に、不足認定してる
「現象」って何かといえば、これまでの記憶とか経験とか概念でしょ。
そこを、どんどんあやふやに、ファジーに、ぼやーーっとしてみると、どうなるか?
そこまでいってしまったら、現実や、願望どうこうじゃなくなりますよね。
ただ夢の中を生きているわけですから。
しかし、夢とわかりつつも、見たい夢を見ようとは思いませんか?
頭をおかしくしろと言ってるわけじゃないよ?
例えば、フェラーリが欲しいとしよう。
君がフェラーリが欲しいのは、フェラーリではなく、スズキに乗っている記憶、自分でない誰かが、フェラーリに乗ってる記憶に支えられてるわけでしょ?
でもそれは、ただの記憶、つまり反応じゃん。
それを絶対的に強固なものにしてるのは、君の思考でしょ?
だから、それにリアリティを注ぐのはやめようって言ってるの。
そしたら単に、全て「ある」んだから終わりでしょ?
君はこれまで見てきた夢に縛られて、本来見ることのできる夢の、0.1%くらいしか見られていないわけよ。
自分にとって、絶望的なことが起きたら、既にあるがわかった。
自愛はマジで良いよ、とにかく徹底的に許しまくるべし。
自愛はチケット7章にたどり着く。
フェラーリの話と、絶望の話と、自愛の話で、あなたに一体何が起こったんですか?
フェラーリの例えは、わかりづらいかな?
自分の場合は、認識変更の一番大きな決め手が「絶望」だった。
認識変更した今思うのは、自愛が一番確実だし、完璧だ。
ちなみに自愛は、何かを変えるためにするんじゃなくて、ただ認めるためにするのがコツかな
絶望から反転して、認識変更される人は多いですね。
絶望の前の段階から、ある程度は認識変更されていた。
自分が、必要だと思っていた「絶対的な価値」を失って、全てが崩れ去ったはずなのに、まだ自分がいたんだ。
だから、認識変更というよりは、もはや拠り所とすべきものが無くなって、どうしようもなくなった、という感じかな。
ちょっと厳しいこと言うけど、みんな中途半端に甘い言葉にちょろまかされて、結局ぜんぜん実践できてないんだ。
「記憶」、認識される全て、とにかく全てに、「気づき」続けることだ。
チケット7章の、「関連付け」の破棄、「常に許可」し続けることだ。
認識の変更のみを目指すスレ4
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/9650/1481802950/
625 名前:幸せな名無しさん 投稿日:2017/02/21(火) 16:17:36 ID:T8eXB2Ps0